エリカ・フランツ『権威主義』

 ここ最近、民主主義をテーマにした本が数多く出版されていますが、民主主義ではない政治というのは一体どんなものでしょう?

 本書は、その「民主主義ではない政治」である権威主義について語ったものになります。オックスフォード大学出版局の「What Everyone Needs to Know(みなが知る必要のあること)」シリーズの1冊で、「権威主義とはどんなもので、どんな特徴があるのか」ということを総合的に論じています。

 一口に権威主義といっても、プーチンエルドアンのようにわかりやすい「強いリーダー」がいるタイプもあれば、クーデターによって軍政となったタイやミャンマーのようにトップの姿が見えにくいタイプもあります。

 本書は「こういった違いをどう考えればいいのか?」という問いだけでなく、「民主主義はどうやって権威主義体制に移行するのか?」、「権威主義体制はどのように崩壊するのか?」といったさまざまな問いに答えてくれる本です。

 

 目次は以下の通り。

第1章 序論
第2章 権威主義政治を理解する
第3章 権威主義体制の風景
第4章 権威主義リーダーシップ
第5章 権威主義体制のタイプ
第6章 権威主義体制の権力獲得のしかた
第7章 生存戦略
第8章 権威主義体制の崩壊のしかた
第9章 結論

 

  権威主義の特徴の1つがその多様性です。北朝鮮のような独裁者のもとで厳しい統制が敷かれているような国もあれば、シンガポールのようにある程度の自由は認められている国もあります。

 また、権威主義は権力の所在に関して秘密主義的なところがあって、例えば、金正恩が祖父の金日成に比べてどれだけ独裁的な権力を行使しているのかはよくわかりません。また、ロシアでは2008〜12年にかけてメドベージェフが大統領になりましたが、多くの人はプーチンが権力を握り続けていると考えました。このように権威主義の内実は非常に見えづらくなっています。

 

 そこで、本書では以前は「権威主義体制」、「独裁」、「専制」などと呼び分けられていた体制を一括して権威主義体制として扱っています。

 「統治する者が競争的な選挙を通じて選ばれること」を民主主義体制とした上で、それ以外の体制を幅広く権威主義体制として扱うアプローチです(19p)。本書が扱う期間は第2次世界大戦後であり、その時期に関して「権威主義データセット」を構築し、さまざまな分析を行っています。

 

 まず、第2章では権威主義体制の動きは、リーダー、エリート、大衆の3つのアクターの相互作用によって成り立つと書いています。

 リーダーは権力の座にとどまることを望み、自分を支持するエリート集団を構築しますが、同時に自らを権力の座から引きずる下ろす可能性があるのも、このエリートです。軍が権威主義的リーダーを追放して、新たなリーダーを据えるということは、しばしばみられるものです。

 一方、大衆がリーダーを引きずり下ろすケースも、「アラブの春」のようにないことはないですが、どちらかというとまれなことです。

 また、権威主義リーダーと権威主義体制を区別することも重要です。権威主義リーダーが追放されてもすぐに同じようなリーダーが現れることも多いですし、イランでは、1979年のイラン革命でシャー(国王)による権威主義体制が倒れたあとに、全く別のタイプの権威主義体制が確立しました。

 

 第3章では、どのような国や地域で権威主義体制がみられやすいかということが分析されています。

 まず、基本的に貧しい国ほど権威主義体制になりやすい傾向があります。50pの図3−1をみると豊かなのに権威主義体制という例外的な国もポツポツと見られますが、シンガポールを除くといずれも産油国です。

 ハンティントンは民主化の3つの波を指摘しましたが、データから見ると、民主化の数が最も多かったのが1990年代、民主主義の後退の数が最も多かったのが1960年代になります(57p図3−2参照)。

 地域的な動きを見ると、冷戦終結後にラテンアメリカ権威主義体制が減少したのに対して(2014年時点でキューバベネズエラの2カ国のみ)、世界の権威主義体制の1/5が中東・北アフリカ地域に集中し、アジアでも増加が見られます(61p)。

 

 第4章では権威主義リーダーについて分析されています。

 権威主義リーダーは自らの権力の維持を図りますが、その権力は特にエリートによって脅かされています。特に軍のクーデタは最も警戒すべきもので、だからこそ権威主義リーダーは軍の掌握に気を配ります。軍の人事に介入し、軍人を優遇し、ときには親衛隊をつくるなど軍とは別の部隊をつくるのです。

 多くの権威主義リーダーはその権力を「個人化」しようとします。できるだけ多くの権限を個人の手中に収めようとするのです。

 例えば、中国では毛沢東が権力の個人化を進めましたが、毛沢東の死後にはそのレベルは低下し、そして習近平になってから再び個人化が進む兆しが見られます。

 権威主義リーダーは、自らの取り巻きであるエリート集団の範囲を限定し、有力ポストを身内や忠誠心の高いもので固め、ときには新たな政党や政治運動を組織し、また、国民投票を利用し、新たな治安部隊を創設したりして、権力の個人化を推し進めます。

 しかし、こうして確立された個人独裁はあらゆる権威主義体制の中で最も汚職にまみれやすく、国家間紛争もおこしやすいとされています(73p)。個人独裁はイエスマンに取り囲まれているために判断を誤りやすいとも言われます。

 

 さらに厄介なのは個人独裁は崩壊時にもっとも民主化に移行しにくい体制だといいます。サダム・フセインカダフィの退場後に残されたのは大きな混乱でした。

 権威主義リーダーはクーデタなどによって強制的に、あるいは辞任や軍事評議会での合意などによって退出します。また、在任中に死を迎えることもあります。1960年代まではクーデタによる退出が圧倒的多数でしたが、クーデタの減少とともに、辞任などに「通常の」退出が増えています(78p図4−1参照))。

 退出後の権威主義リーダーは殺されたり処罰されたりする可能性が高いですが、この恐れが他国への侵略などのギャンブル的行為を生み出すこともあります。

 そして、意外なのは独裁者の死が体制崩壊をもたらさないことです。チャベスが死んでも、金正日が死んでも権威主義体制が維持されたことはそれを物語っています。

 

 第5章では、権威主義体制のタイプが論じられてます。

 アフリカ南部のジンバブエボツワナはともに権威主義体制ですが(ボツワナに関しては民主主義体制だと捉える人もいるが、本書では選挙の不公正さから権威主義体制と見ている(86p))、ジンバブエムガベの無茶苦茶な政治によって腐敗もひどく、経済も崩壊したのに対して、ボツワナは腐敗が少なく、経済も順調に成長しています。

 ボツワナもそうですが、現在の権威主義体制の多くは、複数政党を認め、選挙を行っています。もちろん、支配政党に有利なように仕組まれているのですが、表面的には民主主義国家と大きく違わないような国も多いです。

 権威主義体制と民主主義体制は連続しており、本書でもポリティ・データセットや、フリーダム・ハウスの政治的権利と市民的自由の指標などを使って、その程度を把握しています。例えば、ベネズエラは05年までは民主主義でそれ以降は権威主義という位置づけになります(90p)。

 

 本書では権威主義の類型として、「軍事独裁」、「支配性党独裁」、「君主独裁」、「個人独裁」とういうタイプをあげています。

 軍事独裁は軍部が支配権を有する権威主義支配であり、リーダー個人よりも軍部という集団が権力を握っています。ですから、本書によるとリビアカダフィ政権はカダフィが軍服を着ていたものの、軍事独裁ではなく個人独裁に分類されます。軍事独裁ラテンアメリカで数多く見られますが、この背景には冷戦の影響があります。

 支配性党独裁は1つの政党がリーダーの選択と政策選択を支配しているスタイルで、シンガポールなどがこれにあたります。

 個人独裁は権力が特定のリーダーの手中にあるタイプです。かつては貧しい国に多いタイプでしたが、かつてのスペインや、近年のトルコ、ロシアなどそこそこ豊かな国でも出現します。

 

 タイプ別の特徴としては、個人独裁は紛争を引き起こしやすく、核開発に投資しやすく、インフレになりやすく、経済成長と投資が低迷しやすいです。しかし、経済危機に直面しても体制が転覆しづらい体制でもあります。これはリーダーを支える集団が小さいので、経済が危機に陥ってもその集団が無事であれば政変が起きにくいのです。

 一方、軍事独裁のリーダーは最も短命で、さらに体制自体も短命に終わることが多いです。

 タイプごとの割合としては、まず君主独裁は中東とスワジランドでしか見られません。そして、冷戦の激化によって増加した軍事独裁は、冷戦終結とともに減りつつあります。支配政党独裁が最も一般的なタイプですが、社会主義の崩壊とともその数は減っています。一方、近年では個人独裁が増え、支配政党独裁と並びつつあります(106p図5−1参照)。

  

 では、権威主義体制はどうやって権力を獲得するのかを分析したのが第6章。その方法には、王族による世襲、クーデタ、反乱、民衆蜂起、権威主義化(現職者による権力奪取など)、支配集団の構成ルールの変更、大国による押し付け、の7つがあるといます。

 例えば、同じ南米でもチリのピノチェト政権はクーデタによるもので、ペルーのフジモリ政権は選挙で勝利し、その後、1992年の「自主クーデタ」で議会を閉鎖し、権威主義化しました。大国による押しつけは、ソ連による東ドイツの建国やアメリカ占領後、1966年にドミニカ共和国で成立したバラゲール政権などがあり、民衆蜂起の例はイラン革命後のイランなどがあります。構成ルールの変更は少しわかりにくいですが、例えばイラクバース党からエリートを排出する体制からフセインの個人独裁へと移行しました。

 

 この割合ですが、冷戦期はクーデタが多かったものの、現在は減少傾向で、代わって権威主義化が増加傾向です(114p図6−1参照)。見方を変えると民主主義の後退が見られるわけで、トルコのように権威主義体制になった国もあれば、フィリピンやポーランドのように権威主義体制に近づいている国もあります。

 この権威主義化の兆候として、本書では現職者に中世が厚いものを高位の権力、特に司法に配置すること、検閲やジャーナリストの逮捕などによるメディアの統制、選挙規定の操作、憲法改正、反対派への訴訟などがあげられます。

 近年ではポピュリズム権威主義の足場になることも多いです。ポピュリストは、リダーのみが国家を救うことができる、伝統的な政治家は腐敗している、メディアや専門家は信用できない、といったメッセージを使って権力を掌握しようとしますが、この道は権威主義化に通じます。 

 

 第7章では、「生存戦略」と題して権威主義体制がいかにして体制存続を図るかということが分析されています。

 わかりやすいのは「抑圧」で、武力を使った弾圧や公開処刑といった高烈度のものから、反対派の監視、訴訟、ジャーナリストなどへの短い期間の拘留といった低烈度のmのまであります。

 この抑圧の手法は進化を遂げており、弾圧のために体制からは名目上独立したアクターを利用したり(2009年の大統領選後のイランでは抗議運動を義勇軍からなる準軍事組織のバスィージが弾圧した)、ジャーナリストや野党を訴訟で黙らせたり、ネットへの監視を強化したりするようになっています。

 

 抑圧以外に使われる手段が「抱き込み」です。これは体制への支持への見返りとして財やサービス、地位などを分配します。

 抱き込みの利点は、これを使って反対派の分断を図れるところであり、また不満がエスカレートするのを防げることです。弾圧は、ときに火に油を注ぎますが、抱き込みはそうした心配が少なくて住みます。

 権威主義体制でも議会が開かれ、選挙が行われるのも、この抱き込み戦略の1つで、選挙では出馬できる者とできない者の分断を図り、議会では反対派の取り込みが行われます。「政党、議会、選挙などの政治制度を有する独裁は、そうでない場と比べてより長期間権力にとどまることが明らかにされ」(144p)ています。この理由として、「人気がある(が離反の可能性もある)体制エリートを監視できたり、反対派人物を国家機関に引き入れ、明るみに出すことができるので、独裁にとってもっとも脅威となる反対者をあぶりだすことが用意になる」(146p)といったことが考えられます。

 こうしたこともあり疑似民主制度をもつ権威主義体制の国は80年代から増加傾向にあります(148p図7−1参照)。

 

 第8章では権威主義体制の崩壊を扱っています。

 権威主義体制の崩壊の仕方は、クーデタ、選挙、民衆蜂起、反乱、支配者集団の構成ルールの変更、大国による押しつけ、国家の解体の7つで、第6章の権威主義体制の権力の獲得の仕方とほぼ同じです。

 構成ルールの変更の例としては、スペインのフランコ政権からの民主化への移行があり、大国による押しつけの例はアメリカのパナマ侵攻によるノリエガ政権の打倒、アフガニスタンタリバン政権の打倒、国家の解体の例は、ソ連の解体や南ヴェトナムの崩壊などがあります。

 

 では、崩壊の仕方のトレンドはというと、以前はクーデタが目立っていましたが、冷戦後では選挙による崩壊が目立つようになっています(153p図8−1参照)。

 権威主義体制のタイプに注目すると、最も崩壊しやすいの軍事独裁です。これは体制エリートが軍部の一員として軍の存続を最優先するためで、そのためにリーダーがすげ替えられますし、また、メンバーも体制崩壊後には軍部に復帰できると考えています。

 一方、支配性党独裁では、支配政党の下野は多くのエリートの失職を意味します。エリートが自らの利益のために体制維持に協力するので、その寿命は長いです。

 また、個人独裁のケースもエリートはリーダーと一蓮托生であるため、軍事独裁よりも長く存続しやすいです。

 権威主義体制が崩壊する引き金としては、経済の低迷や、内戦、国家間紛争などがあげられます。

 

 権威主義体制の崩壊というと、すぐに「民主化」という言葉が頭に浮かびますが、1946〜2014年の間、権威主義体制崩壊後に新たな権威主義体制が発足したのが約半分、民主主義体制への移行が約半分となっています(161p)。

 民主化と政治的自由化は同じような意味で捉えられることが多いですが、著者はこれを混同するのは危険だといいます。政治的自由化、選挙の導入や議会の設置などはしばしば権威主義体制の強化と結びついており、かえって権威主義体制を強化することもあるからです。

 体制の移行の仕方に関しては、体制移行時に暴力があったケースは民主化する確立は40%、非暴力であった場合は54%と、暴力を伴う移行では民主化の可能性が下がります。

 権威主義体制のタイプでは、軍事独裁が最も民主化する確率が高いですが、これは先程も述べたように軍のエリートは身を引きやすいからです。

 

 権威主義体制に与える影響という点から言うと、天然資源は民主化を抑圧するというよりは、その富で取って代わろうとする権威主義集団を抑え込むことにつながるといいます。

 制裁は個人独裁のリーダーシップに打撃を与えますが、民主主義体制への移行の可能性を高めるかは不明です。援助は支配性党独裁に関しては民主化をもたらす可能性が高く、政治的な自由度を高める可能性がありますが、全体的に民主化の見込みを高めるかどうかは不明です。

 

 このように、本書は権威主義を幅広く網羅的に論じています。似たテーマを扱った本にブルーノ・ブエノ・デ・メスキータ&アラスター・スミス『独裁者のためのハンドブック』がありますが、こちらのほうが訳文がわかりやすいこともあって、理論的な理解は進むと思います(『独裁者のためのハンドブック』の方が「読み物」としては面白い面かもしれませんが)。さらに著者と交流のある東島雅昌の解説もついています。

 日本は、周囲に中国、ロシア、北朝鮮という権威主義体制の国を抱えていますし、タイはクーデタで軍事政権となり、フィリピンもドゥテルテのもとで権威主義化が進んでいます。

 ここ最近、民主主義をテーマにした本がいろいろと出版されていますが、その反対物である権威主義を知ることも同じように重要になってくるでしょう。本書は、権威主義を理解する格好の入口となる本です。

 

 

『花束みたいな恋をした』

 数々の良質なドラマの脚本を書いてきた坂元裕二によるオリジナル・ストーリーですが、まずはやはり脚本がうまい。

 主人公は菅田将暉演じる麦と有村架純演じる絹。この2人のまだ学生だった20代前半から5年ほどの彼らの歩みを描いているのですが、彼らはともにいわゆる「サブカル系」で、麦の本棚には大友克洋の『童夢』や松本大洋の『鉄コン筋クリート』が並んでいます。今村夏子をはじめとして好きな小説も重なっています。

 2人は偶然出会い、そして同好の士であることを発見して惹かれ合うのですが、お互いが同好の士であることを知るのは、たまたま終電を逃した者同士4人でカフェ(?)に入ったところで、近くの席に押井守(!)がいることを麦が発見したことからです。

 一緒にいた男は押井守といってもピンとこず、麦に「映画とか見ないんですか?」と言われると、「ちょっとマニアックな映画が好きで『ショーシャンクの空に』が好きだ」といったことを言います。さらに一緒にいた女性は実写版の『魔女の宅急便』の話しをしはじめます。そして絹はもちろん押井守に気づいています。

 ここで、麦が「戦っている」相手を示してそのポジションを明確化するとともに、麦と絹の共犯関係を作り上げて、2人の距離を一気に縮めます。このあたりの脚本は非常にうまくて、とにかく本作では全編にわたって固有名詞の使い方が冴えています。

 

 絹はイラストレーターを目指してイラストを描きつつも、ガスタンクの写真や動画を撮ったりしていますし、絹はラーメンブログを書いたりしています。2人ともクリエイティブな仕事をしたいと思いつつも、何かやりたいこと、自分にしかできないことが定まっていない状況です。麦も絹も「何者かになりたい」といった状態です。

 同好の士を見つけた2人は、好きなものを共有できる幸福の中で同棲を始めます。ただし、その同棲生活は2人が就職をすると徐々に輝きを失っていきます。麦は会社の仕事や「責任」といったものを内面化し始め、サブカルを楽しむ余裕を失っていくのです。そして、そんな麦に絹は不満を覚えるようになっていきます。

 

 ストーリーの説明はこのくらいにしておきますが、未見の人でもある程度の流れを想像できるような話だと思います。「自由」な若い2人の日常が、しだいに「生活」に押しつぶされていくというのは昔からよくある話ではあります。

 ただし、そのあたりを両義的に描いているのが特徴であり、うまさだと思います。

 基本的に本作は、何かクリエイティブに生きたかった若者2人の夢が破れる悲劇ととれます。しかし、同時にそんな2人が悲劇に陥らなかった物語ともとれるのです。

 麦の先輩にクリエイターとして一定程度の成功を収めた先輩がいるのですが、彼は恋人に水商売をさせたり殴ったりもしていました。一方、麦は絹に暴力をふるったりしなかったですし、絹が麦への不満から不倫に走ったりすることもありません。陰惨な悲劇は回避されているのです。

 

 また、ラストに関しても、2人の出会いの「奇跡」は実はありふれたものだった、ととることも可能ですし、自分たちと同じような若いカップルを見ることで、改めて自分たちの出会いの「輝き」(決して「奇跡」ではなかったのかもしれないけど)に気づいたともとれるでしょう。

 

 40代の自分は上記の点で、両方とも後者の解釈をとりますけど、このあたりは世代によって受け止め方は違うのではないかと思います。

 いろいろと考えたり、過去を振り返ってみたくなる映画ですね。

 

 

坂口安紀『ベネズエラ』

 副題は「溶解する民主主義、破綻する経済」で、中公選書の1冊になります。

 ベネズエラに関しては、コロナ前に経済がほぼ崩壊しているといったニュースが流れていました。その後、コロナ禍の影響でベネズエラに関するニュースは減っていますが、この状況で経済が好転しているとは思えません。

 

 ただ、それにしても産油国であるベネズエラの経済がどうしてここまで悪化してしまったのでしょうか?

 ベネズエラは世界最大の石油埋蔵量を誇る産油国であり、天然ガスボーキサイトなどの資源も豊富です。実際、ベネズエラは80年代なかばまではラテンアメリカでもっとも豊かな国の1つで、民主体制を維持していました。

 しかし、2014年以降の経済状況は特にひどく、2014年から7年連続のマイナス成長、しかも2017年からはマイナス二桁の成長でGDPは3年間でほぼ半減しました。国民の貧困率は9割を越え、産油量もチャベス政権誕生前の1日あたり300万バレルから、2020年5月には62万バレルと1/5近くに激減し、産油国でありながらガソリン不足に苦しんでいます(5p)。

 いくらチャベスやその後継のマドゥロの政策が悪かったといえども、完全な内戦状態というわけではなく、石油を掘り出しさえすれば一定の収入が得られる産油国で、この数字はちょっと信じられない気がします。

 

 本書はこの疑問に答える本です。

 チャベスマドゥロ政権について、それを生み出した社会的背景や思想的背景にも触れながら、この20年間の軌跡を追い、経済が破綻した理由を説明しています。

 筋の悪い政策というのはどこの国にも見られるものですが、ベネズエラはまさに段違いの筋の悪さであり、ある意味で政治の怖さを教えてくれる本と言えるかもしれません。

 

 目次は以下の通り。

プロローグ
第1章 チャベスと「ボリバル革命」
第2章 チャベスなきチャビスモ、マドゥロ政権
第3章 革命の主人公たち
第4章 ボリバル革命と民主主義
第5章 国家経済の衰亡
第6章 石油大国の凋落
第7章 社会開発の幻想
第8章 国際社会のなかのチャビスモ
エピローグ

 

 チャベスは1992年に当時のペレス政権の打倒を目指してクーデターを起こしますが、失敗し、逮捕されます。94年に恩赦で釈放されると、今度は選挙による政権奪取を目指し、98年の大統領選挙で下馬評を覆して勝利します。

 ここからチャベスは長期政権を築いていくわけですが、まず、行ったのが改憲とそのための制憲議会の創設でした。チャベスは国会を二院制から一院制にして議員を減らし、大統領の任期を延長して再選を可能にし、国民投票制度をつくりました。

 そして、制憲議会を使って国会を牽制し、2000年の国会議員選挙でチャベス派が勝利すると、裁判所、検察、選挙管理員会などの人事をチャベス派で固めていきます。

 チャベスは大企業や富裕層を敵視するとともに、国民の半分以上を占めていたインフォーマル部門の人びとの支持を背景に、労組も攻撃しました。

 

 2001年、チャベスは大統領授権法を使って、農地の接収が可能になる土地改正法など社会主義的な経済関連法を成立させます。

 ベネズエラ国営石油会社(PDVSA)の人事にも介入しますが、これに反発したPDVSAの職員などがデモを行い、そこから反チャベスの大規模でも起こります。そして、ついに2002年4月12日未明にはチャベス大統領が辞職したことが発表されますが、代わって暫定の大統領となった財界出身のペドロ・カルモナは事態を収拾できず、2日後にはチャベスが帰ってきます。チャベスは敵失もあって最大の危機を脱したのです。

 

 この後、チャベスは反チャベス派に投票した市民を差別したり、野党を威嚇したり、マスメディアを閉鎖するなどの権威主義的な手法で権力を維持していきます。

 また、2003年以降、1バレル100ドルを超えるようになった原油価格もチャベスにとっては追い風となりました。04〜07年までは10%を超える高成長となり、石油収入を使って貧困層向けの住宅建設、無償教育、無償医療、低価格食料品などの「ミシオン」と呼ばれる社会開発プログラムが行われました。こうしたプログラムの恩恵を受けた人々がチャベスを支持したのです。

 しかし、2011年にチャベスにがんが見つかり、2012年の3月5日に死去します。

 

 チャベスの跡を継いだのは副大統領のマドゥロですが、もともとはそれほど目立たないチャベスに忠実なことが取り柄と行った人物でした。また、原油価格の低迷で経済が行き詰まったこともあり、2015年の国会議員選挙でチャベス派は大敗します。

 しかし、マドゥロ最高裁を使って国会の決定を無効にし、予算も国会ではなく最高裁に提出されるなど、混乱が続きます。2017年3月には最高裁が国会の権限を剥奪し、最高裁がこれを代替すると発表しましたが、ルイサ・オルテガ検察庁長官の反対もあって、さすがに撤回されましたが、今度は制憲議会を使って国会の無力化を図ります。

 2018年の大統領選は有力な野党候補の立候補を封じることで勝利しますが、選挙の不正を訴えるグアイドが支持を集め、暫定大統領として動き出します。アメリカなどの各国がグアイドを支持したこともあり、マドゥロは窮地に陥りますが、2019年5月の軍への呼びかけが失敗し、マドゥロ政権はしぶとく権力を維持しています。

 

 第3章ではチャベスの思想的な背景を探っていますが、シモン・ボリバルのような英雄志向を持った軍人が、左翼活動家の影響のもと、クーデター失敗後にカストロの歓待を受けたことから次第に社会主義に傾倒していったという感じです。

 一方、マドゥロは出生から謎に包まれており、実はコロンビア出身で大統領になる資格がないのではないかとも言われています。マドゥロは24歳のときにキューバで1年間思想教育を受けており、このキューバとの近さが後継者となった理由の1つなのかもしれません。

 

 第4章ではチャベスが大統領選に当選した背景が分析されていますが、ここでは既成政党の失策が目立ちます。既成政党への支持が鈍る中で、1998年の大統領選では、アウトサイダー政治家で、ミスユニバース世界大会優勝者のイレーネ・サエスが有力だったものの伝統的な政党であったキリスト教社会党がサエス支持に回ったことで、サエスは失速。さらにチャベスの有力な対抗馬だったエンリケ・サラス・ロメルも伝統政党の民主行動党が支持に回ったことで票を失ったとも言われています。

 ベネズエラではキリスト教社会党と民主行動党が二大政党を構成しており、1958年に結ばれた「プント・フィホ協定」で、選挙結果の遵守やコンセンサス政治の実現、政治ポストのシェアなどの取り決めを行って安定した政治を行ってきましたが、80年代以降になると原油価格の低迷とともに、これが既得権益と映るようになり、それを打破する強いリーダーが求められたのです。

 

 こうして誕生したチャベスは「強いリーダー」だったかもしれませんが、既得権益だけでなく、民主主義や経済までも破壊してしまいました。また、軍人が大臣や知事のポストに就くなど、新たな既得権益が生まれています。

 チャベスは国会を軽視する一方で、「参加民主主義」を唱えて公共政策気化器地方評議会(CLPP)や地域住民委員会などを設置しましたが、社会主義化が進むにつれて、これらの組織は支配の末端組織となりつつあります。

 さらにマドゥロ政権になってからは選挙の不正もさらに増えているようで、情報機関による反対派の弾圧なども激しさを増しているようです。

 

 結局は経済も破壊してしまったチャベスですが、政権についた初めの3年間は財政規律を重視しており、外資の導入も積極的でした。99年にはNY証券取引所で取引終了の鐘を笑顔で鳴らしています(131p)。

 しかし、03年ごろから穏健な経済政策を棄て始めます、これは02年に政権を2日間追われたことなどを背景に、貧困層からの支持を得るためでした。一方で、このころから原油価格の上昇で財施拡大の余地が生まれ、チャベスはそれを社会主義的な政策につぎこんでいくことになります。

 チャベスは国家財政だけでなく、PDVSAに政府の借金を肩代わりさせると行った手法や中央銀行への介入によってさまざまなプロジェクトに使う資金を調達しました。さらに、石油収入の一部を国家開発基金という組織に回して国会の審議や承認なしに資金を使いましたが、その一部はアルゼンチンなどの南米左派政権の国債購入や、破綻前のリーマンブラザーズ株の購入などにも当てられていたといいます(136p)。さすがに、ここまでひどい投資は想像を超えるものです。

 また、中国から巨額の借り入れを行い、将来にわたって石油の現物で返済するという仕組みをつくりましたが、これが現在のマドゥロ政権の重荷となっています。

 

 チャベスは企業の国有化や土地の接収なども行いましたが、国有化された企業の施設の稼働率は低迷し、製鉄とアルミ精製というベネズエラの資源を生かした産業はほぼ壊滅しました。

 財政の拡大はインフレを招き、マドゥロ政権になってからハイパーインフレに突入し、通貨の信認は失われています。もはやデフォルト寸前で、2019年5月の報道で中国に対して135億ドル、ロシアに対して30億ドルの債務支払が滞っていると言われています(151−152p)。

 食料品や医薬品の不足も深刻で、もはや海外にすむ親戚などが送ってくれる物資が命綱となっています。政府は仮想通貨「ペトロ」を発行したりもしていますが、むろん信頼できるものではありません。

 

 第5章では、ベネズエラの石油産業の特殊性が指摘されています。ベネズエラは現在、世界最大の石油埋蔵量を誇りますが、それは東部のオリノコ川流域で超重質油の油田が確認されたためです。

 しかし、この超重質油は比重がきわめて重く流動性が低くて流れません。そこで比重を軽くして混合物を取り除く改質プロセスを挟むか、比重の軽い原油で希釈する必要があります。

 このためコストが高く、原油価格が低迷していた時代は開発が進みませんでした。90年代になって外資を誘致して開発が進みますが、この超重質油を安定的に輸出するのは改質設備を適切にメンテナンスしたり、希釈用の原油を輸入することが必要になります。つまり、ベネズエラの石油産業はただ掘り出せばいいというものではないのです。

 ベネズエラの石油はPDVSAが独占していますが、PDVSAもオリノコ超重質油の開発には外資との合弁で臨みました。

  

 ところが、チャベスはPDVSAを支配下に収めるために経営陣やベテラン技術者を追放します。さらにPDVSAの資金を吸い上げたことから、メンテナンス投資も十分に行えない状況となり、石油生産は低迷していくことになりました。

 また、欧米の外資との合弁は打ち切られ、ロシアや中国、あるいは南米の企業が参加します。輸出先も距離的に近いアメリカの割合が減り、インドや中国が増加しています(180p表6−4参照)。ベネズエラに太平洋への出口はないにもかかわらずです。

 さらに制裁によってアメリカからの原油輸出が禁止されたことにより、希釈用の原油も入ってこなくなりました。結果的に原油生産はチャベス政権誕生時の1/5近くにまで落ち込んでいます。

 

 それでも、社会主義政策を進めたのだから格差は縮小したのでは? とも思うかもしれませんが、そこも怪しいものです。

 確かに先程も述べたようにベネズエラでは「ミシオン」と呼ばれる社会開発プログラムが行われ、貧困層へさまざまなサービスが行われました。教育や医療に関しては、キューバに石遊を送る代わりに医師や教師を送ってもらうということが行われています。

 ただし、その運営は不透明で、多くの汚職も生みました。また、このミシオンはチャベス支持者のためという性格が強く、ミシオンでつくられた住宅に反チャベス派が入居することは困難です。ミシオンでつくられた住宅はチャベス派のコミュニティとなるのです。

 マドゥロ政権になると、電子チップ入りの愛国カードが作られ、そこには支持政党も登録するようになっています。

 

 それでもチャベス政権の前半は貧困率は低下しました。貧困率は1998年上半期の49.0%から2007年上半期には27.5%まで低下し、絶対貧困率も21.0%から7.6%に低下しました。しかし、2013年以降は再び拡大し、2015年下半期以降は指標が公表されていません(197−198p)。

 人間開発指数で見ても2008年までは他のラテンアメリカ諸国よりも速く伸びたものの、2013年以降は低迷し、2018年にはラテンアメリカ主要国の中で最低水準まで低下しています(203p図7−3参照)。

 また、治安状況も急速に悪化しており、2000年代以降、世界でも2〜3番目に殺人発生率が高い国となっており、2016年のデータでは殺人発生率は56.3で南アフリカ(34.0)やブラジル(29.7)を大きく上回ります(205p)。警察や司法の機能低下も深刻で、犯罪者は逮捕されず、逮捕されたとしても判決が下りない状況が続いています。

 

 第8章ではベネズエラの外交がとり上げられていますが、これを読むとやはり重要なのはキューバで、チャベスマドゥロキューバの強い影響を受けていますし、キューバにとってもマドゥロ政権が倒れれば石油が入ってこなくなるということから両国にとって重要な関係です。軍やインテリジェンス機関に関してもキューバ人による訓練が行われているようですし、ベネズエラ軍にキューバ軍人がすでに入っているとの情報もあります。

 キューバ以外だと中国とロシアがベネズエラを支えていますが、経済的な先行きの不透明性から中国が新規の援助に及び腰なのに対して、ロシアは依然として積極的な態度を見せています。

 そんな中で、ベネズエラからはすでに510万人が国外に脱出しており、シリアの560万人につづき、世界第2位の難民発生国となっているのです(238p)。

 

 このように本書はベネズエラの破綻ぶりを余すことなく書き記しています。ニュースなどでそのひどさは知っていましたが、こうしてまとまったものを読むと、政治や経済において「やるべきではないこと」「やってはいけないこと」をひたすらやってきたのがチャベスマドゥロの20年だったということがわかります。 

 チャベスはワシントン・コンセンサス的なものを打破する存在として人気を集めました。既得権益を打破し、既存の国際体制にチャレンジするチャベスに期待を寄せた人もいると思います。

 ただ、本書を読んで改めて思うのは、既存の体制を破壊すれば新しい体制が自然に生まれるわけではないことと、そして制度を破壊する力を特定の個人に与えてしまう怖さですね。

 

 

 

川島真・森聡編『アフターコロナ時代の米中関係と世界秩序』

 新しく始まった東京大学出版会の「UP plus」シリーズの1冊目の本。タイトル通りに、コロナ禍の中の、あるいはコロナが収まったとしてその後の米中関係を中心とした世界秩序を占う本になります。

 形式としては、まず、縦書き3段組の対談が2本載っており、その後に2段組で論文が15本収録されています。読んだ印象としては単行本というよりはムック、あるいは特集を中心とした季刊くらいの雑誌に近いイメージです。

 以下の目次を見ればわかるように、米中関係を政治と経済の両面で捉えつつ、さらにその新たな対立の場となるサイバー空間や宇宙、そして、対立の中でどうこうどうかが問われる欧州、オーストラリア、韓国などの周辺地域を、それぞれの専門家が論じています。まさに「多面的」であり、読み応えのある1冊です。

 

 目次は以下の通り。

米中対立とアフターコロナ時代の「まだら状」の世界秩序(対談:川島 真×森 聡)

I 米中対立をどう捉えるか――両国の意図と地政学  
 米中関係と地政学(対談:高原明生×森 聡/司会:川島 真)
 アメリカの対中アプローチはどこに向かうのか――その過去・現在・未来(森 聡)
 対立への岐路に立つ中国の対米政策(増田雅之)

II 米中対立の諸相
 断片化する国際秩序と国際協調体制の構築に向けて(秋山信将)
 米中通商交渉とその課題――「デカップリング」は現実的か(梶谷 懐)
 技術革新とディカップリング――中国からの視点(津上俊哉)
 米中ハイテク覇権競争と台湾半導体産業――「二つの磁場」のもとで(川上桃子
 米中サイバー戦争の様相とその行方(大澤 淳)
 アフター・コロナ時代の宇宙開発(鈴木一人)

III 世界から見る米中関係
 EU・イギリスから見る米中関係(遠藤 乾)
 ドイツから見る米中関係――変容する国際環境にEUと臨むドイツ(森井裕一)
 イタリアにおける救済者の国際政治――米欧から中国への移行?(伊藤 武)
 ポーランド政治の表層に見える二分化と入れ替わる歴史解釈(宮崎 悠)
 豪州から見た米中関係――「幸福な時代」の終焉(佐竹知彦)
 韓国から見た米中関係――対米外交と対中外交との両立模索(木宮正史)

「まだら状」の流動的秩序空間へ――米中相克下の世界秩序(川島 真)

 

 これほどの情報量を全部見ていくのは無理なので、個人的に興味を持ったところを拾っていきますが、まず、米中対立はもはやトランプという個性に駆動されたものではなくなっているということが押さえておくべき点でしょう。

 米中の間で関税の掛け合いがなされていたころはトランプという特異なキャラが煽っている対立という印象もありましたが、「中国製造2025」や2018年の習近平の任期を延長可能にする決定は、アメリカの中枢に中国は異質で封じ込めるべきものだという判断をもたらしました(ただし、中国側から見るとアメリカが突然変化したということになる)。森聡は「中国が変わるという期待をワシントンが棄てた」(14p)と述べていますが、そういうことなのでしょう。

 

 もちろん、中国にとっては対米関係の安定は重要で、「国内のリスクに直結しているのはやはり対米関係」(高原明生,33p)なのですが、逆にアメリカでは「安定した米中関係の中にこそ中国リスクがある」(森聡,34p)という見方が出てきており(安定した米中関係を中国が悪用して台頭してきた))、まさにこじれた状況なのです。

 こうした中で、厄介な状況に追い込まれるのは米中の狭間の国々です。「かつてシンガポールリー・クアン・ユー首相が言ったように、米中という二頭の象がけんかをしてもメーク・ラブしても芝生は傷つく」(高原,41p)わけで、例えば、日本にとっては「日米同盟、日中協商」(高原,41p)がベストですが、そうそう上手くいくものでもないでしょう。一方、途上国からすると、「民主主義」や「人権」をうるさく言わずに援助してくれる国として中国が現れたと捉えている国もあります。

 

 中国の外交姿勢の変化を分析したのが増田雅之「対立への岐路に立つ中国の対米政策」ですが、ここでは習近平政権になってからの大国意識の高まりを指摘するとともに、2014年の「アジアのことは、つまるところアジアの人々がやればよい」(79p)という習近平の発言を紹介しています。「アジア」の範囲はともかくとして、中国は周辺地域に関して「アメリカ抜き」でやりたいという意思を持っているのでしょう。

 そうした中で、今までは経済が米中関係の安定のベースにあったはずですが、現在では経済こそが問題の火種となりつつあります。

 

 その経済について論じているのが、梶谷懐と津上俊哉の論文ですが、両論文でもいわゆる「デカップリング」の問題がとり上げられています(津上論文は「ディカップリング」表記)。

 アメリカの一部では中国をグローバル・バリュー・チェーンアメリカ中心の経済体制から切り離すデカップリングが論じられていますが、アメリカ企業も中国に対しては「VIEスキーム」を使って多くの投資を行っており、これを中国政府が禁止すれば米国企業の今までの対中投資は無になりかねません。デカップリングはかなり大きな痛みを伴わざるを得ないのです(梶谷論文)。

 

 津上論文ではアメリカのデカップリング政策が中国や日本に与える影響が検討されていますが、例えば、ファーウェイへの厳しい措置がかえって中国をかたくなにさせるというのはその通りでしょう。「「強大な外敵に攻撃されても屈服せずに抵抗を続ける」ことが「中国人のあるべき姿」としてテンプレート化されている」(119p)のです。

 ファーウェイの排除は日本などの半導体産業や5Gの普及にも悪影響を与えるかもしれませんし、また、現在の中国のイノベーションの様子などを見ると、締め上げればイノベーションが止まるというわけでもないでしょう。ただし、著者は中国における有料私営企業や外資企業に対する党の干渉の強化にも懸念を示しています。

 

 つづく川上桃子「米中ハイテク覇権競争と台湾半導体産業」では、TSMC(台湾積体電路)を中心に米中対立の間にある台湾の半導体産業が分析されています。

 台湾の半導体産業は米国への留学者を中心に発展してきましたが、近年では市場として、あるいは後工程を中心とした生産拠点として、さらには台湾のハイテク人材の転職・就職先としても中国の存在感が増しています。そして、この人材の移転とともに機密が中国へ流出するようなことも起こりました。

 それでも、TSMCアメリカの強い影響下(ここではアメリカが「管制高地」を握っていると表現されている)にあります。TSMCの顧客の6割は米国企業で、製造ラインは米系装置メーカーがなければ成り立たないものなのです。

 

 大沢淳「米中サイバー戦争の様相とその行方」と鈴木一人「アフター・コロナ時代の宇宙開発」は、「これからの戦場はサイバースペースだ!宇宙だ!」と言われる中で、じゃあ、どんな戦い、どんなリスクがあり得るのかということを教えてくれる内容になっています。

 

  遠藤乾「EU・イギリスから見る米中関係」、森井裕一「ドイツから見る米中関係――変容する国際環境にEUと臨むドイツ」、伊藤武「イタリアにおける救済者の国際政治――米欧から中国への移行?」、宮崎悠「ポーランド政治の表層に見える二分化と入れ替わる歴史解釈」は、いずれもヨーロッパから米中関係を眺めた論文になりますが、これらを読むとドイツを除けば、対中関係が対EU関係の強い影響を受けていることがうかがえます。

 

 まず、遠藤論文に欧州全体の対中・対米観が紹介されています。ピュー・リサーチセンターの世論調査によると米中への好感度はドイツ人で39:34とかなり接近していますが、フランスでは33:48、イタリアでは37:62とアメリカがリードしています(168p図表3参照)。ただし、トランプと習近平の比較だとドイツ、フランス、さらにはイギリスでも習近平の方が信頼できるという数字が出ています(169p図表4参照)。

 米欧関係はオバマ大統領の時代からそれほど親密なものではありませんでしたが(欧州はオバマの重点地域ではなかった)、トランプによって、それは「事実上の撤退からさらに進んで、規範的な撤退までに及」(170p)びました。

 こうした中で、欧中関係は進展しましたが、コロナ危機によって中国との世界観の差が露わになり、関係の進展がこのまま進むような状況ではなくなっています。

 

 森井論文でとり上げられている、ドイツにとって中国は最大の貿易相手であり、メルケル首相のもとでも中国との関係の緊密化が進みました。しかし、2016年のドイツの産業ロボットメーカーKUKAの中国による買収などをきっかけに中国を警戒する風潮も強まり、2019年に欧州委員会と外務安全保障上級代表が共同で出した対中政策文書では、中国を「体制上のライバル」と位置づけていますが、ドイツでもそのような見方が強まっています。

 今後のドイツに関しては、コロナ禍で支持を取り戻したCDUがどういった路線の取るかとともに、その連立パートナーとなる可能性が高い緑の党が影響を与えると考えられます。現在のハーベック緑の党共同党首の発言をみると、さらに厳しい対中政策をとる可能性が高く、特にウイグル問題や香港問題でより強い態度を取る可能性があります。

 

 伊藤論文がとり上げるイタリアでは、まず深刻化するコロナ危機の中で無策なEUに対する批判が強まりました。こうした中で中国がマスクなどを提供したことにより、中国への期待が高まりました。欧州外交評議会の調査でもイタリアの中国への期待が表れています(197p図1,2参照)。

 ただし、20年の7月になるとテレコム・イタリアがファーウェイの排除を示唆するなど、中国に対する警戒感を示す動きも出てきます。本論文では「アリーナとしてのイタリア」(199p)という言葉が使われていますが、中国(あるいはロシア)が「ヨーロッパの弱い環」(202p)としてのイタリアに対して、直接世論に働きかけるような形で揺さぶりをかけてくることが考えられます。

 

 ポーランドについて解説した宮﨑論文は、基本的に2020年に行われたポーランドの大統領選を解説したもので、対中関係についての分析は基本的にはありません。ただし、当選したPiS(「法と正義」)のドゥダ大統領は反EU的な立場からトランプ大統領と親密な関係を築いていた人物で、トランプ退陣後にどのような外交を構想するかは1つの注目となるでしょう。

 

 佐竹知彦「豪州から見た米中関係――「幸福な時代」の終焉」と木宮正史「韓国から見た米中関係――対米外交と対中外交との両立模索」ではオーストラリアと韓国がとり上げられていますが、両国とも日本と同じく理想は「対米同盟、対中協商」ということになるでしょう。

 しかし、オーストラリアではその理想は崩壊しつつあります。以前のオーストラリアは米中対立に「巻き込まれる」ことを懸念していましたが、中国企業によるインフラの買収や中国からのサイバー攻撃によって対中関係は悪化し、コロナ危機後の中国のオーストラリアに対する反発と報復的な措置によって両国の関係はきわめて険悪なものとなりつつあります。こうした中で2020年7月に豪州国防省が発表した『戦略防衛アップデート』では国防費の増額や国内防衛産業の育成など、アメリカ頼りにならない安全保障政策が志向されています。

 

 こうした状況は韓国も同じですが、地理的に近い分、より強い中国からの圧力を受けることになります。韓国としてはなんとしても米中両国との関係を維持したいところですが、米中関係は韓国の力だけでどうにかなるものではありませんし、北朝鮮との関係改善も米中関係が険悪なままでは難しいかもしれません(ただし、木宮論文で指摘されているようにアメリカが「北朝鮮の中国離れ」を狙って非核化交渉などを進める可能性はある)。

 著者は最後に米中関係はどうにもならないからこそ、韓国が日本との関係を再考する余地が出てくるのではないかと考えていますが、ここはどうなるでしょう?

 

 このように本書はまさに米中対立を総合的、多角的に考察した本と言えるでしょう。最初にも言ったように雑誌的な構成になっているので、自分の興味のある部分から読めばいいと思いますし、興味のある部分だけを読んでも勉強になると思います。

 バイデン政権が誕生し、まだまだ流動的な感じもする米中関係ですが、今後を見通すための地図となる本と言えるでしょう。

 

 

崎山蒼志 / find fuse in youth

 去年の秋にやっていたNHKの「うたコン」で見て、「これは!」って思った崎山蒼志のメジャーでニューアルバム。

 「うたコン」ではこのアルバムにも収録されている"Samidare"を歌ったのですが、高校生とは思えないギターテクと少しズレたような歌、でも、ギターのカッティングのグルーヴ感は素晴らしいという、とにかく鮮烈な印象を残したのですが、このアルバムもいいですね。

 ここ最近の若手のミュージシャンは、あいみょんに見られるようなフォークっぽい感じか、ボーカロイドなどを経験して非常に難しいメロディを奏でるタイプが多いなと感じていました。どちらにせよ身体的なグルーヴ感のようなものはそんなに感じないタイプが多かったのですが(米津玄師はボカロPから始まっているのに"パプリカ"作れるところがすごいと思う)、そうした現在空白の部分に出てきたのが、この崎山蒼志という印象です。

 たまたま、日テレの「スッキリ」に出ていたときに、よく聞くミュージシャンとしてナンバーガールクリープハイプをあげていたのですが、影響を感じさせるのがナンバーガールZAZEN BOYS。歌詞の世界観なども近いものがあると思います。

 

 とりあえずは、"Samidare"のPVを見てみてください。


崎山蒼志 Soushi Sakiyama 「Samidare」 MUSIC VIDEO

 

 これを見てもギターのテクニックやグルーヴ感はわかると思いますが、特筆すべきはメロディの展開の多さ。聴き終わって、この曲のサビって何処だったんだろう? と思わせます。

 そして、勢いに任せて展開するだけでなく、"そのままどこか"に見られるような非常に美しいメロディを書くとこもできますね。

 "回転"の間奏のエレキギターも面白いと思いますし、単純にギター一本かき鳴らすではないさまざまなアイディアが詰まったアルバムになっています。

 声に関しては好みが分かれるところかもしれませんが、個人的には久々に「来た!」と感じる日本の若手ミュージシャンですね。

  

パウリーナ・フローレス『恥さらし』

 白水社の<エクス・リブリス>シリーズの1冊で、著者は1988年生まれのチリの若手女性作家。チリといえばドノソやボラーニョが思い浮かぶわけですが、訳者の松本健一が「訳者あとがき」で指摘しているように、「日本でも翻訳文学に親しんでいる人ほどラテンアメリカ文学に「次世代のガルシア=マルケス」を期待する傾向」(269p)があるのに対して、全く違うタイプの作家はたくさんいるわけで、このパウリーナ・フローレスもそんな1人です。

 いわゆる「マジック・リアリズム」的な要素はなく、地名などを消して「スペインの作家です」と言われれば、そのまま信じてしまうかもしれません(注意深く読むとピノチェト政権を暗示したりしている部分はあるのですが)。

 ただし、所々に非常に「不吉さ」を感じさせる作家であり、そのあたりは少しボラーニョに通じる面はあるかもしれません。

 

 収録作品は以下の通り。

恥さらし
テレサ
タルカワーノ
フレディを忘れる
ナナおばさん
アメリカン・スピリッツ
イカ
最後の休暇
よかったね、わたし

 

 この中で一番「不吉さ」を感じさせるのが「テレサ」。

 主人公は、ある日、図書館の前で6歳くらいの女の子とその父親にみえる二人組みに出会います。女の子をトイレに1人で行かせたことが気になった主人公は、図書館の中で出口がわからなくなっている女の子を見つけ、パパの待つ出口を教えてあげます。

 そこからその父親と会話をしてそのハンサムな顔立ちに惹かれます(ただし主人公はテレサという偽名を使う)。そして、彼と女の子の家に行くことなるのですが、どうもこの二人組みの様子は変であり、周囲には「不吉さ」が漂います。そして、この「不吉さ」は最後まで解消されません。

 

 ハンサムであること、あるいは男性の魅力がトラブルを呼ぶというのは、この短編集の特徴の1つで、例えば、表題作の「恥さらし」はハンサムな父とその父を自慢に思う娘の話です。失業しているハンサムな父にぴったりな仕事を探そうとする9歳の娘の行動が失望を呼び込みます。

 

 他にも最後に収録されていて、この短編集の中では最も長い「よかったね、わたし」にも娘にとって魅力的な父親が出てきます。

 この短編ではデニスという若い女性を主人公にした話と、ニコルという女の子を主人公にした話が交互に語られます。前者はほぼ現代の話で、後者はおそらく90年代後半の話です。後者の時代が推定できるのは、主人公と友人のカロリーナが「セーラームーン」の話をするからです(「訳者あとがき」によるとチリで「セーラームーン」の放送が始まったのは1997年)。「セーラームーン」をきっかけに知り合ったニコルとカロリーナはセーラームーンのカードを集め、二人で「ゾディアック騎士団」(「聖闘士星矢」のスペイン語タイトル)を一緒に見る仲になります。

 放課後に親の目を盗み、絨毯に座って、トマトチーズサンドを手に『ゾディアック騎士団』を見る幸せを定義することは誰にもできないだろう。(195p)

 一方、デニスの話は、自分の部屋で他人のセックスを覗き見ているという変わった状況から始まり、なぜそうなっているかという経緯が語られます。

 

 ニコルの話では、子供同士の友情が語られますが、ニコルの両親は俗物で口うるさい母と不安定で魅力的な父の組み合わせで、その父がある種の破局を呼び込むことになります。

 ちなみに俗物っぽい母親というのは、「フレディを忘れる」にも登場しますが、こちらもやや「不吉さ」をもった小説です。

 

 男の子を主人公にした「タルカワーノ」、「最後の休暇」などもうまい作品ではありますが、どちらかというと女性や女の子を主人公にした作品に「不吉さ」が漂っており、そこが面白いと思います。

 

 

エリック・ウィリアムズ『資本主義と奴隷制』

 

なぜイギリスは世界ではじめての工業化を成し遂げ、ヴィクトリア時代の繁栄を謳歌しえたのか。この歴史学の大問題について、20世紀半ばまでは、イギリス人、特にピューリタンの勤勉と禁欲と合理主義の精神がそれを可能にしたのだとする見方が支配的だった。これに敢然と異を唱えたのが、本書『資本主義と奴隷制』である。今まで誰も注目しなかったカリブ海域史研究に取り組んだウィリアムズは、奴隷貿易奴隷制プランテーションによって蓄積された資本こそが、産業革命をもたらしたことを突き止める。歴史学の常識をくつがえした金字塔的名著を、ついに文庫化。

 これが本書のカバー裏に載っている紹介文で、もともとは1968年に中山毅訳で理論社から出版された本の文庫化になります(本書に関しては山本伸監訳で明石書店からも新訳が出版されていますが、本書は中山訳の用語などを一部手直ししたものになります)。

 著者は、トリニダード・トバゴ郵便局員の息子に生まれオックスフォード大学で古典学を学んだものの、 カリブ海出身の黒人に古典を教えさせようとする大学はなく、そこで方向転換をし、自らのルーツでもあるカリブ海域の歴史を研究するようになったといいます。のちには独立したトリニダード・トバゴの首相も務めています。

 

 目次は以下の通り。

黒人奴隷制の起源
黒人奴隷貿易の発展
イギリスの商業と三角貿易
西インド諸島勢力
イギリスの産業と三角貿易
アメリカ革命
イギリス資本主義の発展―一七八三〜一八三三
新産業体制
イギリス資本主義と西インド諸島
“実業界”と奴隷制
“聖人”と奴隷制
奴隷と奴隷制
結論

 

 カバー裏の紹介文からは産業革命の原因を明らかにしようとした本に見えますが、目次を見ればわかるように、それだけではなく西インド諸島奴隷制の盛衰を語った本になります。

 本書の特徴は、その奴隷制の盛衰が徹底的に「資本の論理」を通じて描かれているところです。例えば、イギリスにおける奴隷貿易の廃止運動について、布留川正博『奴隷船の世界史』岩波新書)ではクウェイカー教徒などの宗教的な運動が大きくとり上げられて入りますが、本書では、あくまでも西インド諸島の経済的な価値の下落や、貿易政策の転換といったものの中で説明されています。

 

 新大陸において奴隷制が必要とされたのは、土地が豊富にありすぎたからだといいます。

 イギリスの大資本家のピールは5万ポンドと300人の労働者を引き連れてオーストラリアのスワン河植民地に乗り込みましたが、労働者は雇い主のためには働こうとせずに、周囲に土地が豊富に合ったために零細自作農として生きる道を選びました(15−16p)。土地が豊富にある中で、労働者を引き止めておくのは困難なのです。

 

 この問題を解決したのが奴隷制です。新大陸や西インド諸島で砂糖や綿花やタバコをつくるための自由労働者を確保するのは不可能であり、たとえ奴隷が割高であっても、それに頼らざるを得なかったのです。また、土地を効率的に利用するためには小農の方が良かったかもしれませんが、新世界においては土地が豊富で、土地が疲弊すれば次の土地に移れば良い状況でした。

 

 カリブ海における奴隷といえば黒人奴隷が頭に浮かびますが、これは人種差別の結果そうなったわけではありません。理由は経済的なものであり、著者の言葉によれば、「奴隷制は、人種差別から生まれたわけではない。正確にいえば、人種差別が奴隷制に由来するものだった」(20p)というわけなのです。

 まずはじめに奴隷となったのはインディアンであり、次には非自由労働者として白人が連れてこられました。17世紀になると、年季奉公人などのかたちで多くの貧しい白人たちが西インド諸島やヴァージニアに渡りました。

 

 その中には、アイルランド人や三十年戦争の災厄から逃れてきたドイツ人などもいましたが、次第に甘いお菓子に釣られた子どもや酒に酔い潰された人なども交じるようになり社会問題化しました。さらに囚人も労働者として送り込まれていきました。

 1640〜1740年にかけてイギリスでの政治的混乱の中で多くの白人が植民地に送られました。例えば、クロムウェルによって多くのスコットランド人やアイルランド人が西インド諸島に送り込まれています。

 彼らは奴隷と同じような待遇で働かされましたが、年季奉公人が奴隷と違うのは一定の期間が経過すれば自由を手に入れることができた点です。彼らは小独立自営農民となり、植民地独立を主張するかもしれませんでした。また、現地に白人社会があったために年季奉公人の逃亡は容易でした。

 

 それに対して、黒人奴隷はずっと奴隷のままですし、植民地独立を主張することもありません。逃亡しても彼らを受け入れるコミュニティは存在せず、白人に10年の奉公させる金額で黒人を終身買い取ることができました(38p)。そして、アフリカが他の場所(例えば中国やインドよりも近かったことが、黒人奴隷の導入につながったのです。

 こうして、西インド諸島の農業は奴隷制を使ったものへと置き換わっていきます。1645年、バルバドスには1万1200人の白人小農と5680人の黒人奴隷がいましたが、1667年には745人の大プランターと8万2023人の黒人奴隷にかわっています(45p)。

 プランターは小農たちを追い出して土地を占有し、そこに黒人奴隷を導入しました。特に不在プランターが増えてくると、この傾向にますます拍車がかかります。黒人奴隷のほうが生産費用を切り下げられるという経済的な現実が奴隷の数を増やしていったのです。

 

 西インド諸島のイギリス人プランターだけではなく、新大陸に植民地をもっていたスペイン人も奴隷を必要としました。しかし、スペインはトルデシリャス条約に従ってアフリカ貿易に手を出さなかったために、奴隷貿易はイギリスが担うことになりました。

 イギリスはスペインやフランスの植民地にも奴隷を供給することで大きな富を獲得しました。インド貿易はインドの商品を買うことによってイギリスの金銀の流出をもたらしましたが、奴隷貿易はイギリス製の製品の輸出も伴ったため、イギリスへ金銀をもたらしました。

 

 イギリスはいわゆる三角貿易で大きな利益を上げたわけですが、それだけでなく、この貿易でもたらされた砂糖や綿花や糖蜜はイギリスでそれらを加工する産業を成長させ、西インド諸島プランターや黒人奴隷に必要なものを供給する、工業、農業、漁業を発展させました。

  バルバドスやアンティグアといった西インド諸島の島々はニューイングランドの植民地を大きく上回る輸出入の相手先だったのです(94−95p)。

 

 こうした植民地との貿易の特徴は独占でした。植民地はその生産物をイギリスの船舶を使ってイギリスのみに送り、植民地はイギリス製品のみを買うことができ、外国製の製品はイギリスを通じて初めて買うことができました(96p)。

 植民地の発展はイギリスの発展につながったわけですが、それはこうした独占のしくみに支えられていました。

 奴隷貿易が増えれば、貿易はイギリスの船舶にしか行えないわけなので、イギリスの海運業が発展します。そして、それはリヴァプールなどの造船業を発展させました。さらにプランテーションの奴隷の食料となった干鱈をとるための漁業や水産加工業も発展します。三角貿易に支えられる形で、リヴァプールブリストルグラスゴーといった海港都市が繁栄します。

 

 また、三角貿易はイギリスのさまざまな産業を刺激しました。本書では毛織物、綿織物、製糖、ラム酒の蒸留、冶金工業といった産業がとり上げられています。

 製糖やラム酒の蒸留が西インド諸島との貿易と密接に結びついていることはわかりやすいですが、例えば、気候的に合わないと思われる毛織物もアフリカや西インド諸島に輸出されました。「西インド諸島においては、今日でも、下着はウールが普通である」(115p)とのことです(もっとも本書が出版されたのは1944年なので現在はさすがにどうなのかはわからない)。ただし、毛織物産業は独占によってかえって損害を被った面もあるようです。

 奴隷を運ぶには、足かせ、鎖、南京錠や鉄の焼印が必要とされました。また、奴隷と交換するものとして銃器が好まれたため、バーミンガムの銃器製造業と製鉄業が発展しました。

 奴隷貿易がイギリスのさまざまな産業を育てたのです。

 

 西インド諸島でのさとうきびプランテーションの経営はプランターに莫大な利益をもたらしました。17世紀後半〜19世紀前半にかけて西インド諸島プランター重商主義における最大の資本家層に入っていました。

 莫大な富を得た彼らはイギリスに帰国して不在プランターとなり、イギリスに富を吸い上げました。彼らと三角貿易に関わる商人らは、金に物を言わせて腐敗選挙区を買い、議会に乗り込んでいきました。まずは下院、さらには金で爵位を手に入れて上院にも進出していきます。

 彼らは奴隷貿易の廃止や独占の放棄に強く反対し、砂糖関税の引き上げに抵抗しました。彼らの政治力がイギリスの貿易政策を規定したのです。

 

 そして、この三角貿易による利益はイギリスの産業界に投資され、産業革命を準備します。

 銀行の創業者には三角貿易の関係者の名前が見えますし、ジェームズ・ワットと蒸気機関に融資を行った銀行も三角貿易と深く関わっていました(172p)。保険業奴隷貿易とともに発展していきます。

 こうした三角貿易がもたらした富による投資と国内市場の拡大が、産業革命へとつながってくのですが、やがて植民地の動揺と産業革命の全面的な展開が、奴隷貿易を解体していくことになります。

 

 まず、大きな変化のきっかけとなったのがアメリカの独立です。

 北部の大陸は西インド諸島に比べると儲からない地域でしたが、食糧の供給基地として必要でした。西インド諸島の土地はほぼ砂糖に振り分けられており、穀物を栽培するような余裕はなかったのです。他にも木材や馬などの供給地としてもニューイングランドの植民地は必要だったのです。

 

 しかし、1776年にアメリカが独立するとこのつながりが断たれます。アメリカが独立し航海法の適用を受けるようになると、アメリカ生産物は闇ルートなどでしか西インド諸島に入ってこなくなり、さまざまなものの価格が上昇します。

 一方で、アメリカと貿易を始めたフランス領の植民地(仏領サントドミンゴ(現在のハイチ))がアメリカとの貿易が始まったこともあった発展し、西インド諸島の強力なライバルとなります。

 

 さらに産業革命の進展が西インド諸島の存在価値を変えていきます。

 1783年、ときの宰相ノース卿は人道主義の立場から奴隷貿易に反対するクエーカー教徒を賞賛したものの、奴隷貿易は必要不可欠であり、その廃止は不可能だと述べました(209p)。

 しかし、産業革命が進展すると、イギリスが欲するものは砂糖から綿花へと変化していきます。1786〜90年にかけて、西インド諸島はイギリスの綿花輸入高の10分の7を供給していましたが、1846〜50年には100分の1足らずとなります。一方、合衆国は1786〜90年にかけて、イギリスの綿花輸入高の100分の1足らずを供給したに過ぎませんでしたが、1846〜50年には5分の4を供給するようになります(213p)。

 その他の産業の輸出先としても西インド諸島の地位は相対的に落ちていきます。さらにラテンアメリカの諸革命によってスペインの重商主義の壁がなくなると、ラテンアメリカ諸国との貿易もさかんになります。西インド諸島は必要不可欠なものではなくなっていくのです。

 

 1825年には航海法が改正され植民地が他の地域と直接貿易できるようになり、さらに同年、モーリシャスの砂糖が西インド諸島のものと同等の条件で許可されます。

 それまで西インド諸島プランターたちは腐敗選挙区などを利用して特権の維持をはかってきましたが、1832年に選挙法は改正され、腐敗選挙区が姿を消します。

 

 こうして西インド諸島プランターたちは、奴隷貿易に対する攻撃、奴隷制に対する攻撃、砂糖特恵関税に対する攻撃という3つの攻撃を受けるようになりました。

 奴隷貿易は1807年に、奴隷制1833年に、砂糖特恵関税は1846年にそれぞれ廃止されるわけですが(225p)、この背景には西インド諸島の繁栄をもたらしたシステムそのものが時代遅れになったということがありました。

 砂糖特恵関税は、穀物法とともに重商主義の代表的な政策でしたが、産業革命が進展すると、自由貿易こそが国益であるという考えが強まり、これらの政策は経済発展の足かせと考えられるようになりました。1828年には、西インド諸島の独占がイギリスに150万ポンドを超える損失をもたらしたとされたのです(229p)。 

 人道主義の高まりもあって奴隷貿易が廃止されると、西インド諸島の砂糖生産はますます高コストとなり、より肥沃な土地が残っていたモーリシャスやブラジルやキューバとの競争に敗れ去ることになります。

 

 奴隷制廃止の声は、マンチェスターバーミンガムといった産業革命で発展した都市で盛り上がります。西インド諸島に市場としての価値はなく、独占に守られた砂糖によって労働者から金を奪う存在でしかなかったからです。

 さらにかつての奴隷貿易の中心地であったリヴァプールからも奴隷制廃止の声が上がります。貿易の中心は西インド諸島ではなくアメリカ合衆国とのものに移っていたからです。 

 

 本書では、この辺の流れについて、「イギリス資本主義が西インド諸島の独占を障害だとみなすようになってとき、資本主義者は、西インド諸島の独占を打破する第一段階として西インド諸島奴隷制を破壊したのである」(279p)と述べています。

 奴隷貿易はイギリスが止めた後もしばらくは続きます。ブラジルなどが奴隷を必要としたからです。しかし、今度は少しでも対等な競争条件を求めて、西インド諸島プランターたちも奴隷貿易の全廃を訴えるようになるのです。

 

 はじめの方に書いたように、本書では奴隷貿易廃止運動における人道主義者の役割は後景に退いていて、第11章でようやく中心的にとり上げられます。ただし、例えば、奴隷制廃止を訴え続けたウィルバーフォースに対する評価を見ても、「人柄にも、生活態度にも、信仰にもどこか鼻につくところがある」(297p)と辛辣で、彼らが基本的に西インド諸島奴隷制のみを問題視していていたことに注意を向けています。彼らはブラジルやキューバとの貿易を禁止しようとはしませんでした。

  第12章では、著者は西インド諸島の奴隷たちの動きについても触れています。彼らは決して無力な存在ではなく、たびたび反乱を起こしていました。 

 

 「イギリスの産業革命の準備をしたのが奴隷貿易であった」という主張で知られる本ですが、実際に読んでみると、奴隷制の始まりから崩壊までを徹頭徹尾経済の原理で説明しようとした本だということがわかります。

 前掲の布留川正博『奴隷船の世界史』(岩波新書)では、奴隷制の廃止に尽力したイギリスの人道主義者の姿がとり上げられていましたが、本書によれば奴隷制を廃止に導いたのは、あくまでも経済構造の変化なのです。

 原著が最初に出版されたのは1944年であり、その後の研究によって乗り越えられた部分もあるのだと思います。また、エピソードを連ねていくような書き方は、現在からすると少し読みにくい所もあります。

 しかし、著者の一貫したスタイルは際立っていますし。そのスケールの大きさはグローバル・ヒストリーの先駆的な存在と言えるかもしれません。今なお読む価値が十分にある本と言えるでしょう。