2019年の紅白歌合戦を振り返る

 あけましておめでとうございます。

 もはやこのブログの儀式とも言える年初の紅白振り返りです。

 今年も一昨年と同じく国民的なヒット曲が1曲もないという紅白スタッフにとっては危機的な状況。そんな中で取られた作戦は、とりあえずラグビー東京オリンピックで盛り上がっている感を出す。去年のヒット曲「パプリカ」と来年のヒット曲(予定)「カイト」という2つの曲によって今年の空白をごまかすという作戦。

 もちろんこの2曲はともに米津玄師で、もはや国民的ヒットを期待させる音楽家となったのだなぁ、と。ただし、「カイト」は1回聴いただけだとやや掴みづらい曲だったような気もします。

 

 全体的には第1部は綾瀬はるかのコントが1番良かったのではないかと思われるほど低調だったけど、第2部の最後の方は歌唱力のあるメンツを並べていてよかったのではないかと。

 個人的に1番良かったのは氷川きよし。わざわざ野沢雅子を呼んできての曲紹介からタイトル通りの限界突破なステージだったと思います。

 勝敗は、トリ対決からいうと紅でも良いような気がしましたが、まあ嵐が出なくなるまでは白が勝つんでしょうね。

 

 以下、各歌手の短評。

 

日向坂46→並んだ絵面から「ギャルは死んだ…」とつぶやきたくなった。

Hey! Say! JUMP→いなくても良かったオブ・ザ・イヤー

中元みずき→コーナーの中の1曲だけど、第1部では一番の迫力だったかも。

AKB48→各国からメンバーを集めて現地語で歌わせるというのは面白かったけど、同人柏木由紀を見つけたときのホッとした感。
山内惠介→キモさで勝負!のステージ。歌は覚えてない。
三浦大知→歌もダンスも相変わらず素晴らしいが、こうなると歌詞が弱いのがやや気になるか。
King Gnu→実は初めて聴きましたけど、オリジナリティもあってなかなかかっこよい。他の曲もちょっと聴いてみたくなった。
福山雅治→ちょっと老けてきた?
Little Glee Monster→もともとたいしてうまくはないと思っているんだけど、今回は下手にハモリを聴かせようとしたりしないで声量で押したのが良かった。
Official髭男dism→00〜10年代のバンドの良いところをうまく再構成した感じで、オリジナリティはないんだけど、島根大学から出てきたというところに好印象がある。
三山ひろし→もはやけん玉中継。そして一昨年の失敗を知る多くの国民が密かに「失敗したら面白い」という思いを抱いている中で、失敗してその邪悪な思いを大晦日の夜に解き放った86人目の人こそ日本における小さな「ジョーカー」なのかも。ただ、これで今年も出場確定でしょう。
椎名林檎→選曲の経緯は知りませんが、どうしても「日本郵政から番組に対して圧力を欠けられたNHKによる意趣返し」というイメージが…
関ジャニ∞ピカチュウ好きの長女も次女も楽しみにしてた。そして長女からは「前の人が邪魔」という言ってはいけない一言が…
ビートたけし→もちろんうまくはないんだけど、あの年齢にしてはいい声をしている。
石川さゆり→やや衰えを感じさせるステージだったかも。まあ、いい加減に「津軽海峡・冬景色」と「天城越え」の無限ループから開放していあげるべきだと思う。
RADWIMPS→楽曲としてはいまいち盛り上がりに欠ける♪愛ーにできーることーはまーだあーるかい♪じゃなくて、「大丈夫」にしたのは良かったと思う。
Superfly→さすがの排気量。一昨年ほどではないけど良かった。
菅田将暉→思ったよりも悪くなかったが、さすがに後ろすぎるのでは?
竹内まりや→さすがな部分はあるけど、別の歌を歌ってほしかった。
いきものがかり→非常に空虚な歌詞なんだけど、スケール感だけは抜群で、オリンピックの映像とかといっしょになるといい曲になる
ゆず→2曲目の歌はけっこう新興宗教チックだったような…。
氷川きよし→最初にも書いたようにMVP。小林幸子美川憲一も基本、衣装のわりに歌の内容がしょぼいんだけど、無駄にド派手なセットを完全に従える圧巻のステージだった。
MISIA→こちらもさすがの排気量。長女が創作ダンスを目の前で踊り続けていたので集中して見れなかったけど良かったと思う。
嵐→個人的には近年最高のサクラップ量で満足です。
 
 というわけでなんだかんだで今回も楽しめましたけど、第1部と第2部の格差は年々開いていて、どこで落ち着かせるのか、あるいは落ち着かせないのかということをもう少し考えてもいいのではないかと。
 あと、終わって気づいたけど今回は朝ドラコーナーがなかった。スピッツが出なくても「なつぞら」コーナーがあるかと思ったけど。
 

2019年ベストアルバム

 今年はあんまり新しいバンドなどを発見できずで5枚だけ。

 今年は洋楽はBig Thiefの年だったのではないかと。2枚組とか2枚同時発売とかは基本的に地雷だと思うのですが、Big Thiefは1年に2枚出していずれもクオリティが高いというなかなかできないことをやってのけました。Big Thief自体はちょっと前から知っていたのですが、アルバムを買い始めたのは今年から。もっと早くに本格的に聴いておけばよかったです。

 邦楽はふくろうずとチャットモンチーを失った穴をまったく埋めきれていない状況ですが、小沢健二の久々のアルバムは良かった。

 

1位 Big Thief / Two Hands

 

 

 「U.F.O.F.」の方を上位に上げる人も多いかと思いますが、個人的には2曲目の"Forgotten Eyes"と7曲目の"Not"はキャッチーさを買いました。比較的単純なメロディであっても、ボーカルのエイドリアン・レンカーが歌うとそこに激しい起伏ができるのがこのバンドの特徴で、繊細さと力強さの双方があります。

 

2位 Michael Kiwanuka / KIWANUKA

 

 

 ちょっとレトロな感じの音ではあるんですけど、ドラムはシャープですし、1つ1つの楽器にこだわりを感じさせます。もちろん、Michael Kiwanukaの歌もいいですし、曲も前半はやや弱く感じますが、後半が充実しています。

 特に8曲目の"Hero (Intro)"から"Hero"〜"Hard to Say Goodbye"〜"Final Days"の流れは素晴らしい! "Hero"のリズム感とギターのカッティング、そしてラストの盛り上がりは圧倒的なかっこよさです。

 

3位 小沢健二 / So kakkoii 宇宙

 

 

 いきなり、♪そして時は2020 全力疾走してきたよね/1995年冬は長くって寒くて 心凍えそうだったよね♪と強烈に90年代を思い起こさせる出だしで始まるアルバムですが、やはり90年代を強烈に意識させ、蘇らせるアルバムですね。

  そんな中で個人的に一番響いたのが、"アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)"。もちろん岡崎京子のことを歌っているからという部分も大きいですが、そういった背景は抜きにしても途中で入ってくるトランペットとかはここ最近聴いた曲の中でも屈指の美しさ。文句なしにいい曲だと思います。

 

4位 Ex:Re / Ex:Re

 

 

 DaughterのボーカリストElena TonraがEx:Reという名義でリリースしたソロアルバム。昨年の年末に出ていたようですが、今年に入ってから気づきました。

 Daughterというと、Igor HaefeliのギターとElena Tonraの声が売りなわけですが、今回はElena Tonraのソロということで、ギターはそれほど目立ちません。ただ、その分リズムに関してはかなり凝っていて、Daughterとはまた違った魅力的な音をつくり出していると思います。

 特に4曲目の"Romance"は暗めのメロディでありながら、リズムとアレンジで徐々に盛り上がっていくという6分を超える曲で、これはいいと思います。全体的に抑制されてはいるのですが、随所にエモさがかいま見えるところがこのアルバムを通しての良い所。

 

5位 Big Thief / U.F.O.F.

 

 

 こちらの方が先にリリースされています。いかにもインディフォークという音や曲なのですが、ギターやエイドリアン・レンカーの声によってときには曲を歪ませて思い切ったアクセントをつけてくるのがBig Thiefの面白いところ。

 繊細さでいうとこちらのアルバムが上で、特に11曲目の"Jenni"はエイドリアン・レンカーの声が切なく耳に響く名曲です。

 

 次点はThe National / I Am Easy To Find。いい曲もいろいろあるんですが、やや女性ボーカルをフィーチャーしすぎてアルバム自体はちょっとゴテゴテした感じになってしまった。

 

Michael Kiwanuka / KIWANUKAとKanye West / JESUS IS KING

 まずはMichael Kiwanuka / KIWANUKA。

 2016年のベスト1にこのMichael Kiwanukaの「Love & Hate」をあげたことからも、今作も非常に期待して、早くからAmazonでCDを予約していました。

 が、届かない…。 

 結局、12/24のクリスマス・イブまでまってAmazonから注文キャンセルのメールが届くという悲しい展開で、この前ダウンロードしました。

 で、今Amazonみたら普通にCDあるじゃん…。デラックス版を注文してたのか?

 

 というわけで、まだそんなに回数聴いていないんですが、これはいいのではないでしょうか。ちょっとレトロな感じの音ではあるんですけど、ドラムはシャープですし、1つ1つの楽器にこだわりを感じさせます。もちろん、Michael Kiwanukaの歌もいいですし、曲も前半はやや弱く感じますが、後半が充実しています。

 特に8曲目の"Hero (Intro)"から"Hero"〜"Hard to Say Goodbye"〜"Final Days"の流れは素晴らしい! "Hero"のリズム感とギターのカッティング、そしてラストの盛り上がりは圧倒的なかっこよさですし、つづく"Hard to Say Goodbye"ではゆったりとスケール感のある歌を聴かせ、"Final Days"はヒップホップのトラックのような感じで始まって、ちょっと複雑なリズムをバックに情感たっぷりに歌い上げるといった形で、ここの流れが非常によい。

 やはり良いアルバムだと思います。

 


Michael Kiwanuka - Hero

 

 

 

 

 つづいてKanye West / JESUS IS KING

 これも発売日にダウンロードしようとしたら延期になり、よくわからないうちに出ていたために、聴くのが遅れました。

 ジャンルはゴスペルになったのかな? という感じですが、前作の「 ye」の中でもピカイチだった"Ghost town"もジャンル不詳の曲でしたし、個人的には今作もそんな印象を受けました。

 今作の特徴は1曲1曲の短さで、11曲収録されているものの2分前後の曲が多く、トータル27分ほどです。だからやや物足りない面もあるのですが、個々の曲の音の使い方には流石と思わせるものも多いです。

 2曲目の"Selah"のインパクトのあるドラム、8曲目の"God Is"の後半で力強い歌声のバックに入ってくるちょっと抜けたような電子音(?)なんかは非常にうまいと思います。そして10曲目"Use This Gospel"の最後に入ってくる Kenny Gのサックスも当然のようにかっこいい。

 5曲目の"On God"あたりはカニエのラップも全編に渡って入っており、昔からのファンも満足する曲ではないかと思います。

 ただ、やはりアルバムとしては曲の短さもあってやや物足りない面は残る。

 


Kanye West - Follow God

 

 

2019年の映画

 去年に引き続き映画館で見た映画は13本。立川シネマシティ以外で2本見たというのが去年に比べると進歩と言えるかもしれない。その程度の映画熱ですが、毎年恒例でもあるのでベスト5を紹介します。

 

1位 『運び屋』

 

 

 まあ、自分はイーストウッド大好き人間なのですが、イーストウッド作品の中でもかなり良かったと思います。

 実在した90歳の麻薬の運び屋をモデルにしたこの映画は、「家族愛」の話として美しくまとまっていると考えることも可能ですが、『ミスティック・リバー』や『チェンジリング』で、ある種の「家族の怖さ」を描いてみせたイーストウッドだということを考えると、この映画も、裏社会に入り込み家族から完全に離脱したことによって家族が「外」になり、だからこそ家族に評価されることを喜ぶようになった男の物語とも読めますし、「家族愛」を隠れ蓑にした享楽を描いた映画といえるかもしれません。

 

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2位 『ホテル・ムンバイ』

 

 

 題材は2008年のムンバイ同時多発テロ。チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅、二カ所の五つ星ホテル(オベロイ・トライデントとタージマハル・ホテル)、ユダヤ教の礼拝所などがイスラーム過激派に襲撃されたテロ事件で、この中のタージマハル・ホテルが映画の舞台となります。

 ストーリーとしてはテロリストがホテルを占拠し、主人公であるホテルのレストランで働く給仕や、客であるインド人のセレブな奥さんとアメリカ人の旦那とその赤ちゃんとベビーシッターらが、なんとかしてテロリストから隠れ、そして脱出しようとする話なのですが、とにかく緊迫感があります。携帯などの使い方もうまく、現代におけるスリラー映画の傑作と言えるでしょう。

 

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3位 『ROMA/ローマ』

 

 これは公開時期的には2018年の作品になるのでしょうが、今年の5月に見たので。

 ストーリーは1970年代のメキシコシティを舞台に、中流家庭の白人一家に雇われている家政婦を主人公として、その日常と家族のドラマが描かれています。

 最初は年代を明示するような描写はないですし、物語がどのように展開するかもよくわかりません。主人公の働く家のガレージに残された犬のうんちと、主人公の恋人がフルチンで行う武術(カンフー?)が印象に残って、「これは妙な笑いを見せる映画なのか?」とも思いましたけど、後半になると一気に物語が展開します。

 撮影もうまいですし、後半の物語の見せ方もうまく、監督のアルフォンソ・キュアロンの確かな腕を感じさせる映画でした。

 

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4位 『天気の子』

 

 エンタメのとしての完成度は『君の名は。』に劣ると思いますし、新海誠作品で「世界か君」かどちらを選ぶとすれば、「君」の一択であってストーリーの大筋は見えるているんですけど、あのラストは力強い。まさにポスト東日本大震災の想像力だと思います。

 新海作品は、それこそ『秒速5センチメートル』に見られるような「あり得たかもしれない過去への諦念」のようなものがあるんだけど、今作はそれをしまいこみつつ、最後まで駆け抜けます。

 ただし、それでもこの物語の背景には、より大きな日本人の自然への諦念みたいのがあって、その「諦念」を帆高が「覚悟」に読み替えていくラストが上手い。

 

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5位 『家族を想うとき』

 

 ケン・ローチフランチャイズの宅配ドライバーのリッキーとその家族を描いたドラマ。見る前は邦題がダサいと思いましたが、見終わってみるとこれでいいのかもしれません。見た後にずっしりとしたものを残す社会派ドラマとなっています。

  リッキーの妻のアビーはパートタイムの訪問の介護ヘルパーの仕事をしています。イギリスにおける労働者階級を描いた映画は数多くありますが、本作の特徴はやはり両親の職業ということになるのだと思います。以前は炭鉱や工場といった第2次産業で働いていた人々は、その職場を失い、サービス業へとそのはたらきの場を移さざるを得なくなっています。

 かつて労働組合が戦って勝ち取ったはずのものが消え去ってしまった社会の理不尽さ、そして不正義を告発する映画となっています。

 

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 次点は『グリーンブック』。ものすごく脚本がうまくできた映画だと思いますが、好きかと言われれば、「まあまあ好きかな」くらいなので。

 

2019年の本

 毎年恒例のエントリー。今年はまず小説以外の本(と言ってもほぼ社会科学の本ですが)を読んだ順で9冊紹介します。

 小説に関しては去年は順位をつけませんでしたが、今年は順位をつけて5冊紹介します。

 ちなみに新書のほうは以下に今年のベストをまとめてあります。

blog.livedoor.jp

 

 

・ 小説以外の本

ジョージ・ボージャス『移民の政治経済学』

 

 

 移民は受入国にどんな影響をあたえるのでしょうか? 経済を成長させるのでしょうか? それとも減速させるのでしょうか? あるいは移民の受け入れによって損する人と得する人が出てくるのでしょうか?

 この本はアメリカのハーバード・ケネディスクールの教授で、長年移民について研究してきた著者が、移民のもたらす影響をできるだけ詳しく分析し、上記の問に答えようとした本になります。

 日本でもこれから「移民は是か非か」、「移民は日本経済を救うのか?」といった議論がなされていくと思いますが、この本を読めば、移民によって受ける影響は立場によって違うこと(基本的に労働者から企業への所得移転になる)、移民によって生み出される富もあれば受け入れの費用もあることなど、この議論が単純に割り切れるものではなく、慎重な対応が必要なものだということがわかるでしょう。

 

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善教将大『維新支持の分析』

 

 

 このブログのエントリーでも多くのブクマを集め、さらにはサントリー学芸賞も受賞したという話題の本。

 日本における「ポピュリズム」と言ったときに、多くの人の頭に浮かぶのが、おおさか維新の会でしょう。特に代表を務めていた橋下徹は多くの論者によって代表的な「ポピュリスト」と考えられていました。おおさか維新の会に関しては、「橋下徹という稀代のポピュリストによって率いられ、主に政治的な知識が乏しい層から支持を調達したのが維新である」というイメージは幅広く流通していたと思います。

 しかし、この本はそうしたイメージに対し、実証的な分析を通じて正面から異を唱えるものとなっています。サーベイ実験など先進的な手法を駆使しつつ、同時に著者の熱い主張も込められた本で、世間の印象論を見事に覆しています。

 また、著者のサービス精神も十分に感じられる本で、比較的見難いグラフが多い政治学の本の中で、この本のグラフの見やすさは特筆すべきものです(脚注にも著者のサービス精神は遺憾なく発揮されています)。

 

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 アレクサンダー・トドロフ『第一印象の科学』

 

 

 顔の不思議に迫った本。顔というのは本当に不思議なもので、顔を見るだけどその人の性格がわかったような気になることもありますし、ある種の強い印象を形成します。

 では、その印象は正しいのでしょうか? 本書では、顔からその人の性格・性質を読み解こうとした観相学を批判しつつも、それでも存在する顔から受ける印象のからくり、そしてその危険性についても分析しています。

 

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羅芝賢『番号を創る権力』

  

 

 スウェーデンや韓国やエストニアのように「国民総背番号制度」が確立している国がある一方で、日本ではその導入が遅々として進みません。本書は、その理由を日本の戸籍制度の変遷や情報化政策の影響、そして国際比較などを通じて明らかにしようとした本です。

 「国民総背番号制度」に対する反対として、まず持ち出されるのは「プライバシーの保護」で、日本における反対論でもたびたび持ち出されてきましたが、「日本人は他国の人々(例えばスウェーデン人)に比べてプライバシーの意識が高いために「国民総背番号制度」が成立しなかった」という理由ですべてを説明するのは苦しいです。

 この本ではそうした「プライバシーの保護」という「建前」に隠された制度的な理由を掘り出していきます。なお、著者名はナ・ジヒョンと読みます。

 

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ジェリー・Z・ミュラー『測りすぎ』

 

 

 民間企業だけでなく、学校でも病院でも警察でも、そのパフォーマンスを上げるためにさまざまな指標が測定され、その指標に応じて報酬が上下し、出世が決まったりしています。

 もちろん、こうしたことによってより良いパフォーマンスが期待されているわけですが、実際に中で働いてみると、「こんな指標に意味があるのか?」とか「無駄な仕事が増えただけ」と思っている人も多いでしょうし、さらには数値目標を達成するために不正が行われることもあります。

 この現代の組織における測定基準への執着の問題点と病理を分析したのが本書になります。著者は『資本主義の思想史』などの著作がある歴史学部の教授で、大学の学科長を務めた時の経験からこのテーマに関心をもつことになったそうです。本文190ページほどの短めの本ですが、問題を的確に捉えていますし、紹介される事例も豊富です。さらに、現在「新自由主義」という曖昧模糊とした用語で批判されている現象に対して、一つの輪郭を与えるような内容にもなっており、非常に刺激的です。

 

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遠藤晶久/ウィリー・ジョウ『イデオロギーと日本政治』

 

 

 まず、この本のインパクトは帯にも書かれている、「維新は「革新」、共産は「保守」」という部分だと思います。若年層に政党を「保守」、「革新」の軸で分類されると、日本維新の会を最も「革新」と位置づけるというのです(若年層といっても40代までは総分類する)。

 本書は、さまざまなサーベイなどを通じて現在の日本の有権者の政治意識を明らかにしようとした本で、「保守」と「革新」の話以外にも、なぜ若者が自民党を支持するのかといった問題も分析しています。若者は右傾化しているわけではなく、若者の選択肢が「自民か野党か」ではなく、「自民か無党派か」となっており、投票行動も「自民か野党か」ではなく「自民か棄権か」になっていることなどを明らかにしています。

 

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ウィリアム・ノードハウス『気候カジノ』

 

 

 2018年に気候変動を長期的マクロ経済分析に統合した功績によってノーベル経済学賞を受賞したノードハウスの著書。価格が2000円+税なので、「今までの研究のコアの部分を一般向けに簡単に語った本なのかな」と思って注文したのですが、届いてみたら450ページ近い分厚い本で、ほぼこの1冊で現状で明らかになっている地球温暖化問題について語れてしまうような本ではないですか! これはコスパが高いです。

 グレタ・トゥーンベリさんの活躍で今年注目を集めた地球温暖化問題ですが、その実情や総合的な対策の方向性を知るにはもってこいの本だと思います。

 

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 猪俣哲史『グローバル・バリューチェーン

  

 

 本書の冒頭にある問いは「iPhoneはメイド・インどこか?」というものです。USAでしょうか? チャイナでしょうか? それとも別の国でしょうか?

 iPhoneは一つの典型的な例ですが、現在の工業製品はさまざまな国から部品が集められ、中国などで組み立てられ、そして世界各地へ出荷されています。この国境を超えたサプライチェーンがグローバル・バリューチェーンです。

 本書は、このグローバル・バリューチェーンの実態とメカニズムを明らかにするとともに、副題に「新・南北問題へのまなざし」とあるように、今後の南北問題も展望しています。米中貿易摩擦を読み解く知見もありますし、非常に刺激的ですし勉強になる本です。難解で高度な分析も行っているのですが、それを図やグラフなどに落とし込むことで直観的にわかるようにしていることも、この本の優れている点と言えるでしょう。

 

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ジャスティン・ゲスト『新たなマイノリティの誕生』

 

 

 2016年に大西洋を挟んで起きたイギリスのBrexitアメリカの大統領選でのトランプの当選は世界に大きな衝撃を与え、この2つの事柄が起きた背景や原因を探る本が数多く出されました。

 本書もそうした本の1つなのですが、何といっても本書の強みは2016年以前からイギリスのイーストロンドンとアメリカのオハイオ州ヤングスタウン(金成隆一『ルポ トランプ王国』(岩波新書)でも中心的に取材していた場所)で白人労働者階級をフィールドワークしていたことです。つまり、ある意味でBrexitやトランプ現象を起こした地殻変動を予測していた本でもあります。

 白人労働者が感じている「剥奪感」に注目しながら、同時に彼らの声がまともにとり上げられなかった政事的背景に対しても踏み込んだ分析を行っており、読み応えがあります。特に彼らの生の声は問題の根深さを教えてくれます。

 

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・ 小説

1位 ハン・ガン『回復する人間』

  

 

 韓国の作家ハン・ガンの短篇集。「明るくなる前に」、「回復する人間」、「エウロパ」、「フンザ」、「青い石」、「左手」、「火とかげ」の7篇を収録しています。

 どれも良いのですが、特に冒頭からの3作、「明るくなる前に」、「回復する人間」、「エウロパ」には凄味がある。韓国文学という枠を超えて世界文学の文学史においても相当なレベルにある作品だと思います。

 設定などはありがちではあるのですが、そのどこにでもありそうな物語を語りながら、いつの間にか凄い境地に到達するというところは、ウィリアム・トレヴァーの小説を思い出させます。文体などは違うのですが、ハン・ガンもトレヴァーも、平凡に見える人間の内面に隠された執念、そしてその執念がもたらす痛みを描くのが抜群に上手いです

 

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2位 マイケル・オンダーチェ『戦下の淡き光』

 

 

1945年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した。

  この一文からこの小説は始まります。主人公のナサニエルと姉のレイチェルの前から両親が姿を消すのです。

 両親が子どもたちの世話を頼んだのは、主人公たちが「蛾」と呼ぶ謎の男で、そこに「ダーダー」と呼ばれる元ボクサーの男が加わります。

 舞台は1945年のロンドン。戦争が終わった直後、まだ戦争における非日常が残っていましたし、社会には戦争によってできたさまざまな穴が空いた状態でした。そして、人々はドイツの備えるために非日常の任務についていた過去を持っていました。そんな時代を背景にした冒険と秘密の物語です。

 

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3位 呉明益『自転車泥棒

 

 

 短篇集『歩道橋の魔術師』が非常に面白かった台湾の作家・呉明益の長編。

 作家である主人公が父の失踪とともに消えた自転車を探す物語で、出だしは無口な父をはじめとする主人公の家族と、家族の暮らしていた台北の中華商場(「歩道橋の魔術師」でも舞台となった場所)の様子が語られ、ある種のノスタルジックな話を想像します。

 ところが、中盤くらいになると、この小説はノスタルジックに過去を描く話ではなく、失われた自転車とともに台湾の歴史を掘り出そうというスケールの大きな物語であることが見えてきます。台湾の先住民、日本の統治、日本軍、国民党軍など、台湾の歴史をつくってきた様々な要素が積み上げられていくのです。

 『歩道橋の魔術師』に収録された短篇に比べると、決してバランスがよい小説とはいえないかもしれませんが、著者の執念のようなものがこもった、ずっしりとした読後感を残す小説です。

 

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4位 ケン・リュウ『生まれ変わり』

 

 

 『紙の動物園』、『母の記憶に』につづくケン・リュウの日本オリジナル短編集第3弾。相変わらず、バラエティに富んだ内容でアイディアといい、それをストーリーに落としこむ技術といい、さすがなのですが、何といっても面白いのが「ビザンチン・エンパシー」。

 チャリティー(慈善)において重視されるべきは共感なのか? 理性なのか? という古典的なテーマがこの小説の主題であり、そこで示される「テクノロジー+共感」というあり方が将来の中国社会の一端を示しているように思える点も興味深いです。

 

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5位 神林長平『絞首台の黙示録』

 

 

 優れた小説なのかどうかはよくわからないところがあるし、ミステリー小説ファンが読んだら怒り出しそうな結末だとは思うのですが、とにかく奇妙な小説。

 一応、主人公にそっくりなもう一人の自分が現れるという話なのですが、話の進行の仕方も道具立ても妙な小説で、奇想と言ってもいいかも知れません。国書刊行会がマイナーで変わった小説を集めた<ドーキー・アーカイヴ>というのをやっていますが、それよりもさらに奇妙な小説ですね。

 ミステリーとしても読めますが、そこにきれいな解決編はありません。ただ、変わった小説を求めている人には間違いなくお薦めできる本です。

 

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『家族を想うとき』

 ケン・ローチフランチャイズの宅配ドライバーのリッキーとその家族を描いたドラマ。見る前は邦題がダサいと思いましたが、見終わってみるとこれでいいのかもしれません。見た後にずっしりとしたものを残す社会派ドラマとなっています。

 

 映画はリッキーが宅配ドライバーの仕事を面接を受けるシーンから始まるのですが、そこで強調されるのは、これは雇用関係ではなく、個人事業主として契約するのだという言葉です。「自由にやれる」「がんばった分だけ稼げる」ということが強調され、リッキーはこの仕事を始める決心をします。

 ただし、日本のコンビニなどを見てもわかるように、この「自由」は建前に過ぎない場合も多いですし、「限界以上に頑張らなければ稼げない」ということを意味したりもしています。

 

 リッキーの妻のアビーは訪問の介護ヘルパーの仕事をしています。仕事はパートタイムですが、朝食・夕食の世話を中心に行っているために、朝は早く夜は遅いです。また、この映画ではヘルパーの感情労働としての一面が非常によく描かれており、現代の対人サービス業の苦しさというようなものを浮かび上がらせています。

 子どもは反抗期を迎えている長男のセブと、賢くて健気な長女のライザ。基本的にはこの家族4人が中心となってストーリーは進みます。

 

 イギリスにおける労働者階級を描いた映画は数多くありますが、本作の特徴はやはり両親の職業ということになるのだと思います。以前は炭鉱や工場といった第2次産業で働いていた人々は、その職場を失い、サービス業へとそのはたらきの場を移さざるを得なくなっています。

 この映画では、アビーが訪問先の老人たちと話すシーンがいくつかありますが、その1つの中で、アビーの勤務が7時半〜9時近くだと知り、「8時間労働じゃないの?」と驚くシーンがあります。また組合活動の思い出も語られたりするのですが、そうした労働運動の成果はいつの間にか消え去ってしまっているのです。

 

 リッキーの始めた宅配ドライバーも、個人事業主とは名ばかりで、持たされた端末に追われるかのように一日中荷物を配り続け、しかも休めば罰金という仕組みになっています。

 労働時間だけではなく、有給休暇、労災保険といった、今まで労働者が勝ち取ってきた権利もそこには存在しないのです。

 

 こうした現実を映画は描いていきます。ユーモアもありますし、楽しいシーンもありますが、ラストは苦いです。

 多くの監督であれば、ラストにそれなりの救いをもってきそうなものですが、おそらくケン・ローチは現実が変わっていないのであれば、その現実に沿った物語を描くべきだと考えたのでしょう。

 現代の問題電を鋭く切り取り、ずっしりとした印象を残す良作です。

 

ジャスティン・ゲスト『新たなマイノリティの誕生』

 2016年に大西洋を挟んで起きたイギリスのBrexitアメリカの大統領選でのトランプの当選は世界に大きな衝撃を与え、この2つの事柄が起きた背景や原因を探る本が数多く出されました。

 本書もそうした本の1つなのですが、何といっても本書の強みは2016年以前からイギリスのイーストロンドンとアメリカのオハイオ州ヤングスタウン(金成隆一『ルポ トランプ王国』岩波新書)でも中心的に取材していた場所)で白人労働者階級をフィールドワークしていたことです。つまり、ある意味でBrexitやトランプ現象を起こした地殻変動を予測していた本でもあります。

 白人労働者が感じている「剥奪感」に注目しながら、同時に彼らの声がまともにとり上げられなかった政事的背景に対しても踏み込んだ分析を行っており、読み応えがあります。

 そして何よりも、彼らの生の声を聞くことで、問題の根深さを知ることができる本でもあります。

 

 目次は以下の通り。

第一章 イントロダクション――ポスト・トラウマ都市における政治的周縁性
第二章 新たなマイノリティ――カウンター・ナラティヴとそのポリティクス
第三章 周縁からの眼差し――イーストロンドンでの社会的下降のポリティクス
第四章 没落のあと――オハイオ州ヤングスタウンにおける不安のポリティクス
第五章 崩れゆく組織と政党――一党体制・乖離・社会資本
第六章 アイデンティティ――文化と階級のプリズム
第七章 剥奪――社会的階層についてのもう一つの理解
第八章 周縁を測る――アメリカとイギリスにおけるラディカル右派支持
第九章 アンタッチャブルな人々――白人労働者たちは誰の声に耳を傾けるのか

 

 この本がとり上げているのはイギリスとアメリカにおける白人の労働者階級です。

 「アメリカン・ドリーム」という言葉があるように、イギリスはともかくとしてアメリカでは才能と努力で成功できるようなイメージがありますが、実は「アメリカとイギリスはOECD諸国の中で最も経済的流動性が低い」(3p)国であり、親の所得が子どもの所得を決定づけています。

 白人労働者層は政治においても見捨てられた、あるいは声をあげてこなかった集団で、「アメリカ人口の約50%が非大卒白人であるにもかかわらず、この集団は2008年の選挙では全有権者の39%しか、また、2010年選挙では35%しか占めてこなかった」(11p)のです。

 

 そんな白人労働者の姿を、本書ではイギリスのイーストロンドンとアメリカのヤングスタウンという2つのポスト・トラウマ都市から明らかにしようとしています。イーストロンドンは化学工場やフォードの工場とともに発展しましたが、70年代半ば以降、フォードの人員削減とともに衰退しました。ヤングスタウンは鉄鋼業で栄えた街ですが、こちらも1970年代末〜80年代に急速に衰退しています。そして、多くの中産階級が街から出ていくとともに、移民や非白人の集団が目立つようになりました。

 

 白人労働者階級の人々は、「自分たちの人口が一様に減少していると認識して」(35p)おり、「政府のみならず、大衆娯楽や公的制度、雇用においても、意見を聞かれなくなったり代表されなくなったりしていることに敏感になって」(36p)おり、「民族的マイノリティのみならず、ミドルクラスやアッパークラスの白人からも、意識的にせよ無意識的にせよ、先入観を持って判断されてばかりだと思って」(37p)います。

 そして、彼らは彼らを取り巻くシステムや価値観によって無力化されており、不満の政治的なはけ口を持ちません(本書の分析はほぼトランプ当選前に行われている)。

 

  第3章ではイーストロンドンのバーキングアンドダゲナムでのフィールドワークをもとにその実情が描かれています。

 バーキングアンドダゲナムは、もともと第1次世界大戦の帰還兵のために建設された住宅群で、1930年代にフォードが工場を建ててから人工が急増しました。ところが、この工場は1970年代から縮小され、2002年に完全に操業を停止します。そうした中で、バーキングアンドダゲナムでは白人のミドルクラスが流出し、移民や難民などが数多く住むようになったのです。

 

 本書ではここに暮らす白人労働者階級の声を拾っています。

 

EUは今イギリスへの移民を奨励している。ここが一番稼げる場所だから。でも私たちの国は働こうとしない怠け者をもうたくさん抱えているの。ある晩、バーキングの駅を降りたら十数人のルーマニア人の女性が子供たちといて。絶対に盗むを働いていたんだと思う。ルーマニア人はずるい人たちだわ。外に行けばハラル食品やら何やらうるさくてたまらない。まるでナイロビ郊外で暮らしているみたい」

「マギー・サッチャーがもし戻ってきてくれれば。彼女ならこの状況を何とかしてくれたに違いないわ」(74p、59歳の女性話)

 

「前は友達がたくさんいたし、子供たちのための集まりもあった。でもここで育ったのはみんな引っ越していった。働きづめの俺が銀行に行くと、数千ポンドを握りしめたアフリカ人がいて、ケニアかどこか、自分たちの国に送金してるんだ。なんで景気が悪いかって? みんな懸命に働いているからさ! 彼らの金は俺たちの国で使われないからさ」(77p、バーテンダーの男の話)

 

「私たちの祖先はこの国の自由を守るため、二度の世界大戦を戦いました。それは私たちが自分たちの国で二流市民に甘んじず、腐敗した組織であるEUの下僕に成り下がらないための戦いでもありました。私たちの祖先がドイツに侵略されないよに殉死したのに、私たちはドイツに支配されるEUの法律をそのまま受け入れています」(100p、バーキングアンドダゲナムの自治会で活動する女性がキャメロン首相に送った手紙の一節) 

 

 事実関係としては無茶苦茶な部分もありますが、上記の人々の声を読めば、バーキングアンドダゲナムの人々が時代に取り残されている様子がわかると思います。実際、2007年にバーキングアンドダゲナムの住民に調査を行い、「バーキングアンドダゲナムを良くするためにすべきことは何か」と尋ねたところ、最も多かったのは「50年前と同じようにすること」という回答だったそうです(87p)。

 時代の変化に取り残され、その変化を拒絶し続けているのが、バーキングアンドダゲナムの白人労働者階級の姿なのです。

 

 彼らの支持政党は当然労働党だったわけですが、ブレアがニューレーバーとして新自由主義的政策を取り入れたことは彼らの反発を呼びました。そして、その隙にこの地域に浸透してきたのがBNPイギリス国民党)です。移民排斥を訴えるこの政党が国政選挙で議席を取ることはありませんでしたが、2006年のバーキングアンドダゲナム地区の区議会選挙では12議席を獲得しています(92p、ここでは「市議選」となっているけど、ロンドン市議会の選挙ではないもよう。そして2010年の選挙ではすべての議席を失った)。

 労働党が移民に対して口をつぐむ中で、移民について積極的に語ったBNPが支持を得たのです。

 

 この地区の白人労働者階級の移民に対する規範や意識の一端は、例えば次の「レイシスト」という言葉にも現れています。 

ニキ:僕はレイシストではないけれども、解決策は[移民を]追い出すことさ。

ジョージ:僕はレイシストじゃないが、アルバニア人とアフリカ人が来るまで、ここはイングランド人たちにとって心地よいコミュニティだったんだ。

ブレイク:僕は全然レイシストじゃない。黒人のいとこや姪もいる。でもポーランド人は仕事を全部奪って、売春や麻薬密売網を一手に握っているんだ。

ジョエル:西インド人はいつも僕にヤギ肉入りのカレーを作ってくれる。僕はレイシストじゃない。だってヤギ肉入りのカレーが超好きだからね。ごめん、くだけた言い方で。でもイングランド人の家族が第一ん顧みられないのはおかしいと思うんだ。

パム:バスから降りるとき、誰も「ありがとう」とか「すみません」と言わないわ。でも私はレイシストじゃない。私には半分シーク教徒の孫がいるし、姪は黒人の男の子と付き合っているわ。(121−122p)

 

  これについて著者は、「彼らは、自分たちの人生がどう変わってしまったのかにつての真正な感情の発露としての考えが、不適切なものであることをよく知っている。ただし、レイシズムとの非難が、白人労働者階級の表現を抑圧し、彼らを役立たずと貶めるための手段になっていると感じられている」(122p)と分析しています。

 

 第4章ではヤングスタウンの実情が描かれています。最初にも述べたようにヤングスタウンは鉄鋼の街として栄えましたが、1970年代末〜80年代にかけて鉄鋼業が衰退し、人口は1/3近くに減少、1960年に80.9%を占めていた白人の割合は2010年には47.0%にまで低下しました(137p表4−1参照)。

 その様子は、例えば金成隆一『ルポ トランプ王国』でもうかがうことができるのですが、本書ではマフィアなどによって政治が機能していなかったその前史を詳細にとり上げることで、政治的な行き詰まりがより理解できるようになっています。

 

 ヤングスタウンの繁栄は19世紀半ばに始まりましたが、19世紀後半になるとストライキなども頻発するようになります。そうした中で街ではギャングたちが政治や経済に食い込んでいくこととなり、1960年代には繁栄を続けながらも「アメリカの犯罪都市」(131p)とのレッテルを貼られることにもなりました。

 この時代のヤングスタウンは「市役所を蚊帳の外に置いて、公共空間は三つの非政府組織によって支配されていた。マフィア、労働組合、そして製鉄会社である」(133p)といった具合だったのです。

 

 ところが、このもたれ合いは1977年9月19日の「ブラック・マンデー」(地元の工場の閉鎖が発表された)によって崩壊しはじめます。

 製鉄会社が闇社会に富を供給できなくなったことによって、公的部門での汚職が目立ち始めます。そして、企業や移動できる人々は去っていきました。空き家が犯罪活動の隠れ家となったことから、市は空き家の解体を進め、結果として空き地が目立ちつようになります。「組織犯罪の時代のほうがマシだった」(140p)と言い出す人物もいるくらいです。

 

 多くの白人労働者は失業したり、低賃金の仕事を渡り歩いているような状況なのですが、それでも、というより、だからこそ、彼らは福祉に嫌悪感を持っています。

 ヤングスタウンでは、受給資格要件をほぼ満たしかけている人々こそ、福祉への強い嫌悪感を持っている。[受給資格ラインへの]近さは、[受給者たちへの]関心や共感ではなく、より大きな怒りを生んでいるのだ。大半のインタビューで白人労働者階級の人々は、政府からの給付の受給者たちが行った選択と[彼らの)能力とを直接結びつけて語っている。いわく福祉受給者たちのように、自分たちも容易に「あきらめ」たり「システムを利用」したりできた[のにあえてしなかった]と考えているので、彼らはそうした選択に非常に不寛容である。(160p)

 

 と同時に彼らの批判の矛先は大企業などにはあまり向きません。「なぜなら、ウォルマートは医療費負担を行わないからこそ安くできる」(161p)のですが、彼らはそうした企業の顧客でもあるからです。

 また、彼らが「福祉」を批判するときに、そこに失業給付や障害給付、メディケイド、フードスタンプが入ることがまれで、批判されるのはもっぱら現金給付です。そしてこの現金給付はしばしばアフリカ系アメリカ人と結び付けられています。

 

 こうした人種や民族による分断は、製鉄会社が仕事を人種や民族ごとに割り振ったことも原因だといいます。白人労働者は鉄の成形部門、アフリカ系アメリカ人はコークス工場や溶鉱炉の仕事、アイルランド系は運搬部門といったような仕事の割当が行われていたのです(166p)。

 ここでもレイシズムはよくないという建前は共有されていますが、「黒人とは別に、ニガーというのがいるんですよ」(168p)、「ここのアフリカ系アメリカ人コミュニティには、ドラッグや婚外子といったギャング文化があります」「これは人種の問題ではありません。文化の問題なのです。だから、白人は市から出ていったのです」(169p)といったように、白人の人々からは人種差別的な発言が出てきます。

 

 一方、裏社会が顔を利かせるようなしくみは変わっていません。ヤングスタウンのあるマホニング郡民主党の議長を1977〜94年まで務めたドン・ハニ2世はこの地域の政事的ボスで情実共有のネットワークを取り仕切っていました。

 この地域の小さな会社を経営している人物は次のように語っています。

「人はそれを政治というのかもしれませんが、なにか面倒に巻き込まれたとき、[しかるべき]人を知っていたら逃れることができます。人を知ってさえいたら、望むものが手に入るのです。スピード違反のチケット、飲酒運転の罰金。私は、人を知っていました。今も知っています。」(176−177p)

 

 こうした風土の中から生まれた政治家が、『ルポ トランプ王国』でトランプを先取りした散財としてとり上げられていた下院議員のジム・トラフィカントです。彼は過激な言動で白人労働者階級の支持を集め、そして汚職や恐喝などの罪で失脚しました。

 民主党が圧倒的に強かったこの地域では、民主党ありさえすれば選挙に勝てるという状況で、その民主党は大手不動産会社のカファロ・カンパニーが取り仕切っており、「民主党はビル・カファロの道楽みたいなものです」(185p)との声もあるくらいです。

 こうした政治の機能不全を見ると、2016年にトランプがこの地域で爆発的な支持を得た背景も理解できてきます。

 

 イーストロンドンでは労働党が、ヤングスタウンでは民主党が圧倒的に強いことが、ここに住む白人労働者階級にある種の手詰まり感をもたらしている面もあります。彼らは政治において選択肢があるように思ってはいませんが、だからといって現状に満足しているわけではもちろんありません。

 福祉に対する嫌悪感も相まって、「自らの政治資本を抗議行動に転換する住民はほとんどいない。それなのに、彼らは依然として、絶対的な責任は政府にあると考えている」(207p)のです。

 イーストロンドンではこうした不満の受け皿にBNPがなったわけですが、とりあえず本書の執筆時点においてヤングスタウンには受け皿もありませんでした。

 

 本書の第6章では、こうした中で「白人労働者階級の人々が、強力な無産階級の一部として白人と団結しえた民族的・人種的マイノリティとの対立の中で政治的なアイデンティティを確立している」(239−240p)という説明について検討しています。

 この章のエピグラフには、19世紀のイギリス人労働者がアイルランド人労働者に対して抱いた「彼らはアイルランド人労働者との関係において、自分たち自身が国家を支配する一員であるかのように感じ、それゆえ自分自身を、アイルランドと敵対している自国の貴族や資本家の道具にしてしまう」(239p)というマルクスの言葉が使われていますが、まさにこのことが現代においても繰り返されているというのです。

 

 実際、イーストロンドンでは雇用主はみなアジア系という場合もあり、白人よりもアジア系が優先的に採用されるということもあるそうです(あくまでも地域の人の話ですが、245p)。

 ただし、この人種へのこだわりや移民への敵視は、以下の引用に見られるように想像的な要素が強いものでもあります。

 大部分がアフリカ系アメリカ人で構成される地域に住む回答者たちは、ヤングスタウンやイーストロンドンから郊外に去っていった白人たちよりも、黒人や外国人の近隣住民に対して親しみを感じると発言する傾向にある。だが、マイノリティ人口が少ない(しかし増加しつつある)地域に住む白人労働者階級の人々は、黒人や外国人の近隣住民に対してよりも、郊外に住む白人に対して親近感を感じる、と発言する傾向にある。(257p)

 

 しかし、大部分がアフリカ系アメリカ人で構成される地域に住む白人の多くは住心地がよいからとどまっているわけではなく、お金がないから引っ越せないと見るべきでしょう。

 一方、こうしたマイノリティや移民に囲まれて育った若い世代の中には、単純なレイシズムではなく、「徐々に不足しつつある権利や公的サービスへのアクセス権を得る前に、イギリスに居住し、時間やお金を費やすことを要求する」(264p)というポストレイシズム・ポリティクスとも言える考えが見られます。

 

 第7章は「剥奪」と題されており、白人労働者階級の階級意識とその変容が分析されています。

 白人労働者階級は以前からアンダークラスではありましたが、同時に自らが「働いていること」を誇りにし、あるいは一種の「反知性主義」によることで自らの自尊心を培ってきました。

 イギリスでは特にこうした白人労働者階級向けの福祉や制度が構築されたこともあって、彼らが社会の「主流」であるかのような幻想も生んできました。

 また、アメリカでは「アメリカンドリーム」という言葉が、厳しい格差から目をそらさせる役割を果たしてきたということもあります。

  

 289pにバーキングアンドダゲナムの白人労働者階級の人々が描く社会階層図が載っています。これは同心円状に影響力の強い人々を内側、弱い人々をその外側に描いていくものですが、これによると中心には貴族、そして専門職などがいて、自分たち白人労働者階級はマイノリティ/移民の外側に位置づけられています。

 同じくヤングスタウンの社会階層図では(295p)、富裕層が中心にいるのですが、1つの例では次に福祉受給者、ミドルクラス、労働者階級となっているものもあります。

 イギリスでは階級意識が強く、階級間の移動がほぼ想定されていないのに対して、アメリカでは経済力が社会における影響力を決定づけている感じです。ただし、これが福祉における現金給付を問題視する風潮にもつながっているのかもしれません。

 

 そして、この社会階層図における自分たちがいるべき場所と自分が今実際にいる場所にはギャップがあり、このギャップが大きいほど反システム的な政治行動を取る可能性が高まるとのことです(302p)。

 イーストロンドンではこのギャップが大きい層はBNPの支持などへと流れましたが、ヤングスタウンではアメリカンドリームという信念がこれらのギャップの拡大を押さえていると著者は見ています(308p)。

 

 第8章ではそうした剥奪感が政党や政治家への支持にどの程度影響しているのかを雲分析しています。

 2015年にネットを通じて行われた調査で、どのような調査だったのか少しわかりにくい部分もあるのですが、その結果をまとめた317p表8−1をみると、イギリスのUKIPへの支持と社会的・経済的剥奪感が関連しており、アメリカに関しては文脈付けられた社会的剥奪感(この文脈付けられたという部分はいまいちよくわからなかった)がティーパーティーへの支持と、経済的剥奪感がトランプ支持と関連しています。

 この章の分析は全体的に少しわかりにくいところがあるのですが、さまざまな剥奪感がラディカル右派の支持へと向かわせる要因となっていることを指摘しています。

 

 第9章ではトランプ当選を受けて、その理由や白人労働者階級をどう考えていくべきかということが書かれています。

 ここでは、とりあえず最後に次の文章を引用しておきます。 

 白人労働者階級の行き場をなくした世界観を見れば、共和党民主党も、彼らをどうすれば動員できるか、戸惑うことだろう。だからこそ、彼らは見放され続けてきたのだ。(350p) 

 

 本書の最後には白人労働者階級にどうアプローチすべきかという提案も行われていますが、本書を読めば、この「行き場をなくした世界観」という表現がしっくりと来ると思います。 

 もちろん経済的な格差は問題なのですが、では再分配や福祉を充実させれば彼らの支持を得られるかというとそうではないのでしょう。彼らがかつて持っていた「労働者としての誇り」は、人種的なアイデンティティと絡まり合って、反動ともいうべき価値観を形成しています。

 バーキングアンドダゲナムを良くするのはどうしたらよいのか? という問いに対して「50年前と同じようにすること」という答えが最も多かったという話を引用しましたが、彼らを完全に救済するにはまさにタイムマシンが必要なのです。

 

 本書を読んで思い出したのがバリントン・ムーアJrの『独裁と民主政治の社会的起源』。各国の近代化の過程を追いながら、その違いと帰結を論じるもので、「なぜ、ドイツや日本ではファシズムが生まれたのか?」、「なぜ、ロシアや中国で社会主義革命が起こったのか?」という歴史上の難問に答えようとした本ですが、ポイントの1つが農民層が解体していく過程において、ファシズムが生まれたという考えを提起している点です(20世紀にすでに農民層が解体しつくされていたイギリスではファシズムは力を持たなかった)。

 この『独裁と民主政治の社会的起源』の議論をあてはめて考えると、今まさにアメリカやイギリスでは製造業で働くブルーカラーという階層が解体しつつあり、それがBrexitトランプ大統領を生んだのではないかとも思えます。

 日本でポピュリズムの旋風が起こっていないのは、移民が少ないからということもあるのでしょうが、それとともに製造業がなんだかんだといって根強く、まだブルーカラーという階層の解体が始まっていないからなのかもしれません。

 

 

 バリントン・ムーアJr『独裁と民主政治の社会的起源』に関しては、最近文庫化されました。