『竜とそばかすの姫』

 いろいろと脚本の穴もあって批判も多いのだろうけど、個人的にはこの映画のゴージャスさを買いたい。実写を含めて、ここ最近の日本映画の中だと一番ゴージャスな映画と言えるんじゃないでしょうか?

 

 まず、誰もが認めるであろうことは音楽と中村佳穂の歌の良さ。

 もちろんプロの歌手なので歌がうまいのは当然なのですが、声に特徴があって、なおかつスケール感がある。しかも、意外にアフレコも良く、この映画がうまくいっている最大の要因は中村佳穂の起用ということになるでしょう。

 また、その中村佳穂のスケール感を活かすための映像も良くできていて、仮想空間のUの中ですずの姿で歌うシーンはアニメにおける歌唱シーンの中でも屈指の出来ではないでしょうか。

 

 次に画面の美しさ。仮想世界U、そしてその中の竜の住む城、「新海誠には負けない!」という対抗意識をひしひしと感じさせる高知の田舎の風景の描写、どれも力が入っていて隙がないです。

 

 そして、この映画のゴージャスさを支えているのが、主人公すずがUの中で変身するベルという〈As〉(アバター)のキャラクターデザイン。『アナと雪の女王』『ベイマックス』などのキャラクターデザインを務めてきたジン・キムが担当したそうですが、今までの日本のアニメ映画にはなかなかない存在感を持っています。

 今までの細田監督作品のキャラもそうですし、新海誠の映画でもヒロインにそんなに派手さは求められていないと思うのですが、これだけ画面がゴージャスになれば、それなりに派手なヒロインが必要なわけで、それをジン・キムに求めたのは正解だったと思います。

 細田守が自分で描いたら、この派手さは出なかったでしょう。

 

 ストーリーとしては『サマーウォーズ』+『美女と野獣』に、さらに『時をかける少女』の高校生の恋愛要素を詰め込んでいており、かなり盛り沢山の内容なのですが、これをよくまとめています。

 『美女と野獣』を下敷きにしたシーンでもディズニー映画に負けない洗練さを見せていると思いますし、カミシンとルカちゃんの恋愛パートは笑えます。

 

 ただ、脚本上の不備はあります。

 誰しもが感じるのはラストの強引さで、竜の正体にたどり着くところまではよいとしても、実際に会いに行って会えてしまう展開はご都合主義だと思いますし、ママさんコーラス隊の面々も「人生における頼れる先輩のようでいて、冷静に考えると無責任な人の集団じゃない?」みたいな感じですよね。

 あと、幼馴染のしのぶとの関係の描き方が丁寧さに欠ける感じで、彼の行動がかなり唐突に見えてしまう。

 

 というわけで欠点もある映画だとは思いますが、ご都合主義であってもハリウッドの大作映画が楽しめるように、この映画もいくつかの穴を、見事な映像と音楽で埋めることができています。

 前作の『未来のミライ』は見る人を選ぶ映画でしたが(子育て経験者のみが楽しめた映画のような気がする)、今回は多くの人に満足感を与える大作映画になっているのではないでしょうか。

 

 

ブランコ・ミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』

 世界の不平等について論じた『不平等について』や、「エレファント・カーブ」を示して先進国の中間層の没落を示した『大不平等』などの著作で知られる経済学者による資本主義論。

 現在の世界を「リベラル能力資本主義」(アメリカ)と「政治的資本主義」(中国)の2つの資本主義の争いと見た上で、その問題点と今後について論じ、さらに「資本主義だけ残った」世界の今後について考察しています。

 

 著者のミラノヴィッチはユーゴスラビア出身なのですが(ベオグラード大学の卒業で、アメリカ国籍を取得)、そのせいもあって社会主義とそこから発展した中国の政治的資本主義の分析は冴えており、「社会主義が資本主義を準備した」という、挑戦的なテーゼを掲げています。

 アセモグル&ロビンソンは『国家はなぜ衰退するのか』『自由の命運』の中で、中国の発展はあくまでも一時的なものであり、民主化や法の支配の確立がなされないかぎり行き詰まると見ていますが、本書によれば、逆に中国では経済成長と法の支配が対立するような考えとして描かれています。

 それほど厚い本ではないですが、今後の世界の行方を考えていく上で非常に参考になる本だと思います。また、梶谷懐による解説もよくまとまっており、ここからダウンロードできるので(PDF)、まずは読んで見るものいいかもしれません。

 

 目次は以下の通り。

 

1 冷戦後の世界のかたち

 1 資本主義はただひとつの社会経済システムである

 2 アジアの台頭と世界の再均衡化
2 リベラル能力資本主義
 1 リベラル能力資本主義の特徴

 2 システム的な不平等

 3 新たな社会政策

 4 上位層は自己永続的か

3 政治的資本主義

 1 共産主義の歴史的位置づけ

 2 第三世界(の一部)が資本主義化するために、なぜ共産主義革命が必要とされたのか
 3 政治的資本主義のおもな特徴
 4 中国の不平等についての考察

 5 政治的資本主義の持続性とグローバルな魅力

4 資本主義とグローバリゼーションの相互作用

 1 労働と移民

 2 資本とグローバル・バリューチェーン
 3 福祉国家——生き残るために
 4 世界に広がる腐敗

5 グローバル資本主義の未来

 1 超商業化資本主義では道徳観念の欠如が避けられない

 2 原子化と商品化

 3 技術進歩に対する根拠のない不安

 4 豪奢で快楽に満ち(ルュクス・エ・ヴォリュプテ)

付録A グローバルな歴史における共産主義の位置づけ
付録B 超商業化とアダム・スミスの「見えざる手」
付録C 方法論的問題と定義

 

 グローバリゼーションの進展とともにアジア経済が成長し、世界全体の不平等は改善し、世界は再均衡化しつつあるともいえます(8p図1−1参照)。

 このアジア、特に中国の経済成長については、今までの西欧型の経済成長とは異質なものだという指摘があり、独自の資本主義を築きつつある状況です。また、世界の不平等が減少している一方で、多くの国で国内の不平等は拡大しつつあります。

 本書はそうした問題について分析したものになります。

 

 まず、本書では資本主義を「生産の大半が民間の生産手段によって行われ、四品が法的に自由な労働を雇用し、調整が分散化されるシステム」であり、「大変の投資決定が民間企業ないし個人起業家によってなされる」ものであると定義しています(15p)。

 

 その上で現在のアメリカに見られるような資本主義を「リベラル能力資本主義」と名付けています。

 まず、このタイプでは総所得における資本シェアの上昇が見られます。所得を資本と労働で分配する際に資本の取り分が増えているのです。

 この傾向は古典的な資本主義でも見られましたが、現在は金持ちが労働所得からも大きな富を受けているのが特徴です。古典的資本主義の金持ちはその資本から富を得るだけで自らがあくせく働くことはあまりありませんでしたが、現在の金持ちは労働からも大きな所得を得ています。

 

 さらに本書では不平等を促進するものとして、遺産相続とともに同類婚の問題をあげています。

 1950年代のアメリカであれば、金持ちの男の妻が自分で働いて稼ぎを得る可能性は少ないものでしたが、現在では金持ちで高学歴の男性は同じく金持ちで高学歴、しかも自らも働いて稼ぎのある女性と結婚するようになっています。これによって世帯間の不平等はさらに広がっていくことになります(古典的資本主義の時代も金持ちの男性は金持ちの娘と結婚したが、その娘が働いて稼ぎを得ることはまれだった)。

 1970年の段階で、20〜35歳の男性所得者の上位10%に入るアメリカ人男性のうち、女性所得者の上位10%と結婚した人は12.8%で、下位10%と結婚した人は13.4%でした。しかし、2017年には上位10%の女性と結婚する人は28.7%まで上昇する一方で、下位10%と結婚する人は10.7%に低下しました。上位10%の女性が下位10%の男性と結婚する割合は、70年の11.0%から17年には5.6%にまで低下しています(44p図2−4A、B参照)。

 

 総所得において資本シェアの取り分が増え、労働シェアの取り分が減っていることに関しては、産業構造の変化や労働組合の弱体化などがその原因としてあげられますが、それ以外にも企業のあり方の変化もあげられます。

 以前、アメリカの大企業は市場賃金よりもやや高めの賃金を支払うことで従業員の会社に対する忠誠を促していましたが、仕事がアウトソーシングされるようになれば、従業員の忠誠心などは気にしなくていいからです。

 

 もともと資本所得は一部の金持ちに集中する不平等なもので、資本所得のジニ係数は労働所得のジニ係数よりも遥かに高いです(ちなみに労働所得のジニ係数はかなり小さいが資本所得のジニ係数が非常に大きいのが日本。台湾やノルウェーは双方が小さく、イギリスやアメリカは双方が大きい、資本所得のジニ係数が比較的低いが、労働所得のジニ係数が大きいのはフランス(35p図2−2参照))。

 しかも、金持ちはより有利な形で資産運用ができるために、ここでも不平等は拡大します。

 

 こうした状況に対し、製造業からサービス業への転換とともに職場は分散するよようになり、また、中国の世界経済への再統合が資本主義システムのもとではたらく労働力のプールを大幅に増やしたこともあって、労働組合による格差の是正は難しくなっています。

 さらに先進国では教育年数も限界まで伸びつつあり、教育による格差の是正も期待しにくいです。グローバリゼーションによる資本の移動性の高まりは課税による格差の是正も難しくしています。

 

 現在の先進国は一見すると開放的なシステムに見え、人びとの意見によって政治は変わり、努力によって成功を掴めそうにも見えますが、政治献金によって政治は金持ちによって支配されがちですし、金のかかる私立学校が幅を利かせているせいで、貧乏人が努力でのし上がってくるのは容易ではありません。

 金持ちの子どもは財産だけでなく、貧乏人には手の届かない良質な教育を受けることで、競争において優位に立てるのです。

 

 リベラル能力資本主義に対抗するのが「政治的資本主義」と呼ばれるスタイルです。

 本書で中心的にはとり上げられているのは中国です。中国は共産主義国であったにもかかわらず急速な資本主義化が進行しましたが、著者は共産主義こそが資本主義を準備したといいます。

 「共産主義とは、後進の被植民地国が封建制を廃止し、経済的政治的独立を回復し、固有の資本主義を築くことを可能にする社会システム」(90p)だというのです。

 

 20世紀の前半、のちに第三世界と呼ばれるようになる国々は、経済発展の遅れ、封建的な生産関係、外国による支配、という3つの問題を抱えていました。

 これらの国は経済発展の遅れを取り戻すだけでなく、地主中心の経済関係を打ち壊し、外国の支配を覆すことが要請されていました。そして、中国やベトナムにおける革命は、これらの障害を取り除くものだったのです。

 この革命によって、農村の疑似封建的関係や部族的社会関係は弱体化し、現代的な核家族構造とジェンダー平等がもたらされ、教育が普及し識字能力が向上しました。

 共産主義と言えば「インターナショナリズム」のはずですが、中国ではナショナリズム色が強く、外国からの影響力が排除されていったのです。

 

  マルクスの予言とは違い、共産主義東ドイツチェコスロヴァキアといった先進工業経済では成功しませんでした(一方、ヨーロッパでも後進地域のブルガリアなどのほうが経済成長率は高くでた(100p図3−1参照))。

 そして、中国やヴェトナムといった貧しい農業社会で成功を準備することになるのです。

 これは、貧しい国にとっては、市場のインセンティブの欠如というマイナス面よりも、中央計画によるインフラや教育の改善などの影響が大きいからだと考えられます。

 

 著者は、こうした共産主義を経由した国(中国やヴェトナム)や、権威主義的な国(シンガポール、近年のエチオピアルワンダなど)を「政治的資本主義」として分析しています。

 このシステムでは経済に対してテクノクラートが大きな影響力を持っています。そして、その裏返しとして法の支配の欠如があります。国家は必要とあれば民間部門を抑制できる自律性を保持しており、資本家の利害が支配的な力を持つことは許されていません。

 

 一般的にテクノクラートはルールに従って働くわけですが、このシステムのもとではそのルールはときに無視され、法は恣意的に運用されます。

 そこで起こってくるおが腐敗です。官僚には大きな自由裁量権が任されており、特に高位の者の権限は大きいです。そうなれば腐敗のインセンティブが生じ、腐敗は不平等を拡大されます。

 しかし、腐敗と不平等の拡大は統治の正当性を傷つけます。習近平による恣意的な腐敗退治(政敵を中心に摘発した)は、このジレンマを切り抜ける1つの策とも言えます。

 ちなみに著者は政治的資本主義の国の経済成長度と腐敗ランキングを表にまとめていますが(114p表3−1)、シンガポールボツワナは腐敗の少ない例外となります。

 

 中国の不平等は、近年都市部においては安価な労働力の拡大が限界に達したこともあり不平等の拡大が止まっていますが、農村部の不平等は拡大しているとのデータもあり、全国的な不平等は高水準にあります(119p図3−6参照)。

 中国でも資本所得の割合は上昇しつつあり、資本家階級(起業家)や新たな中間層が生まれつつありますが、宋代の商人たちが「階級」を築くことができなかったように、こうした階級は政治権力に抑え込まれるかもしれません。

 

 中国では所有権のあり方が不明瞭ですが、これも政治的資本主義が存在するための条件になります。

 さきほど述べた法の支配の不在と同じですが、これは経済的な不透明さと同時に経済成長のための機動的な施策を可能にしています。民主的な政体が権利の調整に何年もかけている間に、政治的資本主義はスピーディーにインフラなどをつくることができるのです。

 

 ただし、中国はアメリカと違って、自らの「体制」を輸出しようとはしていません。中国には同盟国もなく、覇権国となるには国際的な影響力に欠けます。

 また、中国のモデルは一党独裁の中央集権制と地方の自由裁量という、一見すると矛盾する形になっており、このモデルをそのまま導入できる国は少ないかもしれません。

 ただし、中国経済は今のところもっとも成功したモデルであり、アフリカで大きなプレゼンスを発揮していることから、今後、世界における中国の政治的資本主義の影響力は無視できないと考えられます。

 

 第4章では、グローバリゼーションが検討されています。

 まずは移民の問題が検討されているのですが、著者は「世界で不平等が縮小するのはよいことである」という視点でこの問題を論じています。

 そんなの当たり前ではないかと思うかもしれませんが、著者はこの視点から、「移民は移民にとって利益になる」、「ただし移民は移民先の福祉国家の運営を難しくし、文化的な摩擦も起こすかもしれない」、「だから、市民権の制限された(社会給付の権利や投票権を持たない)移民を受け入れるしくみをつくろう」という議論を行っています。

 

 次にグローバル・バリュー・チェーン(GVC)です。

 以前、途上国は発展のために先進国からの工業製品に関税をかけて国内産業を育成しようとしましたが、このやり方は見事に失敗しました。このやり方で生産性を上げることはできなかったのです。

 ところが現在、GVCによって、貧しい国に進んだ技術が導入されるようになっています。そして、GVCの広がりとともに資本主義は世界へと広がりました。

 同時に、GVCにとって重要なのは制度や政治の質です。権威主義国家でもGVCに参入するには市場を支える制度を整えねばならず、政治はともかく、経済的制度は先進国のものと似てくることになります。

 

 一方、先進国の福祉国家は資本と労働力の移動によって揺さぶられています。国内の資本と労働の衝突を「市民権」によって調停しようとした福祉国家ですが、移民と資本の国外への移動によって、この解決策が通用しにくくなっているのです。

 

 この資本の移動が新たな「腐敗」も生んでいます。多くの国が資本主義に組み込まれたことで、途上国の政治家たちは腐敗で得た資産を国外に移すことができるようになりましたし(毛沢東時代の役人は腐敗で得た金を隠す場所がなかった)、さらにこういった資金の移転を専門とする法律事務所も成長しました。そして、腐敗が生んだ資産はタックスヘイブンなどに移されているのです。

 

  第5章では、資本主義が全面化した未来などを検討しています。ユニバーサル・ベーシックインカムなどについても検討してあって興味深い論点もあるのですが、ここでは、リベラル能力資本主義と政治的資本主義のどちらが勝利するのか? という問題だけをとり上げたいと思います。

 政治的資本主義が優勢にも見える現在ですが、著者は政治的資本主義は常に高い経済成長によって優越性を示す必要があることと、制度的な腐敗をうまくコントロールしなければならないというハンデを抱えているといいます。

 

 ただし、リベラル能力資本主義は不平等の拡大という問題を抱えているわけで、中間層に資本を蓄えるための優遇措置を与えたり、公教育を立て直したりして、次の段階(著者は「民衆資本主義」「平等主義的資本主義」というものを非常にラフな形であるが構想している(256−257p)。

 

 このように、本書は現在の世界を語る上で重要な視点を教えてくれる本です。

 現在の世界の問題の中心には米中対立があります。この両国の間には相容れない価値観の対立があり、そう簡単に対立は解消しないと思われます。

 しかし一方で、米ソの冷戦と米中対立が違うのは、米中が経済的に深く結びつき、両国とも経済の論理(本書の見方だと「資本主義」と言ってもいいのでしょう)によって動かされている点です。

 この米中のつながりや共通点のようなものを考える上で、本書は非常に役に立つと思います。

 また、「共産主義の役割」というものを問い直すという点でも、興味深い見方を教えてくれる本と言えるでしょう。

 

 

劉慈欣『三体III 死神永生』

 『三体』シリーズの完結編。

 第Ⅰ部では文革から始まりVRゲーム「三体」を中心に繰り広げられるほら話、第2部では三体人に対抗するために選ばれた4人の面壁者の繰り出す壮大なほら話、そして、宇宙では知的生命体が居場所を知られるとより高次の知的生命体に滅ぼされるかもしれないという暗黒森林理論と、宇宙的なスケールでほら話を展開してきた劉慈欣ですが、今作もすごい。

 ストーリーだけであれば、グレッグ・イーガンの『ディアスポラ』とかを思い出させるようなものでもあるんですけど、物語が進んでいくトーンみたいなものは全然違って、劉慈欣の場合は、ほら話のケレン味が売りですね。

 今作もメフメト2世に包囲されたコンスタンティノープルから始まるという思わせぶりなオープニングから、これでもかと大きな展開をしかけてきます。

 基本的には予備知識がないほど楽しめる小説かと思いますので、特に劉慈欣の繰り出すアイディアについては何の言及もしませんが、気になって点について2つほど書いておきます。

 

 1つ目は、この小説が群衆小説とも言うべき、群衆の動きをよく描いた小説であること。

 今作はパニック小説的な部分もあるのですが、そうした小説において群衆は基本的に「わかっている」主人公たちに対して「愚かな存在」として描かれます。

 今作においても、群衆はたびたび愚かな行動を取るのですが、それはそれしか選択肢がないような切羽詰まった行動として描かれています。

 人間、選択肢が1つしかなくなれば愚かな行動を取るしかないのです。

 このあたりには、欧米のSF作家とは違った独自の「人間観(群衆観?)」のようなものを感じました。

 

 2つ目は、この宇宙を支配しているのが「恐怖」だという点。

 暗黒森林理論では、この宇宙の知的生命体は、他者からその存在を知られないためにじっと身を潜めています。それは別の知的生命体から攻撃を受けるかもしれないからです。

 なぜ、別の知的生命体が攻撃を仕掛けてくるかというと、放っておけばいずれ自分たちが攻撃されるかもしれないからです。

 つまり、この宇宙は「敵から攻撃されるかもしれない恐怖」に支配されており、そのために知的生命体はそれぞれの場所で身を潜めているわけです。

 

 そして、この「恐怖」に支配された世界というのは、ちょっと中国の対外観に似ているような気もしています。

 近年の中国といえば、積極的に海洋進出を行い、アメリカの覇権にチャレンジするかようのですが、それはアメリカから影響を受けない一定の領域を確保したいという、比較的消極的な理由から始まっていたりもします。

 これは中国に限らず、ロシアにも当てはまると思いますし、冷戦下のアメリカなどもそうだったと思うのですが、前作で羅輯が三体人研の間につくり上げた「恐怖の均衡」がどのように変化していくのかというのは本作の読みどころの1つです。

 

 とにかく読み始めれば面白く読める本だと思うので、(死語となりつつある)「ステイホーム」のお供にピッタリの小説ではないでしょうか。

  

 

 

高岡裕之『総力戦体制と「福祉国家」』

 歴史を見ていくと、日本が戦争へと突き進んでいく中で、1938年に厚生省が誕生し、同年に農家・自営業者向けの国民健康保険法が創設され、42年に労働者年金保険が誕生するなど、福祉政策が進展していたのがわかります(1940年の国民学校の創設と義務教育の延長をこれに含めてもいいのかもしれない)。

 なぜ、戦争と同時に「福祉国家」の建設が目指されたのか? そして、この「福祉国家」とは現在の「福祉国家」と同じものと考えていいのか? ということが本書の取り扱うテーマになります。

 役所の文書の引用が多いために、「面白がって読める」というような本ではないかもしれませんが、読み進めるに従って現れてくる戦争下の「福祉国家」の姿は間違いなく面白いものです。

 今回、「書物復権」で復刊されたのを機に読んでみましたが、戦争が日本の社会に与えたインパクトを考える上で外せない本ではないでしょうか。

 

 目次は以下の通り。

序章 戦時期日本の「社会国家」構想
第1章 厚生省の設立と陸軍の「社会国家」構想
第2章 広田‐第一次近衛内閣期の「社会政策」と「社会国家」
第3章 戦時労働政策と「社会国家」
第4章 戦時人口政策と「社会国家」
第5章 「健兵健民」政策と戦時「社会国家」
終章 戦時「社会国家」の歴史的位置

 

 野口悠紀雄『一九四〇年体制』などに見られるように、日本の総力戦体制と戦後の日本を連続的に捉える見方は近年さかんになっており、戦後の「福祉国家」の源流をこの時期に見る研究も社会学を中心に出てきています(富永健一『社会変動の中の福祉国家』、広井良典『日本の社会保障』など)。

 こうした中で、本書は戦時期の「福祉国家」について、そのロジックを見極めようとしています。例えば、年金や皆保険といったアイディアはどこから出てきて、どんな狙いをもっていたのかということを確かめていくのです。

 

 第1章では厚生省の設立がとり上げられています。

 厚生省は1938年、第1次近衛内閣のときに誕生しており、初代の厚生大臣木戸幸一で文部大臣と兼任でした。

 厚生省の創設は国家総動員体制の一環であり、陸軍が人的資源の確保のために設立を後押ししたという理解が一般的でしたが、近年では、内務省のイニシアティブを評価し、日本の福祉国家体制の起点として評価する声もあります。

 

 実際、厚生省の設置は、日中戦争勃発以前である近衛内閣成立時の「社会保健省」の設置構想から始まっており、国家総動員体制の前から計画されていたものなのです。

 1936年には陸軍が「衛生省」の設置を主張しており、ここから厚生省設立が動き出したという見方もできますが、実際の厚生省において陸軍の主張がそのまま反映されているわけではありません。

 

 本書の第1章では、「衛生省」の設置を主張した陸軍省医務局長で、のちに厚生大臣にもなった小泉親彦の考えを読み解くことで、陸軍の構想がどのようなもので、それが実現したか否かを読み解いています。

 

 小泉が危機感を抱いていたのが「壮丁体位」の低下でした。つまり、徴兵によって兵士を集める際、日本人の体格が劣化しており、優良な兵士の獲得が困難になっているというのです。小泉はこの背景に、世界恐慌以降の農村の困窮、それによる都市化の進展、結核の蔓延などを見ていました。

 実際、壮丁の身長や体重は低下したわけではないのですが、1928年あたりから徴兵検査でもっともよい甲種が減少し、現役兵には適さない丙種が増えているという状況はありました(37p表2参照)。

 

 ただし、本書が読み解くように、実はこれは20歳男子人口の増加と陸軍の定員の削減によってもたらされたものでした。人口が増えて定員が減れば、徴兵検査の場では甲種を減らして丙種を増やす必要が出てくるわけです。

 こうした背景があっても、小泉は「壮丁体位」低下論にこだわっていました。小泉によれば「人的戦力」こそが重要であり、「人的戦力」を充実させることが必要だったからです。

  小泉は「壮丁体位」の低下の要因を、都市化、工業化、学歴の伸びなどに見ており、農村での暮らしこそが優良な兵士を生むという農本主義的な考えを持っていました。

 1930年代は日本で工業化や都市化が進展していた時期でもあり、この流れを押し止めることは難しかったわけですが、小泉は「衛生省」の設立によって、国民の生活を科学的に管理することで、この問題を解決しようとしたのです。

 

 ところが、厚生省の骨格を事実上決定した『設置要綱』では、国民の「体位」は国民の日常生活を反映するものだとして、「社会問題」の解決が優先されました。

 反発した陸軍は厚生大臣に小泉を据えようとしますが、これも失敗し、人事でも内務省と繋がりが強くなりました。陸軍の要求に応えるものとして「体力局」も設置されましたが、89万円の予算のうち76万円は「第十二回オリンピック大会助成費」でした(中止になった東京オリンピックのこと)。

 

 こうして、厚生省では「社会問題」の解決が優先されることになったわけですが、ここでいう「社会問題」とは何なのか? 当時、その必要性が叫ばれた「社会政策」とな何なのか? というのが第2章のテーマになります。

 

 社会政策への関心が高まったのは、二・二六事件後に成立した広田内閣においてです。二・二六事件をきっかけに、「社会不安」の根源が窮乏にあえぐ農村にあるという認識が強まり、農村向けの社会政策が必要だと考えられたのです。

 この農村向けの社会政策として浮上したのが、農村の医療問題と国民健康保険制度でした。

 

 当時、医療利用組合という産業組合の一種によって農村の医療問題を解決しようとする動きがありました。中心となったのは賀川豊彦で、賀川は農村の窮乏を打開するには協同組合による互助しかなく、特に、医療利用組合によって、医療の資本主義的形態である開業医から医師を開放し、医療の非営利化を実現すべきだと考えていました。

 

 しかし、当然ながら開業医中心の医師会はこれに反発し、対立構造が生まれます。一方、内務省社会局は、国民健康保険は医療利用組合より優れており、国保によって医療利用組合もその役割を終えると考えていました。そして、国保は開業医制度とも調和するものと考えられたのです。

 

 しかし、医療利用組合には「無医村問題」への対応という側面もありました。医師のいない町村数は1923年の16%から1934年の30%へと増加しており(92p)、医師の数は増えても、その増加分は大都市に集中していました。これは農村の窮乏とともに、大都市の近くで先進的な医学を学びたいと考える医師たちが増えたからです。

 これに対して医療利用組合は、総合病院を中心として地域医療のネットワークを構築することで、先進的な技術に触れたいという医師の望みを叶えつつ、地域の診療所の運営も行おうとしたのです。これは国保では対応できな部分でした。

 

 そのため、政府の中からも医療利用組合や産業組合によって、町村を単位とする地域保険組合の「代行」を認めようという動きも出てきます。

 もっとも、だからこそ医師会の反対はますます激しくなり、医師会による巻き返しが起こります。医療利用組合による「代行」は基本的には「例外」となり、開業医を中心とする医療制度が存続することとなったのです。

 

 もう1つの農村問題が、農村における過剰人口の問題でした。1920年代半ばから、日本(内地)の人口増加は90〜100万人規模に達するようになっていました。この背景には医療の進歩による死亡率の低下があります。

 この農村の過剰人口の問題の解決法として、分村による満州移民の推進、工業部門の拡大に寄る人口の吸収があげられました。工業部門の拡大については軍備の拡張にも必要であり、陸軍からも生産力の拡充が求められ、「重要産業5カ年計画」が立てられました。

 その結果、当初、厚生省に求められていた「農村社会政策」路線は後退していくことになります。

 

 第1章で見たように、厚生省は必ずしも陸軍の要望を直接的に反映して生まれたわけではないのですが、日中戦争の勃発と全面化は誕生した厚生省にも大きな影響を与えていくことになります。厚生省が誕生した1938年と翌39年の予算では、7割以上が軍事援護費にあてられており、「軍事援護省」ともいうべき存在でした。

 

 しかし、日中戦争の拡大とともに軍需産業を中心とする重工業化が進むと、それに対応した「社会政策」が必要になってきます。

 今までの軽工業では、労働力需要の中心は女子でしたが、重化学工業では男子の熟練工が必要となり、労働力を兵士と工場で奪い合うような構図が出現したからです。

 労働力の需給調整が急務となり、1938年に職業紹介法が改正されて職業紹介所の国営化が断行されます。1939年の国民徴用令をはじめとして、労働力を統制するためのさまざまな施策が打ち出されていくのです。

 大河内一男は戦争は社会政策を促進すると述べましたが、労働力が「人的資源」として重視されるようになるに連れ、それを保全するためのさまざまな政策が登場してくるのです。

 

 厚生省には1939年に労務管理委員会が設けられ、工場医・鉱山医精度の整備、体育施設や食堂の整備、労災の防止、女子の労働時間の短縮、産前4週間の使用禁止、未経験労働者の労働時間の制限、社会保険の拡充、労務者住宅の整備などが答申されていくことになります。

 

 こうした中から、例えば、1941年には労働者年金保険法が公布されています。施行は42年なので日米開戦後のことになるのですが、このような時期に労働者を対象とした年金保険が導入されているのです。

 年金導入の背景には、労働者の賃金をある意味で強制的に貯蓄させることでインフレを抑制する狙いもあったのですが、基本としては労働条件の改善が困難になる中で、「労働者に安心と希望」(154p)を与えるものとして構想されました。

 

 当時は、賃金統制令や賃金臨時措置令によって賃金の引き上げは難しくなっており、それでいて職場の移動の防止措置もとられていたために、労働者の勤労意欲は減退していたのです。

 「合法サボタージュ」が蔓延しているとも言われる中で、年金は労働者の勤労意欲を引き出す1つの手段でした。

 

 もう1つの政策が労務者住宅の建設です。1930年代後半、重化学工業の立地地域や炭鉱のある地域へ大きな人口移動があり、これらの地域では住宅不足が深刻化しました。ひどいケースでは工場が昼夜2交替制であったため、1部屋に2人が同居し万年床となっているものや、1軒に2、3家族が暮らすもの、月に20数日遊郭から出勤する者などもいたそうです(159p)。

 こうした状況を受けて、厚生省では1939年には7万6000人分、40年には11万8000人分の住宅を供給する計画を立て、41年にはそれを実現するために「住宅営団」という特殊法人がつくられます。

 住宅営団では、今後5年間で予測される住宅建設量の20%にあたる30万戸を建設するとう世界的に見ても未曾有の規模の計画が掲げられました。

 しかし、軍需を最優先する戦時経済のもとで住宅営団に十分な資材が回ってくることはなく、質、量とも当初の計画には遥かに及びませんでした。

 

 先程述べたように、日中戦争が始まった頃は「農村人口の過剰」が叫ばれていたわけですが、日米開戦の足音が近づくことには一転して人口の増加が目指されるようになります。1941年1月に第2次近衛内閣が打ち出した「人口政策確立要綱」は1960年に「内地人」総人口1億人を目指すものでした。

 当時、ヨーロッパでは人口の伸びの停滞が指摘されており、日本でもヨーロッパのようになるという危機感が持たれるようになりました。日本でも工業化とそれに伴う都市化が急速に進展しており、これが人口の増加を大きく抑制すると考えられたのです。

 

 この時期、人口問題は経済問題だけではなく「民族問題」としても認識されるようになってきます。ナチスドイツからの影響もあり、民族=人口の量こそが国力であるといった主張も生まれ、都市化による人口増加の停滞と「体位の低下」が大きな問題として取り上げられるようになったのです。

 将来人口の推計では昭和75(2000)年の1億2274万人をピークに昭和100(2025年)には人口ピラミッドの形は「壺型」になると予想されていました(190p図17参照)。これは実際の人口の動きとかなり重なっており(191p図18参照)、工業化や都市化などの趨勢を考えると、将来の少子高齢化は避けられないものだったのです。

 

 しかし、これでは国力が低下してしまうわけで、出生力を上昇させるための改革が必要になります。

 そこで、「人口政策確立要綱」では、結婚貸付制度や人口政策的税制(家族控除の多子累進化や独身税など)、家族手当の導入、20歳以上の女子の就業制限、学校制度改革(修学年限の短縮)、多子家庭・妊産婦に対する物資の優先供給、産児制限の禁圧などが列挙されました。

 

 農村人口の問題については、(1)内地での小農の維持、(2)農業の機械化・協同化による生産力の拡充、(3)満州移民分村計画による中農主義といった対策が考えられていました。

 食料の確保や農業の近代化、農家の所得保障を考えると(2)のやり方が良さそうにも思えますが、これでは優良な兵士の供給源たる農村の人口が減ってしまいます。そこで、農村人口の維持のためにも(1)の方法も模索され、その中で小作料の引き下げや農地の適正価格の設定、小作農の土地購入を支える制度の創設など、「農地改革」を志向するようなアイディアも出てくることになります。

 一方で、満州分村による農業戸数の維持も掲げられ、内地の農家の戸数の減少を満州での農家の増加で穴埋めしつつ、農家人口が一定になるような政策も構想されています。

 しかし、こうした構想は1941年の1月に始まった企画院事件で改革を唱える官僚らが農村の社会主義化を進める「共産主義者」として弾圧されることで、失速していくことになります。

 

 第5章では、第3次近衛内閣で厚生大臣となり、東条英機内閣でも続投した小泉親彦に再び焦点が移ります。

 小泉は「健兵健民」政策という質実剛健な国民を育成することで戦争に勝つことを目指しますが、そのために大胆な医療政策の転換が企図されました。

 

 医師会の抵抗もあって、農村の無医村問題が解決しない中で、小泉が打ち出したのが母子保健、結核対策、防疫などの「医療」と、さまざまな厚生施設の提供を行う「国民厚生団」という特殊法人の設立でした。

 1941年度の厚生省の歳出が約1億9000万年の中、この特殊法人は30億円の政府出資をもとに運営されることが想定されており、いかに巨大であったかがわかります。

 しかし、そう簡単にこの構想が進むはずもなく、医療の部分だけを取り出した「医療団」を、1億円の政府出資をもとにつくろうというものです。これによって地域医療ネットワークの整備を行おうとしたのです。

 しかし、医師会の反発や産業組合の取り込みがうまくいかなかったこと、何よりも戦争の拡大によって医療団は目立ったせいかをあげることができませんでした。

 

 一方、国民皆保険の実現に関しては一定の成果をあげます。小泉にとって農村の保健問題の解決は優先的な課題であり、どちらかというと都市を向いていた厚生省が農村の問題にも力を入れるようになったからです。

 1942年に国民健康保険法の第2次改正が行われ、地方で健康保険を普及させるためのさまざまな取り組みがなされることになりました。その結果、42〜44年にかけて被保険者数は大幅に伸びていくことになります(256p図21参照)。

 さらに保健婦の設置も進められ、厚生行政の実行組織を地方でも確保しようとしました。

 ただし、応召によって医師が戦地へと送られたこともあり、国保組合ができても肝心の医療が提供できないこともあり、戦時下の「国民皆保険」は形式的なものだったとも言えます。

 

 また、「健兵」のための体力向上のための施策も実行され、必要な体力が示され、それに達するための修練のための施設がつくられたりもしますが、最終的には戦局の悪化による食糧不足によって、「体力」向上どころではなくなってきます。

 

 終章では、簡単に戦後との連続性にも触れられていますが、厚生省や国民健康保険、あるいは保健所などは戦後へと引き継がれましたが、住宅営団と医療団は戦後に解散しています。つまり、厚生省の考えた社会政策の柱は戦後には引き継がれなかったのです。

 

 このように、本書は戦前と戦後の連続性や断絶を考える上で必要となる複合的な視点をもって、戦争と「福祉国家」の関係を論じています。

 都市化や工業化は戦前から戦後を貫く環境であり、ここへの対応はたとえ戦前の体制であっても戦後と重なるものになります。

 一方で、この戦前と戦後の間には「戦争(総力戦)」という巨大な異物が挟まっています。過剰人口の問題は人口不足の問題へとひっくり返り、農村の維持のために都市化の流れを押し留めるような政策も模索されるわけです。また、「福祉政策」の目的は、「戦争遂行」のためのものにすげ替えれます。

 それでいて、医師会などが政府の方針に抵抗し続けているのも、非常に日本的な光景と言えるのかもしれません。

 公文書からの引用なども多く。硬い内容ではあるのですが、「戦前戦中の福祉政策」という狭いテーマに興味がある人だけではなく、「戦前戦中戦後の社会」あるいは「福祉」といった広いテーマに興味がある人が読んでも得るものが多い本だと思います。

 

 

 

東京事変 / 音楽

 東京事変、フルアルバムとしては2011年の「大発見」以来、10年ぶりのアルバムとなります。

 椎名林檎としては「日出処」(2014)、「三毒史」(2019)とアルバムを出していて、「三毒史」では宮本浩次トータス松本櫻井敦司などの男性ボーカルをゲストに迎えて、椎名林檎のプロデューサー的な面が目立っていましたが、今回はバンドの一員ということで「三毒史」とはまた違った印象となっています。

 

 若い頃に比べると、さすがに椎名林檎のパワーもやや落ちていて、初期の東京事変のように個々のメンバーがいくらガチャガチャやっても椎名林檎が歌えば決まるという感じではなくなってきて、以前のものに比べると、精巧につくられているイメージです。

 そのため、前半はややおとなしい感じもしますが、冒頭のキーボードが印象的な"黄金比"あたりから乗ってくる感じですかね。つづく"青のID"も、軽快なピアノに乗っていくような曲で、刄田綴色もドラムもあって、楽しい浮遊感が感じされる東京事変ならではセンスが出ている曲です。

 

 10曲目の"獣の理"はいかにも東京事変っぽいメロディで、アレンジも決まってますね。

 つづく"緑酒"は本アルバムでもっとも派手さを感じさせる曲かもしれません。♪乾杯日本の衆〜♪のところがサビとしての一番の盛り上がりと思わせて、さらに♪自由よ〜♪のところでもう一段盛り上げてくるとこがいいですね。

 ただ、以前だったら歌の部分でさらに盛り上がったんじゃないかという感じはあり、初期のむちゃくちゃなバランスで成り立っていた頃が少し懐かしく思えることもあります。

 


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宮本太郎『貧困・介護・育児の政治』

 社会保障に関する政府のさまざまな会議の委員を務め、民主党政権では内閣参与になるなど、近年の日本の社会保障政策の形成にも携わってきた著者が、ここ30年ほどの日本の社会保障の歴史を振り返り、「なぜこうなっているのか?」ということを読み解き、今後目指すべき新たな方向性を模索した本。

 

 なんと言っても本書で面白いのは日本の福祉政治についての現状分析。基本的に自民党が強い中で、その体制が揺らぐ事態が生じると「例外状況の社会民主主義」とも言える方向性が打ち出されます。これに増税を目指す財務省(大蔵省)が乗っかることが介護保険などの新しい社会保障制度が生まれます。

 ところが、財務省の目的は財政再建ということもあって、「磁力としての新自由主義」ともいうべき考えが制度の発展を制約します。なるべく公費の投入を抑え、民間企業を参入させるような福祉が目指されるのです。

 さらに地域では「日常的現実としての保守主義」が幅を利かせており、自助頼み、家族依存の福祉が行われることになります。

 その結果、福祉に対する期待はしぼんで「磁力としての新自由主義」がより強まるというわけです。

 

 この図式を下敷きに、本書は、貧困・介護・育児に関する具体的な動きを見てきます。

 そして、新しい福祉の理想像として「ベーシック・アセット」という考えを打ち出しています。

 

 目次は以下の通り。


第1章 「新しい生活困難層」と福祉政治
第2章 貧困政治 なぜ制度は対応できないか?
第3章 介護政治 その達成と新たな試練
第4章 育児政治 待機児童対策を超えて
第5章 ベーシックアセットの保障へ

 

 本書は1989年から話を説き起こしています。この89年は、バブルの絶頂とも言える時期であり、まだまあ企業福祉がしっかりとしていた時代ですが、非正規雇用も増え始め、合計特殊出生率が1.57という1966年の「丙午」を下回った年でもありました。

 

 このころまで日本型の生活保障は、行政、会社、家族がつながった「三重構造」に支えられていました。

 行政は規制や保護によって企業経営を安定させ、(大)企業は年功序列型賃金や家族手当によって男性稼ぎ主とその家族の生活を支えました。

 

 一方、生活保護などの低所得者向けのメニューは抑制されていました。少し古いデータになりますが(2009年前後)、所得の下位30%層と上位30%層が受給する社会保障給付の割合を比較すると、日本は上位30%の方が多く受給しています(47p図1−2参照)。

 日本の福祉は「普遍主義」とは言えませんが、実は低所得者のみが福祉を受けられる「選別主義」というわけでもないのです。

 こうした中で、景気低迷の長期化、少子化、公共事業や中小企業保護の後退などによって三重構造は崩れてきました。

 

 そこで、福祉の立て直しが必要となるわけですが、「社会民主主義」、「新自由主義」、「保守主義」はそれぞれ独自の施策を持っており、実際の福祉制度の改革の場面ではそれがせめぎ合うことになります。

 ちなみに著者は「社会民主主義」の立場です。この立場を「リベラル」と称することもありますが、著者は「リベラルという言葉はあまりに多義的である」(59p)として「社会民主主義」の名称をを選んでいます。

 

 ここから、本書では「貧困」「介護」「育児」におけるこの3つの考えの現れ方と、進むべき方向を論じていきます。

 詳しくは本書を実際に読んでほしいのですが、ここでは興味を引いた点をいくつかあげておきます。

 

 まず、貧困対策として、所得補償(現金給付)を減らして支援型サービスを増やす「第三の道」に対する反発として、支援型サービスを減らして所得保障(現金給付)に特化するベーシックインカム(BI)の考えが伸びてきた捉えている点です。

 「第三の道」に就労支援に力を入れましたが、ときにそれは就労の意思を示さなければ懲罰的に給付が減らされるというスタイルをとりました。本来、「第三の道」は新自由主義に対抗するものとして登場しましたが、実際には新自由主義的な運用がなされていたわけです。

 これに対して、真の平等を実現するものとしてBIへの支持が出てくるわけですが、BIには他の福祉を切り捨ててBIに一本化することで小さな政府を実現できるという「新自由主義的BI」もあり、一口にBIといってもそのあり方はさまざまです。

 

 2009年に民主党による政権交代が起こりますが、当時の民主党の貧困対策に関して、著者は子ども手当、最低保障年金、職業訓練を受ける求職者に月額最大10万円を給付する求職者支援制度など、ベーシックインカム的な現金給付が中心であったとしています。

 公共事業や業界保護で雇用を維持するやり方は自民党であると退けられた一方、代替となる体系的な雇用政策は持ち合わせていなかったのです。

 「公共職業訓練に関わる雇用・能力開発機構や、労働者のキャリアを記録し外部労働市場を形成するツールとされたジョブ・カードなどが 、むだな行政支出を省くための事業仕分けで検討対象となったことは象徴的であった」(121−122p)のです。

 そして、ベーシックインカムは党内に社会民主主義者も新自由主義者も抱える民主党内で合意しやすい方向性でした。

 

 その後、民主党自民党と協力して「社会保障・税一体改革」に動き出します。これは著者の言う「例外状況での社会民主主義」とも言うべきものでした。

 しかし、消費税増税のスケジュールが決まると、今度は「磁力としての新自由主義」に引きづられていくことになります。

 民主党が政権を失って第2次安倍政権が成立すると、自民党は「生活保護に関するプロジェクトチーム」を立ち上げて、生活保護の給付削減に動きます。

 

 ただし、この第2次安倍政権のもとでも注目すべき制度が生まれました。それが生活困窮者自立支援制度です。

 これは非正規雇用など新しい生活困難者に対して多様な支援を行う仕組みであり、必要な場合は生活保護にも繋ぐ役割を果たします。今までの福祉が、高齢者、障害者、子どもなどの対象ごとに区分されていたのに対して、生活困窮者自立支援制度はこの縦割りに「横串」を刺す形になっています。

 

 この制度が成立したのは、「社会保障・税一体改革」の中にそのアイディアが書き込まれていたこと、さらになんといっても生活費保護削減の議論の中で、一方的な福祉の削減を嫌った公明党がこの制度を強く支持したからです。

 財源に関しても、生活保護費の削減によって生まれた予算をあてにすることがき、この制度が生まれることになったのです。

 

 つづいて介護分野ですが、この分野でなんとっても大きいのが1997年に成立し、2000年から施行された介護保険法です。

 それまでは行政の措置制度として行われた高齢者福祉が社会保険に基づいた普遍主義的な制度になりました。

 また「準市場」とも言うべき新しい取引の場も作られることになります。「政府が費用を負担し、当事者間に交換関係がある」(159p)方式です。

 

 この準市場は、自己負担の割合を増やしてニーズ判定の枠外の契約を増やせば市場に接近することになり、新自由主義的にもなります。また、家族による介護を評価して現金を給付すれば保守的なものとなるでしょう。

 この準市場には、非営利組織、営利企業が参入し、さらには家族による介護も続いています。また、利用者とサービス提供者の間には医療と同じように情報の非対称性があるため、介護保険ではケアマネジャーという専門家が間に入ることになっています。

 

 2006年と2017年で居宅サービス事業所数や居宅介護支援事業所数の変化を見ると、営利法人が大きく増えています(174p図3−2、図3−3参照)。一見するとこれは市場化の現れのようにも見えますが、ニチイ学館SOMPOホールディングスベネッセホールディングスなど上位10社の売上の合計は市場の9%にすぎません。また、当初、事業規模を大きく拡大させたコムスンは介護報酬の不正請求などもあって破綻してしまいました。

 所得水準の引く地域では営利企業の規模拡大は起こらず、営利、非営利ともに地域密着型になる傾向があり、逆に所得水準の高い地域では広域型の事業体が中心になる傾向があるとのことです。

 

 介護保険が導入できた1つの要因として、消費税増税を狙っていた当時の大蔵省の判断もあるわけですが、高齢化や財政状況の悪化とともに介護保険の運営も厳しくなっています。

 そうした中でケアマネジャーが営利的な志向を強めざるを得なくなったり、ヤングケアラーに見られるように家族に負担がいくような状況もなくなっていません。

 介護保険の中でも予防の重視、地域包括ケアシステムの導入など、さまざまな改革が行われてきましたが、財政的な制約からどうしても介護給付の抑制という話になりがちになっています。

 

 最後が育児ということになりますが、この分野は人口減少問題、女性の就労と育児支援、世帯間の格差と貧困問題の3つが密接に絡まり合っておます。

 例えば、スウェーデンでは比較的早い時期に、人口減少問題に対して女性の就労支援と育児支援で対処する方針が固まったために手厚い保育サービスが生まれましたが、1970年代まで出生の抑制に重点が置かれていた日本では、こういったコンセンサスが生まれることはありませんでした。

 1989年の1.57ショック以降、少子化が大きな問題として浮上すると、その対策として女性の就労と子育ての両立を実現させるために保育所の整備に力が入れられることになります。

 

 ただし、両立支援はどちらかというと所得の高い正社員の女性に恩恵のあるもので、政策が制度がさらに格差を広げてしまう「マタイ効果」(「もてるものはさらに与えられ、もたざる者はさらに奪われる」(224p))があるとも指摘されています。

 正社員の女性は共働きでパワーカップルを形成する一方で、パートやアルバイトの女性は保育園を利用できずに仕事を辞めざるを得ないような現実があるわけです。

 

 こうした中で民主党政権交代を目指して子ども手当の大幅な充実を打ち出します。この子ども手当については、当初は普遍主義的な社会民主主義の理念に基づいていましたが、小沢一郎が代表になると、「家族の再生」といった文脈で保守主義的な色合いが強くなってきます。また、子ども手当ベーシックインカム的な性格もあり、新自由主義的な立場からも支持しやすいものでした。

 政権交代後に、子ども手当が導入されたものの、財政制約もあって当初予定していた月額2万6000円は実現できませんでした。

 

 その後の「社会保障・税一体改革」では、民主党は幼保一元化など保育サービスの充実に注力しようとしましたが、自民、公明との協議の中で市場志向型の色彩は弱まります。これは自民党が業界団体の意向を受けて抵抗したからです。

 それもあって保育園経営の株式会社の参入は進みましたが、認可に限れば、その割合は2017年の時点で6.2%にとどまっています(262p)。一方、認可外では株式会社の参入が急速に進んでいます。

 第2次安倍政権においては、消費税増税とリンクする形で保育無償化が打ち出されましたが、これも「マタイ効果」を発生させてしまう可能性があります。

 

 こうした日本の社会保障の状況を見た上で、著者はベーシックインカムでもベーシックサービスでもないベーシックアセットというものを打ち出しています。

 これはすべての人に社会に参加するための資源をあらかじめ分配するという考えんのですが、やや急ぎ足で紹介していることもあって、本書を読んだだけではややわかりにくいかもしれません。

 

 最初にも書きましたが、日本のここ30年ほどの福祉政治がいかなる枠組みの中で論じられ、動いてきたかということがわかる部分がなんといっても面白く、興味深い部分でしょう。

 

 

リン・マー『断絶』

中国が発生源の未知の病「シェン熱」が世界を襲い、感染者はゾンビ化し、死に至る。無人のニューヨークから最後に脱出した中国移民のキャンディスは、生存者のグループに拾われる……生存をかけたその旅路の果ては? 中国系米国作家が放つ、震撼のパンデミック小説!
6歳のとき中国からアメリカに移民したキャンディスは、大学卒業後にニューヨークへとやってくる。出版製作会社に職を得るも、やりがいは見出せない。だがそんな日常は、2011年に「シェン熱」が中国で発生したことで一変する。感染するとゾンビ化し、生活習慣のひとつを繰り返しながら死に至るという奇病で、有効な治療法はない。熱病はニューヨークへも押し寄せる。恋人や同僚をはじめ、人々が脱出していくなか、故郷のない彼女は、社員の去ったオフィスに残る。機能不全に陥った街には、もはや正気を失い息絶えた熱病感染者と自分しかいない―ある日、彼女はついにニューヨークを去る決心をする。そして脱出の途上で、ある生存者のグループに拾われ、安全な〈施設〉へ向かうという彼らの仲間に入れてもらうのだが、それはキャンディスにとって、新たな試練の始まりだった……。

 

 これがAmazonのページに載っているこの小説の紹介文。

 中国発の伝染病でニューヨークが無人化するなんて、まさに新型コロナウイルスの感染を受けて急遽書かれたような話にも思えますが、この小説が発表されたのは2018年です。つまり、未来を予見したような小説なのです。

 

 本書に出てくるシェン熱は、中国の深センで初めて感染が確認された伝染病で、真菌の胞子を吸い込むことで感染します。予防には屋内では換気が重要で、N95マスクをつければ感染のリスクは低減されます。

 それでも感染は広がり続け、小説の中で、アメリカは東アジアからの外国人の入国を拒否するようになっています。

 このように、本書は新型コロナウイルスによるパンデミックを思い起こさせる設定となっています。

 

 ただし、このシェン熱は、感染が進行すると生活習慣のひとつを繰り返しながら死に至るという奇病で、感染者はさながらゾンビのようです。

 そのため、この小説はパンデミック小説でありながら、同時にゾンビ小説でもあります。

 生き残った人びとと行動をともにするようになって主人公のキャンディスは、人気のない街で、店や住宅などに入って生活に必要なものを手に入れていくのですが、そこで出会うシェン熱の患者はまさにゾンビであり、本書にはホラー小説の味わいもあります。

 

 しかし、本書の読みどころはそれだけではありません。

 本書は、郝景芳『1984年に生まれて』と同じく、中国人の家庭における夫婦や世代間のギャップを扱った小説でもあります。

 主人公の父は1988年にアメリカ留学のチャンスを掴んだ中国福建省出身の人間であり、ソルトレイクシティのユタ大学に幼い娘を残して妻とともにやってきます。そして、天安門事件をテレビで見て、アメリカで生きる決意を固めます。

 一方の妻は福建省の故郷を懐かしがり、アメリカには馴染めません。

 そして、主人公のキャンディスは6歳までは福建省で祖父母に育てられていましたが、アメリカに呼び寄せられ、そこで成長し、大学を卒業してニューヨークで暮らすようになります。

 

 この故郷を離れようとする父と、故郷にとどまろうとする母の組み合わせは『1984年に生まれて』と同じであり、主人公と両親の世代間のギャップがせり出してくるのも『1984年に生まれて』と同じです。

 

 主人公はさまざまな趣向をこらした聖書を制作する仕事に就いているのですが、その聖書がつくられていくのが中国・深センの工場です。主人公は顧客の注文に応じて、ニューヨークと深センを行き来しながら、中国の工場に指示を出し、品質や納期を管理しています。

 本書は現代のグローバル・バリュー・チェーンを描いた作品でもあり、また、中国のことをあまり知らない中国系アメリカ人が中国本土で、居心地の悪い感じを覚えるところなども描いています。

 

 作者のリン・マーも1983年に中国で生まれて幼い頃に渡米し、その後一貫してアメリカで暮らすという、主人公のキャンディスとほぼ同じ経歴をたどっているのですが、本書はリン・マーのこれまでの経験が書き込まれていると考えていいでしょう。

 本書は、パンデミック小説、ゾンビ小説でありながら、同時に自伝的な小説でもあるという、めったに無いような小説なのです。

 

 最後の展開については少し走りすぎたような気もしますが、とにかくさまざまな要素がこれでもかと詰まった小説であり、作者のすべてが投入されているような作品となっています。 

 

 

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