『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

 仕事が急遽休みになったので見てきました。

 タランティーノ監督の新作は、1969年に起きたロマン・ポランスキーの妻であり女優でもあったシャロン・テートがカルト集団チャールズ・マンソン・ファミリーに殺害された事件をモチーフにした作品。

 主人公のリック・ダルトンレオナルド・ディカプリオ)はやや落ち目の元テレビスター。活躍の場を映画に移そうとしたのですが、若い主役の引き立て役として悪役を演じることが増えています。また、イタリアでマカロニ・ウェスタンの主役をやらないかとも声をかけられていますが、リックはイタリアに行くことには抵抗しています。

 彼のスタントマンであり、身の回りの世話もしているのがクリフ・ブース(ブラッド・ピット)。リックが落ち目になるにつれ、彼のスタントマンとしての活躍の場も狭まってきています。

 そんなリックの家の隣に、当時注目されていたポランスキーとその妻のシャロン・テートが引っ越してきます。

 

 上映時間は160分あり、長いといえば長いです。前半はとにかく当時のハリウッドを忠実に再現することに費やされており、映画界の変化やヒッピーカルチャーの浸透などを丁寧に描いています。

 というわけで、やや退屈にもなりそうなのですが、そこはさすがのタランティーノでタイミングよく上手いシーンが挟まります。クリフはブルース・リーっぽい格闘家と対決するシーンや、リックが「ジョディ・フォスター??」と思ってしまう名子役と絡むシーン、売れ始めたシャロン・テートが映画館で自ら出演する映画を見るシーンなど、印象的なシーンは多いです。

 

 また、観客はシャロン・テート事件を頭に入れながら見ているので、前半の幸せそうな光景もやや落ち着くことができずに見ることになります(3.11が近づいてきたときの「あまちゃん」みたいな感じ)、その観客の意識の使い方も上手いですね。

 そしてラストは「こう来るのか!」という驚きもあります。ここもタランティーノならではの上手さだと思います。

 

 ただし、『イングロリアス・バスターズ』もそうでしたが、この作品も「暴力をふるってもいい悪」みたいなものがつくられていて、それによってポリティカル・コレクトネスを乗り越えるようなスタイルです。暴力は確かに取り扱い注意だけど、「みんなが認める悪」に対してであれば思う存分ふるっても誰も文句を言わないだろうというものです。

 さらにこの映画ではタランティーノ偽史的な想像力も絡んでおり、ここに描かれている歴史は改変されている歴史でもあります(もちろん、リックとクリフは架空の人物ですし)。

 うまくは言えないのですが、このやり方はけっこう危ういようにも思えます。今作も面白かったのですが、少し引っかかるものは残りました。

 

 

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』 

 それぞれ数多くの論文を発表し高い評価を得ているアセモグルとロビンソンが「経済成長はどのような条件で起こるのか?」という大テーマについて論じた本。読もうと思いつつも今まで手が伸びていなかったのですが、授業でこの本と似たようなテーマを扱うことになったので、文庫版を手に入れて読んでみました。

 

 目次は以下の通り。(第1章〜第8章までが上巻、第9章以降が下巻)

第1章 こんなに近いのに、こんなに違う
第2章 役に立たない理論
第3章 繁栄と貧困の形成過程
第4章 小さな相違と決定的な岐路―歴史の重み
第5章 「私は未来を見た。うまくいっている未来を」―収奪的制度のもとでの成長
第6章 乖離
第7章 転換点
第8章 領域外―発展の障壁

第9章 後退する発展
第10章 繁栄の広がり
第11章 好循環
第12章 悪循環
第13章 こんにち国家はなぜ衰退するのか
第14章 旧弊を打破する
第15章 繁栄と貧困を理解する
付録 著者と解説者の質疑応答

 

 実はこの本を読むのが後回しになっていたのは、以下の山形浩生の上巻の書評を読んでしまったからです。

cruel.hatenablog.com

 

 今回、この本を読んでみたあとも、基本的にはこの山形浩生のものと同じような疑問は残りました。確かにエピソードは面白いのだけど、「経済成長が起きるか否かは制度が包括的か収奪的かによるのだ」というテーゼはやや単純すぎるように思えるのです。

 

 本書はアメリカのアリゾナ州のノガレスとメキシコのソノラ州ノガレスの比較から始まっています。この両地域は気候や地理的条件も、もともと住んでいた住民もほぼ同じにもかかわらず、経済発展では大きな差がついています。この差を説明するのが「包括的制度」と「収奪的制度」の違いです。

 

 著者らのいう「包括的/収奪的」とは政治と経済の両面があって、包括的な政治制度は法の支配と理想としては自由民主主義、包括的な経済制度とは市場経済のしくみで、収奪的な政治制度とは無秩序や権威主義的な独裁体制、収奪的な経済制度とは奴隷制農奴制、社会主義の計画経済といったものになります。

 さらに著者らが度々強調するのが中央集権的でなおかつ多元的な権力のしくみです。多元的というならば地方分権ではないかと考える人もいるでしょうが、著者らは一定の秩序がなければ収奪的な経済にしかなりえないと考えています。

 本書ではソマリアのケースなどが紹介されていますが、日本史で考えれば戦国時代では日本全体を巻き込むような経済成長はありえず、信長や秀吉による中央集権が必要なんだけど、そうした個人的な独裁はいずれ収奪的にならざるを得ないので、何らかの形で権力の多元化が必要になるといったところでしょうか。

 著者らはイギリスの成長は、大西洋貿易が盛んになった時期に他のヨーロッパ諸国とは違って多元的な権力が成立したからだと考えています。

 

 このように、著者らは制度こそが経済発展のキーだと考えているわけですが、第2章では、経済発展を説明するその他の理論、「地理説」、「文化説」、「無知説」を否定しています。

 地理説には熱帯における伝染病や農業生産制の低さを理由にするものや、ジャレド・ダイアモンドが主張する大陸の広がり(東西に広がっているか南北に広がっているか)や周囲にいた家畜化可能な動物の数などを理由とするものがあります。

 しかし、著者らはこの説ではユーラシアの中でもイギリスが産業革命をリードしたことやアメリカとメキシコの差を説明できないとして退けています。

 文化説を否定するのは、日本や中国などの経済発展や、韓国と北朝鮮の格差、15世紀末にカトリックに改宗したコンゴ王・ジョアン1世などの存在です。

 アフリカ経済の低迷を説明する時に無知説は一見すると有効に思えますが、実は経済政策に失敗した国でも多くの場合欧米の経済学者がアドバイザーに就いており(ガーナのエンクルマはアーサー・ルイスから助言を受けていた(上巻126p))

 

 こうして「制度こそ決定的なのだ」という結論が導かれるわけで、特に著者らはイギリスの制度を高く評価しています。イギリスにおける財産権の確立や知的所有権制度がイノベーションを生み、産業革命を引き起こしたというわけです。

 このあたりは、例えば、ダグラス・C・ノースの『経済史の構造と変化』の説明に近いと思います。というか、本書全体の分析が『経済史の構造と変化』のそれと似ていると思います。例えば、『経済史の構造と変化』の次の部分などは本書の一節だと言っても充分に通じるでしょう。 

経済成長には国家の存在が欠かせないが、人が引き起こす経済の衰退は、国家に原因がある。この逆説を考えれば、国家の研究を経済史の中心に据える必要がある。(ダグラス・C・ノース『経済史の構造と変化』49p)

 

 そして、『経済史の構造と変化』がさまざまな経済学の理論を持ち出しながら叙述を進めるのに対して、本書はまるで歴史家が書いた本のように事例の記述を重ねていきます。

 アセモグルもロビンソンも実証的な論文を量産している人なので、本書のベースにはさまざまな実証的な研究があるんでしょうけど、本書では読みやすさを重視してなのか、データやグラフをあまり用いておらず、印象的な事例の紹介が中心となっています。ですから、いろいろな反論も思い浮かびます。

 

 例えば、イギリスは名誉革命以降、包括的な制度が確立したから発展したのだと主張していますが、「イギリスの経済成長の要因は、包括的制度のもとでの国内でのイノベーションという要素より海外植民地からの収奪という要素が大きいのではないか?」といった疑問も浮かびます。

 

 また、著者らは短期の経済成長であるならば収奪的な制度のもとでも可能だが(例えば、ロシア革命後のソ連は農村からの収奪によって一定の期間は高い経済成長を示した)、長期は不可能だといいます。

 ただ、この短期/長期というのがどのくらいの幅なのかということも問題だと思います。著者らは長期というときにかなりの期間を想定しているようで、それが結局は「イギリスの産業革命に始まった西欧諸国の経済成長のみが歴史上唯一の経済成長である」というような見方につながってしまっているのではないかと思います。

 

 そうなると確かに「自由民主主義以外に経済成長の可能性はない」となるのかもしれませんが、例えば、中国の宋代の経済成長やイノベーション羅針盤、火薬、活版印刷術などの発明があった)は、単なる収奪にはとどまらないかなりの長期に渡ったものと見ていいのではないかと思いますが、著者らは「中国は絶対主義的の国であり、宋の成長は収奪的制度によるものだった」(上巻370p)と冷淡です。

 ここはK・ポメランツ『大分岐』などでも指摘されているように、もう少し18世紀初めまでの中国の経済力というものを評価してもいいのではないかと思います。

 

 そして、やはりこの本の今後の影響力の行方というのも、やはり今後の中国の姿に関わっているのだと思います。

 中国は少なくともここ25年ほどは高成長を続けています。もちろん、今までの成長は先進国で生み出された技術を移転し、農村の余剰労働力を活用した成長で、収奪的な政治制度の上でも予想できる成長だと言えるかもしれません。これについて著者らは次のように述べています。

 中国の場合、遅れの取り戻し、外国の技術の輸入、低価格の工業製品の輸出に基づいた成長のプロセスはしばらく続きそうだ。とはいえ、中国の成長は終わりに近づいているようでもあり、とくに中所得国の生活水準にいったん達したときには終わると見られる。(下巻300p)

 

 しかし、近年の中国ではIT関連を中心にイノベーティブといっていい動きが起きています。中国経済の成長が減速するというのには同意なのですが、それは中国のような収奪的な制度のもとではイノベーションが起こらないからではなく、「一人っ子政策」を長くやりすぎたことによる少子高齢化によってもたらされるのではないかと個人的には見ています(もっとも、「一人っ子政策」の引き伸ばしは民主主義であれば防げたかもしれないので、「「一人っ子政策」の引き伸ばしも収奪的な政治制度のせいなのだ」と言われれば、著者らの理論は間違っていないことになりますが)。

 さらに中国政府が非民主的制度を維持しながらビッグデータと監視システムを用いることで「うまく統治する」可能性というのもあって、それは梶谷懐・高口康太『幸福な監視国家・中国』で指摘されています。

 付け加えるならば、中国の大躍進政策に関しては、第2章で著者らが否定した「無知説」が当てはまるような気もします。

 

 あれこれと文句を言ってしまいましたが、この本に集められているエピソード、特に経済成長に失敗した国々のエピソードに関しては興味深いものがあります。

 例えば、シエラレオネでは1961年に独立しシアカ・スティーヴンズ大統領は鉄道を廃止しました。敵対的な勢力を支持する地域を走っていたからです。さらスティーヴンズは軍も信用できなかったために軍を縮小し、骨抜きにしました。結局、彼はクーデターで権力を失い、シエラレオネは内戦に突入していきます。

 グアテマラでは93年にラミレ・デ・レオン・カルピオ大統領に就任し、リチャード・アイトケンヘッド・カスティーリョが財務相に、リカルド・カスティーリョ・シニバルディを開発相に任命しました。彼らは16世紀はじめにグアテマラにやってきたコンキスタドールの末裔で、グアテマラでは未だに22の一族が政治と経済を支配しているといいます。エリートによる収奪体制はそう簡単になくなるものではないのです。

 

 また、民主主義でありながらなかなか政治・経済の両面で安定しないラテンアメリカに関しては次のように評価しています。

 ラテンアメリカに誕生した民主主義は、原理上はエリート支配の対極にあり、名実とも権利と機会を少なくとも一部のエリートから再分配しようとするものだが、二つの意味で収奪的体制にしっかりと根差している。第一に、収奪的体制下で何世紀も不公正が続いたせいで、新たに誕生した民主主義体制の下で、有権者は極端な政策の政治家を支持するようになる。(中略)第二に、ペロンやチャベスといった有力者にとって政治がこれほど魅力的で甘い汁に満ちているのは、またしても根底に収奪的制度があるせいであり、社会にとって望ましい選択肢をつくる有効な政党の仕組みがないせいだ。(225−226p)

 

 さらに最後では小さな市場の失敗を改善していこうとするやり方を批判し(このあたりは最近流行のRCT批判なんでしょうね。RCTに関してはアビジット・V・バナジーエスター・デュフロ『貧乏人の経済学』エステル・デュフロ『貧困と闘う知』を参照)、対外援助に関してもないよりはマシかもしれないが、有効な援助というのは非常に困難であるとの考えを示しています。

 

 「なぜ、西欧が成功したのか?」というだけであるならば、エントリーの中でも触れたダグラス・C・ノース『経済史の構造と変化』を読めばいいのではないかとも思いますが、「なぜ、多くの国は失敗しているのか?」ことに関してはさまざまな示唆を与えてくれる本だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 関連エントリー

morningrain.hatenablog.com

ウィリアム・ノードハウス『気候カジノ』 

 2018年に気候変動を長期的マクロ経済分析に統合した功績によってノーベル経済学賞を受賞したノードハウスの著書。価格が2000円+税なので、「今までの研究のコアの部分を一般向けに簡単に語った本なのかな」と思って注文したのですが、届いてみたら450ページ近い分厚い本で、ほぼこの1冊で現状で明らかになっている地球温暖化問題について語れてしまうような本ではないですか! これはコスパが高いです。

 実は読んだのが6月頃で、今さらこの大部の本をきちんとまとめる力は残っていないので、以下、非常に簡単に紹介を書きます。

 

 目次は以下の通り。この目次を見るだけで、温暖化について主な論点のほぼすべてが書いてあることがわかると思います。

第I部 気候変動の起源
第1章 気候カジノへの入り口
第2章 二つの湖のエピソード
第3章 気候変動の経済的起源
第4章 将来の気候変動
第5章 気候カジノの臨界点

第II部 気候変動による人間システムなどへの影響
第6章 気候変動から影響まで
第7章 農業の行く末
第8章 健康への影響
第9章 海洋の危機
第10章 ハリケーンの強大化
第11章 野生生物と種の消失
第12章 気候変動がもたらす損害の合計

第III部 気候変動の抑制─アプローチとコスト
第13章 気候変動への対応─適応策と気候工学
第14章 排出削減による気候変動の抑制─緩和策
第15章 気候変動抑制のコスト
第16章 割引と時間の価値

第IV部 気候変動の抑制─政策と制度
第17章 気候政策の変遷
第18章 気候政策と費用便益分析
第19章 炭素価格の重要な役割
第20章 国家レベルでの気候変動政策
第21章 国家政策から国際協調政策へ
第22章 最善策に次ぐアプローチ
第23章 低炭素経済に向けた先進技術

第V部 気候変動の政治学
第24章 気候科学とそれに対する批判
第25章 気候変動をめぐる世論
第26章 気候変動政策にとっての障害

 

 まず、「気候カジノ」というタイトルですが、まず地球温暖化については不確実性がつきものです。温室効果ガスの排出量と気温上昇の関係についてはある程度のコンセンサスができつつはありますが、それが気候システムに何をもたらすかはまだ明確にわかっているわけではありません。

 著者はこのことについて「我々は気候カジノに足を踏み入れつつある」(7p)と表現しています。もちろん、奇跡的に損失を被らないでうまく出てくる可能性もあるのですが、大損する可能性はかなり高いのです。

  

 また、予測をするにしても、そもそも今後の世界経済がどの程度のペースで成長するかといったことも不透明ですし、今までにはなかったような新しい技術が登場するかもしれません。

 そこで「先送り」という選択肢が浮上するわけですが、著者はこれを「霧の深い夜に車のヘッドライトを消して時速160キロメートルで走行し、カーブがないことを祈っているようなもの」(44p)だとしています。

 さまざまなモデルによれば、1900〜2100年の世界の平均気温上昇は1.8〜4.0℃であり、21世紀の海面上昇の推定は18〜60センチです。さらにハリケーンの強大化、海洋酸性化などが予想されています(61p)。

 さらにグリーンランドや南極の巨大氷床の崩壊や、海洋循環の大規模な変化の可能性もあり、想定を超える巨大な変化が起こるかもしれないのです。

 

 この不確実性は農業にも当てはまります。ニュースを見ると今すぐにでも干ばつと食糧不足がやってきそうでもありますが、IPCCの報告書によると「世界全体では、地域の平均気温が1〜3℃の幅で上昇すると、食糧生産能力が増加すると予測されるが、これを超えれば減少すると予測される」(104p)とのことです。つまり、農業に関しては3℃以内気温上昇であれば大きな問題はなさそうなのです。

 ただし、当然ながら気温上昇を3℃以内にピッタリと収めるもまた至難の業です。

 

 また、温暖化の影響を評価する時に難しいことは、経済成長は人々の厚生を改善しますが、温暖化を加速させます。経済が低迷すれば温暖化は進みませんが、経済成長の果実も受け取ることができな一方、経済成長が高い水準で推移すれば人々はその恩恵を受ける一方で温暖化は加速します。

 ただし、経済成長の恩恵は平等に行き渡るわけではなく、温暖化が進んだ場合に健康面でマイナスの影響を受けるのはアフリカや東南アジアだと推測されています(118p)。

 このため、温暖化によって世界がどのくらい損害をこうむるのかという問題は非常に難しいのですが、一応、2.5℃の上昇で世界総生産の1.5%前後という推計が示されています(177p図表12-2参照)。

 

 では、温暖化に対して我々はどのように対処すればいいのでしょうか?

 著者は対策には、温暖化した地球に適応する「適応策」、成層圏中の硫酸塩エアロゾルを人工的に増加させるなどの「気候工学」、そして温室効果ガスの排出量を抑える「緩和策」があります。

 「気候工学」は成功すれば安上がりな方法なのですが、不確実性や副作用も大きく、著者は医師がすべての治療が失敗した時に用いるサルベージ療法に近いものだと考えています。

 

 エネルギー消費量を減らすには経済成長を犠牲にしなければならないと考える人もいますが、例えば、発電の際に石炭ではなく天然ガスを用いれば二酸化炭素の排出量は約半分に抑制できます。また、排出される二酸化炭素を貯蔵するCCSと呼ばれる技術もあります。

 著者が推すのは炭素に適切な価格をつけることです。温室効果ガスの排出に適切な価格をつけることで石炭の使用を抑え、二酸化炭素の排出を押させる技術を導入させることは可能だといいます。

 ただし、それには全世界の国々の参加が必要です。著者の資産によれば全世界の国が参加して取り組めば世界総所得の1.5%程度の費用で気温上昇を2℃以内に抑えることが可能ですが、もし参加するのが世界の二酸化炭素排出量の50%を排出する国々だけであれば、気温上昇を2℃以内に抑えるコペンハーゲン合意の達成は不可能です(226p図表15-3参照、さらに18章では割引率を考慮に入れたモデルを紹介している)。

 

 炭素に価格を付ける方法としては炭素税と排出権取引の2つの方法があります(そしてこれ以外に選択肢はない(280p))。

 アメリカ政府の報告書では2015年時点で二酸化炭素1トン当たり約25ドルという価格が適当だとしていますが、これを2030年には53ドル/トン、2040年には93ドル/トンに引き上げていくことで気温上昇を2.5℃以内に抑え込むことができるというのです(モデルによって価格のブレはある、287p図表19−1参照)。

 炭素税と排出権取引の機能は基本的には同じですが、大抵の場合、経済学者は炭素税を支持し、交渉担当者や環境専門家は排出権取引を支持するといいます。排出権取引では価格が乱高下し炭素価格が安定しない恐れがあります、一方、炭素税は炭素価格を安定させる一方で排出量は安定しません(高い価格を払ってでも炭素を排出しようとする企業が出てくるかもしれないから)。

 また、税金は導入されにくく廃止されやすいという特徴があります。ですから、環境専門家などは排出権取引を支持するわけですが、著者はどちらでも構わないと考えています(302p)。

 

 しかし、京都議定書をはじめとして温暖化に対する国際的な取り組みはうまくいっていません。

 著者が主張するのはまず削減幅ではなく炭素の最低価格に合意することです。もちろん、国によって支持する価格は異なるでしょうが、削減幅の合意に比べれば容易だろうと考えられます。

 炭素税を用いるか排出権取引を用いるかは各国に任せます。 そして、違反国に対しては貿易と紐付けることによって(義務を果たさない国には関税(国境炭素税)を課す)温暖化対策へのただ乗りを防ぐのがよいとしています。

 

 さらに本書では第23章で温暖化防止技術について検討し、第24章では政治の問題、第25章では世論の問題までとり上げています。

 まさに「地球温暖化大全」と言っていいような内容です。とにかく社会科学的な視点から温暖化について知りたいのであれば、まずはこの1冊ではないかと。

 

 

ロナルド・イングルハート『文化的進化論』

 『静かなる革命』、『カルチャーシフトと政治変動』といった著作で、20世紀後半の先進国では物質主義的価値観から脱物質主義的価値観へのシフトが起こったということを主張したイングルハートが2018年に出版した著作の翻訳。

 この理論自体はすでに広く知られているものであったものの、ここ最近のトランプ大統領の誕生や欧州のポピュリズムにおいて、例えば、脱物質主義的価値観の特徴である環境保護や同性愛への寛容などにたいする反動が起こっており、「物質主義的価値観から脱物質主義的価値観へのシフト」という理論が反証されているようにも見えます。

 そんな中、本書にはトランプ大統領誕生以降のことについて書いた章もあることを知り読んでみました。20世紀後半の世界のトレンドを分析した章も面白いですが、やはり印象に残るのは近年の動きを分析した第9章「静かなる「逆革命」」と第10章「人工知能社会の到来」の2つの章。ここでもこの2章を中心に紹介したいと思います。

 

 目次は以下の通り。

第1章 進化論的近代化と文化的変化
第2章 西洋諸国、そして世界における脱物質主義的価値観の台頭
第3章 世界の文化パターン
第4章 世俗化は終焉を迎えるのか?
第5章 文化的変化、遅い変化と速い変化―ジェンダー間の平等と性的指向を律する規範がたどる独特の軌跡について
第6章 社会の女性化と、国のために戦う意欲の減退―「長い平和」の個人レベルの構成要素
第7章 発展と民主主義
第8章 変化する幸福の源
第9章 静かなる「逆革命」―トランプの登場と独裁的ポピュリスト政党の台頭
第10章 人工知能社会の到来

 

 イングルハートの基本的な考えは、生存への不安がなくなるにつれ、人々は物質主義的価値から脱物質主義的価値観を重視するようになるというものです。これは、欧米社会に見られるものではなく、全世界的に見られる現象だといいます。

 1970年代に、年長世代が物質主義的価値を重視しているのに対して、若者が脱物質主義的価値観を重視していることが発見されました。当時はそれを世代効果(歳をとるにつれて物質主義的価値観を重視するようになる)だと考える人もいましたが、調査を重ねる中で世代ごとに緩やかな脱物質主義的価値観へのシフトが起きていることが確認されています。

 

 もちろん、文化圏などによる差はあるのですが、高所得国では明らかに若い世代ほど生存価値よりも自己表現価値を重視していますし(59p図3-4参照)、高所得国では宗教を「非常に重要」と答える人が減り、代わりに友人を「非常に重要」と答える人が目立ちます(69p図4-2参照)。

 また、経済発展をしている国ほど、「離婚」、「妊娠中絶」、「女性に仕事」、「同性愛」といった事柄への寛容度が増しています(93p図5-1参照)。

 

 第6章では、戦争や暴力を忌避する「社会の女性化」という問題をとり上げています。一般的に個人選択規範が重視されるようになるにつれ、国のために戦いたくないと考える人が増えるわけですが、ここでは国のために戦いたくない人の割合が旧枢軸国(日本・ドイツ・イタリア)で予想される値よりも高く、PKOなどに積極的なスウェーデンノルウェーフィンランドといった北欧諸国で予想される値よりも低いことを示した113pのこの図6-1aが興味深いですね。

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第7章では、中国の民主化について次のように述べていますが、どうでしょう?

 中国の人々の自己表現重視の価値観は、チリ、ポーランド、韓国、台湾が民主主義に転じた際のレベルに近づいている。中国共産党が治安部隊をコントロールする限り、民主的制度が国家レベルで実現することはないだろう。しかし、自由化を求める人々の圧力は高まるだろうし、それを抑圧するのは経済効率や風紀の側面からコスト高となる。(142-143p)

(このコストが近年のテクノロジーの発達によって劇的に下がっているのではないか? ということを梶谷懐・高口康太『幸福な監視国家・中国』を読むと感じる。)

 

 第8章では幸福の問題を扱っていて、基本的には1人あたりのGDPが増加すると幸福も増加するが、その伸びは所得が増えるにつれて緩やかになります。そんな中で、特徴を見せているのが中南米の国々と旧共産国です(155p図8-3参照)。

 中南米の国は1人あたりのGDPから予想されるよりも幸福の度合いが高く、旧共産国は1人あたりのGDPから予想されるよりも幸福の度合いが低いです。著者は中南米では伝統的に神や国家への信仰が根強いが、旧共産国では共産主義イデオロギーの崩壊が尾を引いているのではないかと推測しています。

 

 さて、いよいよトランプの登場を扱った第9章の「静かなる「逆革命」」ですが、冒頭は次のように始まっています。

生存が当たり前と思えるようになると、人は新しいアイデアを受け入れ、外集団に対して寛容になる。生存が不安定だと逆の効果がある。すなわち権威(独裁)主義主義的反射行動が促され、人々は強力なリーダーを先頭に集団内結束を固める。(177p)

  これだけ読むと、「なるほどイングルハートも中間層の没落や貧困層の拡大をポピュリスト政党台頭の主因とみているのか」とも思えますが、読み進めていくと、そうではないことがわかります。

 

 以前から排外的なポピュリスト政党は存在しましたが、こうした政党が近年支持を得ているのは「経済的要因よりも、脱物質主義者や自己表現重視の価値観の台頭とリンクした文化的反動によるものだ」(184p)としています。

 「所得や失業率といった経済的要因は独裁的ポピュリストに対する支持の予測材料としては驚くほど弱い」(184p)もので、トランプへの投票も所得よりも年齢を見たほうが明らかな関連性があります(年齢が上がるほどトランプ支持が多い、185p図9-4a,b参照)。

 「32カ国を対象にした欧州社会調査データの分析によると、独裁的ポピュリストへの支持が最も高いのは、低賃金労働者ではなく小規模事業主である」(184-185p)とあるように、こうした政党の支持要因として強いのは所得よりも文化的な価値観です。

 

 こうなると、30年前よりも物質主義的を持つ人が減少し、脱物質主義的な価値を持つ人が増えているのに、こうした政党が支持を強めたのはなぜか?という疑問が浮かびますが、著者はこの要因が実質所得の定価と経済的不平等、そして移民の流入だといいます。これらの要因がポピュリスト政党に注目を集めさせる要因となり、これらの政党への支持を押し上げる効果があったと考えられます。「経済的要因は特定の人がポピュリスト政党に投票する理由の説明にはならないが、ポピュリスト政党への支持が昔より現在のほうが強い理由の説明にはなる」(189p)のです。

 

 さらに左派政党が非経済的な争点を重視し始めたこと、実質所得の減少と所得格差の拡大がこうした傾向に拍車をかけました。工業労働者の失業の要因は、グローバル化よりもオートメーション(自動化)の影響が大きいのですが、その不満の矛先はわかりやすい存在である移民に向けられています。

 

 ポピュリスト政党に対する支持が一時的なものに終わるのか長期的な影響力を持つのかはわかりませんが、人工知能社会の到来は失業とさらなる経済格差の拡大を生む恐れがあります。この問題を扱ったのが第10章です。

 50年前、米国最大の雇用主だったゼネラルモーターズの労働者の賃金は2016年のドル換算でおよそ時給50ドル相当でしたが、現在の最大の雇用主のウォルマートの時給はおよそ8ドルです(204p)。また、1979年のピーク時にゼネラルモーターズは約84万人の従業員を雇用し2010年のドル換算で約110億ドルを稼いでいましたが、2010年に140億ドル近い利益を生んだGoogleの従業員は約3万8000人です(206p)。つまり、一定以上の質の雇用が急速に失われているのです。

 

 そして、これは人工知能の普及とともにさらに加速すると考えられます。

 人工知能社会においても専門的な技能を持つ者は安泰だと考える人もいるかもしれませんが、現在すでに米国のロースクールの卒業生の4割が法学位を要する仕事に就いておらず、医師に関しても例えば画像診断などはインドへのアウトソーシングが進んでいます。さらにこのアウトソーシングはやがて人工知能に取って代わられるでしょう。

 こうした失業への対処としてベーシックインカムも考えられますが、現在のところ失業や労働からの離脱は幸福感の低下とつながっており、ベーシックインカムは最適な解決方法とは言えません。

 

 著者は期待しているのは「政治」です。ニューディールアメリカ社会を大きく買えたように、持たざる99%の政治的な連合が成立すれば、社会をより良い方向に変えていくことができるとしています。

 感情が絡む文化的な問題のせいで、この連合は成立していませんが、民主主義社会である限り、いつの日か99%の連合が成立するだろうというのが著者の見立て、あるいは希望です。

 

 最後の議論に関しては「結局、再び物質主義的価値観が重視されるようになるということなのか?」という疑問も残りましたが、さすが世界のデータを見続けてきた著者だけあって、ポピュリスト政党への見方はなるほどと思えますし、また、前半の章でも面白いデータを紹介していると思います。

 

 

 

 

Of Monsters And Men / Fever Dream

 1stは最高だったんですが、変にスケール感を出そうとした2ndはまったくの凡作だったと個人的には思うOf Monsters And Menの3rdアルバム。

 今作も基本的にはある程度のスケール感を追求した曲が多いです。1曲目の"Alligator"なんかはドラムで変化をつけていて面白いのですが、基本的にこのバンドはスケール感のある曲は向かないと思います。売れてしまったのでスタジアムでも映えるような曲をやる必要が出てきたんでしょうが、このあたりはジレンマですよね。5曲目の"Vulture, Vulture"も6曲目の"Wild Roses"もいい曲だとは思うのですが、こういう曲なら何もOf Monsters And Menがやる必要はないんではないかと感じてしまうんですよね。

 そんな中、7曲目の"Stuck In Gravity"と8曲目の"Sleepwalker"は少し落ち着いた感じでいいと思いますし、特に"Sleepwalker"のメロディはいいと思います。ただ、やはりアレンジはちょっとゴテゴテしすぎている感もある。

 やはり、1stの"Sloom"みたいな曲がほしいんですよね。

 

 


Of Monsters and Men - Alligator (Lyric Video)

 

 

劉慈欣『三体』

 ケン・リュウ『折りたたみ北京』などによって紹介してきた現代中国SFの大本命が登場。三部作の第一作にあたる長編ですが、なにしろ中国では三部作の合計で2100万部を売ったそうです。

 タイトルの「三体」が物理学の「三体問題」から来ていることと、『折りたたみ北京』に収録されていた「円」という短編が組み込まれていくことくらいしか予備知識をもたずに読み始めたのですが、冒頭はいい意味で裏切られました。

 

 冒頭に描かれているのは文革で糾弾される科学者の姿。この部分はリアリズム的に描かれており、文革期の狂気をストレートに見せています(中国語版は政治的な配慮からかこの部分が冒頭ではなく中盤に配置されているとのこと)。

 父を文化大革命で殺された女性科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)は、文革によって地方に追いやられ、失意の日々を過ごす中、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされるのですが、そこまではかなり政治的な匂いを感じさせます。

 

 ところが、ナノテク素材の研究者・汪淼(ワン・ミャオ)を主人公とする現代のパートになると、次々と起こる科学者の自殺、謎の会議、「三体」と呼ばれる謎のVRゲーム、史強(シー・チアン)という漫画的とも言っていい刑事と、エンタメ要素がてんこ盛りになります。

 そして、SFをの部分も、例えばイーガンのような理論に裏打ちされた驚きの展開というよりは、すごくスケールの大きな法螺話です。ただ、冒頭の文革のパートの影響もあって、その法螺話を読者に納得させます。

 この法螺話のスケールと、それを読者に納得させるすべにおいて、この小説は傑出していると言えるでしょう。

 三部作なので、最終的な評価に関しては何とも言えない部分もありますが、まずは面白いですし、とにかく続きが期待できます。

 

 

 

morningrain.hatenablog.com

『マーウェン』

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『フォレスト・ガンプ』のロバート・ゼメキス監督が、ミニチュアのG.I.ジョーのホーギー大佐と5人のバービー人形がナチス親衛隊と戦うジオラマを作り、それを写真として発表し高い評価を得たマーク・ホーガンキャンプについて描いた作品になります。

 マークは女性のヒールを集める趣味があり、それを酒場で見知らぬ男たちに知られたことから、「変態」としてリンチを受け瀕死の重傷を負い、さらに記憶まで失ってしまいます。いわゆるヘイトクライムにあたりますが、このヘイトクライムによるPTSDに苦しむマークがミニチュア写真と周囲の女性との交流により、徐々に精神の健康を回復していく話になります。マークを演じるのはスティーヴ・カレルです。

 

 こうした要素を書くと感動の大作としてヒットしそうな気もしますが、まったくヒットしていません。僕も上映が終わっちゃう直前にこの映画に気づいて、今日見てきました。アメリカでもヒットしなかったようです。

 おそらく受けなかった理由は単純で、マークが変な男であり、その変さストレートに描いているからです。マークがつくるミニチュアはマークをモデルにしたホーギー大佐を女性たちが取り囲み、ホーギー大佐に好意を抱く女性たちがホーギー大佐のために戦います。しかも、女性たちはマークの周囲にいる女性をモデルとしています。

 マークがその世界観を嬉々としてヒロインに語り引かれるシーンがあるのですが、誰だって引かれるでしょう。

 

 ただ、変人を「ピュア」として描かないで、その変人さをそのまま描いているところがこの映画の面白さでもあり、良い点でもあると思います。ある意味でオタクをありのまま描いた映画と言えるかもしれません。

 また、映画ではミニチュアが動いて、マークの作る世界を再現するわけですが、そのCGは面白いです。動きの質感とかは実写ともアニメとも違う不思議な感じになっていて、おそらくゼメキスはこれがやりたかったんではないかと思います。

 あと、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のファンにはサービシーンもあるので、それも楽しめると思います。