ケイトリン・ローゼンタール『奴隷会計』

 奴隷制というと野蛮で粗野な生産方式と見られていますが、「そうじゃないんだよ、実はかなり複雑な帳簿をつけてデータを駆使して生産性の向上を目指していたんだよ」という内容の本になります。

 

 何といっても本書で興味を引くのは、著者は元マッキンゼー経営コンサルタントだったことです。

 著者はたくさんのスプレッドシートを見ながら経営効率を上げる仕事をしながら、このように働く人をスプレッドシートのセルとして扱うようになったのはいつなのか? ということに疑問を持つようになったといいます。

 

 そこから大学院に入って見つけたのがプランテーションの帳簿で、「まさしく現代のものだと思われていたデータ処理が、奴隷制と共存するばかりか、補完までしていたことを示して」(はじめに iXp)いたことに気づいたといいます。

 

 このテクノロジーとグロテスクさの共存というのが本書の読みどころで、奴隷制という「離脱」が許されない世界の中で、ぎりぎりまで生産性をあげようとする行為のおぞましさが浮かび上がってきます。

 

 目次は以下の通り。

序論

1 生と死のヒエラルキー──英領西インド諸島の会計と組織構造

2 労働の記録──ペーパーテクノロジーの比較から見えるもの

3 奴隷制の科学的管理──アンテベラム期の南部における生産性分析

4 人的資本──アンテベラム期の南部における命の値踏み

5 自由を管理する──南部支配の再現

結論 経営と奴隷制の歴史

追記 科学的管理への移行

 

 奴隷制が資本主義の確立の大きな役割を果たしたということについては、エリック・ウィリアムズ『資本主義と奴隷制』といった著作があります。ウィリアムズは、奴隷からの搾取によって産業革命が準備されたということを論じたわけですが、本書ではより細かい搾取の方法が発掘されています。

 そして、その奴隷の管理手法は、テイラーの提唱した科学的管理法の先駆的なものだというのです。

 

 1767年、ジャマイカプランテーションでつくられた帳簿には収益と費用を集計したものの他に、「ニグロ勘定」という奴隷の数を数えたものがありました。

 プランテーションで働く奴隷の数を「在庫」欄に記入し、生まれた子どもと死んだ奴隷を計上します。そして、年末の奴隷の数を最終的な在庫として記入するのです。

 

 19世紀初頭のジャマイカでは3000人近くの奴隷がいた砂糖プランテーションもあったといいます。

 大工場の規模がプランテーションに近づくのは19世紀半ばになってからであり、ジョサイア・ウェッジウッドの陶器工場が当時最大の工場だったという説もありますが、ウェッジウッドが亡くなった1795年、従業員は450人でした(17p)。

 

 砂糖プランテーションでは、サトウキビの栽培だけでなく、すりつぶして液体を絞り出し、それを何度も煮詰めて、糖蜜をつくり、場合によってはそこからラム酒をつくっていました。

 サトウキビを収穫してから煮詰めるまでの作業は時間との戦いであり、そのために工場は畑のすぐそばに作られました。砂糖プランテーションは農場と工場が合わさったようなものだったのです。

 

 このような大規模プランテーションでは、大企業に見られる本部の戦略機能と本部より小さい事業部からなる階層制度(M型構造(多数事業部制)に似た構造が見られました。

 18世紀末につくられた大規模プランテーションの「ニグロ前述リスト総覧」と題した記録では、奴隷を現場監督、作男、作女、畜舎係、大工、樽職人、鍛冶、レンガ職人、木挽き、水夫、畜牛係、庭師のほか、馬小屋、診療所などで働く者が記録されており、かなり細かく仕事が分けられていたことがわかります。

 

 カリブのプランテーションでは不在地主化が進み、現地での管理は代理人に任されました。その代理人の下に管理人がおり、彼らが現場を監督しました。

 さらにその下に帳簿係がいましたが、これは名前と仕事が一致しておらず、本国の若者たちに仕事の内容を勘違いさせるための名だったと思われます(実際には豚の世話などもさせられた)。

 ただし、プランテーションでさまざまな帳簿がつけられたのは事実で、本国の地主への報告のためにもさまざまな帳簿がつけられていました。

 

 子どもの奴隷も戦略的に組み込まれており、早ければ6歳ころから草取りなどの仕事が割り当てられました。人手が必要だったということもありますし、幼い頃から絶え間なく働く生活になれさせる面もあったと考えられます。

 

 カリブのプランテーションでは少数の白人が多くの奴隷を管理する体制になっていました。そのため奴隷の反乱が起こることもあり、奴隷が逃亡することもありました。

 そのために農園主は武器と馬を確実に管理し、そのために武器になり得るものを帳簿で管理しました。同時に反抗的な奴隷に対して、焼印を押す、鼻や耳を切り取る、去勢する、鞭打ちして傷口に塩や酢を乗り込むなど、奴隷たちに恐怖を刷り込もうとしました。

 

 不在地主化の進行は植民地の統治の質を下げたとも言われますが、経営史的に見ると所有と経営の分離の初期の形態と見ることも可能です。

 代理人からは年次概況書が地主のもとに送られ、この書類の作成のために会計の専門家が雇われることもありました。場合によっては、半年に1回、4半期ごとに1回書類による報告を求める地主もおり、本国と植民地の距離を書類とそこに書かれた数字によって埋めようとしたのです。

 

 農園主たちも、より大きな収益を得るために帳簿をつけています。毎日の記録や作物の記録、奴隷の状況などが記入できるようになっており、これを見ながら農場の状況を把握しました。

 やがて、このようなプランテーション用の帳簿を売る業者も出てきます。

 

 こうした帳簿は北部の工場でもつくられていましたが、勤務記録については働き手がすぐ辞めるために記入される名前は月ごとに違いました。

 当時は多くの工場が日給制だったため、勤務記録時間などもつけていましたが、悩みは離職率の高さです。19世紀前半のニューヨーク市郊外の大規模な工場では、2ヶ月で30%近い従業員が辞めています。

 これに対して奴隷は離職の心配がありませんでした。そのために農園主たちは離職の心配なしに生産性の向上のためにさまざまなことを試すことができました。

 

 ただし、帳簿の中の詳細な記録は奴隷廃止論者にも利用されました。

 奴隷の神通が減少していく記録や、「2時に39回きつく打ち、それから塩を塗った」(96p)といった記録が、奴隷制の残酷さを可視化させたのです。

 

 帳簿を使った奴隷の管理はアメリカ南部の綿花のプランテーションでも行われていました。19世紀半ばになると、トマス・アフレックという人物が、奴隷の人数に応じた『綿花プランテーションの記録と会計帳簿』という帳簿をつくって販売しています。

 この帳簿を使えば、特に簿記などの知識がなくても費用や収益が計算できました。

 

 南部の農園主たちはこうした帳簿を使って奴隷1人あたりの綿花の収穫量を把握し、それを増やそうとしました。

 農園主たちは奴隷たちに競争をさせてグループで1番のものに褒美を与えたり、あるいは何回か競争をさせて個々の収穫量を把握し、達成できないときには罰を与えるといった手法もとられました。

 収穫の計量の時は奴隷たちにとっては恐怖の瞬間で、足りなければ鞭で打たれましたし、多すぎれば次回からのノルマが引き上げられるということがありました。

 

 1801〜62年にかけて奴隷1人あたりの1日の平均収穫量は年2.3%で増加し、約4倍になりました(120p)。

 この要因として、経済学者は綿花の品種改良、歴史学者は奴隷に対する暴力の激化をそれぞれ強調していますが、帳簿のデータを使った管理もその1つだったと考えられます。

 農園主たちは収穫量だけではなく、肥料のやり方、綿花と食料となるトウモロコシの種まきや収穫の時期をデータから探りました。

 さらに奴隷たちを収穫以外の作業に効率よく割り振ることでプランテーション全体の効率を高めようとしました。セントラルキッチン方式を採用し、収穫時に奴隷が料理する手間を省こうとした例もあります。

 

 働き手の作業量を把握してそれを最大限に引き出すことが科学的管理の基本ですが、プランテーションではまさしくそうしたことが行われていました。

 プランテーションでは、「プライムハンド(優れた働き手)」は12エーカー分の綿花畑の畝を立て、7から10エーカーにわたって種を蒔くという形で把握され。これを元に全体の作業が組み立てられました。

 

 1856年、ミシシッピ州アダムズ郡のケインブレイクプランテーションでは12人の子どもが生まれましたが、農園主は1歳近くになった子どもに75ドルという評価額を書き入れ、他の子どもには25ドルという評価額を書き入れました。

 このように奴隷は資産として常に評価されていました。ケインブレイクプランテーションの農園主は、もっとも高い価値のトマスに1200ドル、26歳のアーロンに800ドル、5歳のエリザに175ドル、高齢の者は0ドルといった具合に、帳簿に値段を書き入れています(143−145p)。

 

 一般的に奴隷は、子どもは成長にするに従って価値が増え、高齢者は価値が下がっていきます。若者が多ければ、その資産は自然に増えていくのです。

 プランテーションでは、このように奴隷に対する減価償却が行われていました。奴隷は鉄道の車両や線路と同じように、長期に渡って使用する固定資産と捉えられていたのです。

 このため、奴隷にたくさん出産させるために、授乳期間を短くするように命じる農園主もいました。

 

 また、奴隷の値段をつけた一覧は銀行から融資を受ける際にも活用され、奴隷を担保にした借り入れも行われており、南部では植民地時代と19世紀の担保ローンの約40%は奴隷を担保にしていたという研究もあります。

 奴隷は高齢になると値が下がりますが、逃亡を企てた奴隷の価格も下がりました。農園主が逃亡に手を貸した人物に下落した価格の補償を求める訴訟も起こってます。

 また、鞭で打たれた跡が多い奴隷の価格も下げられたので、のちには傷が残らないように奴隷を打つ器具(「フロッピング・パドル」)も開発されました。

 

 1860年リンカーンは演説の中でアメリカの人口の6人に1人は奴隷であり、「控えめに見積もっても、20億ドルはくだらないだろう」(179p)と述べ、この資産価値が政治に大きな影響を与えているとしましたが、実際には31億〜36億ドルほどはあったと見積もられています。

 ジョージア州は合衆国脱退の理由に、この巨額の資産の非合法化をあげています。

 

 この資産は南北戦争によって解放されました。南部の農園主は働き手と契約して賃金を払わなければならなくなったのです。

 しかし、しだいに農園主たちは元奴隷たちを支配するような契約を結んでいきます。また、南部の州も、元奴隷が放浪を禁止したり、よそで土地を借りることを規制したり、契約期間中にやめたものから最高1年分の賃金を没収できるものとして、この支配を後押しします。

 契約書の読めない元奴隷に対して、病気で休めば1日25セント、それ以外の理由なら1ドルを差し引くといった契約が結ばれ、借金漬けになった元奴隷も少なくありませんでした。

 

 ただし、例えば女性や子どもを今までのように働かせることは難しくなりました。

 そこで農園主たちは移民を募りました。まずはドイツやアイルランドから移民が呼び寄せられましたが劣悪な条件のもとで定着せず、年季奉公人として定着したのは中国人でした。彼らはアメリカだけでなく、ジャマイカなどの西インド諸島にも送られています。

 さらに囚人貸出制度を利用して囚人を働かせたケースもありました。囚人はかつての奴隷と同じように仕事が終わらなければ鞭で打たれたといいます。

 

 このように奴隷に代わる労働力が探し求められたのですが、奴隷がいたときのような生産性を高めるための分析は行われなくなります。解放奴隷の生活も安定せず、南部は低賃金の地域として残り続けることになります。

 

 このように、本書は奴隷制度の上に成り立っていたプランテーションが決して「時代遅れの遺物」ではなく、現代の企業経営にも通じる「科学的」なものだったことを示しています。

 現在の日本においても「生産性の向上」は常に追求され続けており、人口が減少していく中で、この「生産性の向上」こそが日本の生き残る道だとされていますが、「生産性」という数字だけを見ていったときに行き着く果てが本書には描かれています。

 そういった意味でも幅広く読まれるべき本と言えるかもしれません。

 

 

柴崎友香『寝ても覚めても』

 読み始めたときは随分とちぐはぐな印象の小説だなと思いつつも、最後まで読むと「そういうことだったのか!」となる小説。

 主人公に感情移入できる人は少ないかもしれませんし、読むのがやめられなくなる小説とかではないのですが、最後のゾワゾワっとする展開はいいですね。印象に残る小説です。

 

 物語としては主人公の朝子が、鳥居麦という男に一目惚れをして付き合うことになるのですが、麦はとらえどころがなく、時には暴力的だったりして、一昔前のマンガとかトレンディドラマとかで男の主人公を振り回す女性みたいな印象です。そして、麦は突然朝子の前から姿を消します。

 その後、朝子は東京に出てきますが、そこで麦と瓜二つの顔を持つ亮平に出会い、恋に落ちます。そんな中、俳優となった麦がTVの画面や街のポスターを通じて朝子の前に現れるというストーリーです。

 

 朝子は一応、写真をやっていてポストカードを売ったりもしていますが、基本的にはフラフラしている人間で、友人のバンドだとか劇団とかの手伝いをしたり、そうした友人の家に入り浸ったりと、確固たるものがないような人間です。

 

 この小説は主人公・朝子の一人称で書かれています。朝子は大阪の生まれで多くの会話が関西弁でなされているので、地の文も饒舌かと思いきやそうではありません。

 また、冒頭の高層ビルからの情景の描写のように、非常に細やかで映像的な描写があるかと思えば、

六本木ヒルズ森タワーは、太い。(230p)

といったアホみたいな描写があったりしますし、

七月になった。

金曜日だった。

就業時間が早く終わればいいと思った。時計ばかり見ていた。(58p)

というように小学生の作文のような文章があったりします。

 

 非常に緻密な描写とこの雑な描写のちぐはぐさがずっと気になるわけですが、このちぐはぐさの理由が最後の30ページくらいで一気に明らかになります。

 これが朝子なわけです。

 

 この小説は1999年から2009年頃までを舞台にしていますが、リーマンショック東日本大震災前のなんとなくゆるい感じもよく出ていて、そこも個人的には面白かったですね。

 読む人を選ぶ小説のような気がしますが、これはインパクトのある小説です。

 

 

Wet Leg / Wet Leg

 リアン・ティーズデールとヘスター・チャンバースからなるUKの女性二人組のバンドのデビューアルバム。

 音はスカスカ気味でローファイな感じで、特に複雑なことはやっていないんですけど、メロディと二人のボーカルがいいですね。

 ちょっとやさぐれた感じのボーカルなんですけど、これがやや投げやりな感じに聴こえつつも決めるところはしっかりと決めているサウンドとがっしりハマっています。

 

 アルバム全体のアクセントもついていて、立ち上がりはややスカスカ気味ながら3曲目の"Angelica"では轟音ギターを入れてきたり、つづく4曲目の"I Don't Wanna Go Out"はノスタルジックにまとめ、つづく5曲目の"Wet Dream"はやや尖ったものを聴かせてくるなど変化があります。

 8曲目の"Ur Mum"ではシャウトが入ってちょっとパンクっぽくなりますし、ラストの12曲目の"Too Late Now"も終わり方としてはいい感じですね。

 

 絶妙なバランスで成り立っているバンドなので、2nd以降はどうなるのか?というのはありますが、とりあえずこのデビューアルバムはいいんじゃないかと思います。

 


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マーガレット・アトウッド『侍女の物語』

 ちょっと前に読み終えていたのですが、感想を書く機会を逸していました。有名な作品ですしここでは簡単に感想を書いておきます。

 

 舞台はギレアデ共和国となっていますが、どうやら近未来のアメリカで、出生率の低下に対する反動からか、何よりも生殖が優先されるいびつな社会となっています。

 「侍女」である主人公の役目は「司令官」と呼ばれる屋敷の主の子を産むことであり、そのために自由が徹底的に奪われています。

 

 いわゆるディストピアSFですが、一般的なSF小説とは違い、この世界がどのような世界であるかのディティールはエピローグ的な部分まで伏せられています。このあたりはカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』とか『クララとお日さま』とかと似てますかね。

 ただし、カズオ・イシグロの小説があくまでもノスタルジー的な雰囲気をたたえているのに対して、こちらはそういったものはなく完全にディストピア感が漂っています。

 

 セックスというのは愛と生殖と快楽が混じっているものですが、生殖が何よりも重視される社会で、まず排除されるのは快楽です。「奔放な女性」みたいなものは社会の敵以外何者でもないわけです。

 では、愛はどうかというと基本的には排除されています。とにかく妊娠するかしないか、無事に出産できるかどうかがすべてなわけです。

 

 ただし、愛がまったく消えたわけではなくて、司令官と侍女の性交渉には司令官の正妻が立ち会うというか、ずっと主人公の両手を握っているんですよね。ここの描写が最高にグロテスクで、グロテスクに満ちたこの小説の世界の中でも最高にグロテスクなシーンになっています。

 全体的に強い印象を残す小説ですが、その中でもこのシーンは他の人には書けないんじゃないかと思わせる強烈さです。

 

 ただ、1点だけ気になったのは、途中で日本人観光客が普通に出てくるところ。1985年に発表された作品ということで日本人が出てくるのでしょうけど、閉鎖空間に会いた穴という感じで不思議な印象を受けました。

 

 

瀧井一博『大久保利通』

 副題は「「知」を結ぶ指導者」。

 以前著者の書いた『伊藤博文』(中公新書)の副題が「知の政治家」だったことを覚えている人は「また知なのか?」と思うかもしれませんし、大久保をそれなりに知っている人からしても大久保に「知」という特徴を当てはめることに違和感を感じるかもしれまえん。

 かつて岩倉具視は大久保について木戸孝允と比較しながら「大久保は才なし、史記なし、只確乎と動かぬが長所なり」(8p)と述べたと言われていますが、この評にもあるように、大久保は木戸や西郷に比べて、「知」の面で優れていたとは言えないからです。

 

 ところが、本書を読み進めていくと、「知」の部分よりも、むしろ「結ぶ」の部分に本書の力点があることがわかってきます。

 大久保自らは深い「知」の持ち主ではなかったかもしれませんが、明治新政府の始動にあたって、大久保はできるだけ多くの「知」を集めようとしたのです。

 大久保と言えば、「冷徹」で「孤高」というイメージが強いかもしれませんが、本書はそのイメージとは違った大久保のリーダーシップに光を当てています。

 

 目次は以下の通り。

はじめに

第一章 理の人
I 志士への道
II 弛緩する朝幕体制
III 好敵手・慶喜
IV 連携する薩長――「共和」の国へ
Ⅴ 倒幕、そして王政復古
第二章 建てる人
I 東京遷都――一君万民の国造りへ
II 廃藩置県
III 政体調査としての欧米回覧の旅
第三章 断つ人
I 征韓論政変
II 立憲政体の構想と内務省の設立
III 佐賀の乱
IV 台湾出兵と北京談判
第四章 結ぶ人
I 立憲政体の漸次樹立
II 衆智としての殖産興業――東北への勧業の旅
III 西南戦争
IV 勧業の夢――第一回内国勧業博覧会
終章
あとがき

 

 本書は大久保の誕生から死までを扱っていますが、特にオリジナリティがあるは後半部だと思いますので、ここでの紹介も第2章から始めたいと思います。

 第1章では、王政復古の大号令に向けて、大久保が倒幕とともに古い朝廷の体制を一新せねばと考えていたのが印象的で、慶応3(1867)年11月の時点で、薩摩藩士の伊地知正治が大久保に遷都について書き送っているように(142p)、大久保の周辺ではすでに遷都も頭に入っていたこともわかります。

 

 第2章では明治政府の成立後の大久保の活躍が描かれていますが、まずは岩倉とともに取り組んだ東京遷都です。最後の最後で岩倉は東京遷都に抵抗を示すようになりますが、ここは大久保が押し切りました。

 さらに大久保は旧幕臣の登用を進めようとし、徳川慶喜の宥免を唱えます。これには三条実美が反対しますが、大久保がこれを説得し、慶喜の謹慎免除にこぎつけました。

 大久保は、この後も、旧幕臣、あるいは身分にとらわれずに有能な人材の発掘と抜擢に熱心に取り組みます。

 

 ただし、この時期に重要な政策をリードしたのは木戸でした。版籍奉還廃藩置県もより積極的だったのは木戸です(ただし、松沢裕作『日本近代社会史』によれば、版籍奉還は姫路酒井潘、、廃藩置県熊本藩知事・細川護久の建白に薩長が乗っかったと説明されている)。

 もっとも、大久保の上には保守的な立場を持つ島津久光の存在があり、木戸ほど自由に動けなかったという面もあります。

 

 積極主義の木戸のもとで、新政府の積極的な政策を行っていたのが大蔵省と民部省が合併してできた大隈重信率いる民蔵省でした。あまりに性急なやり方に危惧を覚えた大久保は、民蔵両省の分離をはかり、これを成し遂げます。

 後にも触れますが、大久保は一貫して漸進主義者であり、急進的な改革にブレーキを掛ける役割でした。

 廃藩置県に関しても大久保は慎重な姿勢でしたが、木戸と政府に復帰した西郷の間で話がまとまったことから、これを受け入れます。

 

 さらに大蔵省と民部省の合併も決まり、大久保の構想は木戸によって押し流される形になりました。ただし、井上馨が大久保に対して大蔵卿への就任を強く要望したこともあって、大久保が政府中枢から去ることはありませんでした。

 

 この後に岩倉使節団の一員として大久保は洋行しますが、当初、大久保は自分と木戸が共に洋行に出ることに慎重でした。

 ところが、大久保は洋行を決意します。岩倉に対しては、再び民部省を取り込んだ大蔵省の活動を抑止するためには卿である自分がいないほうがよいという理由をあげていますが、他にも関税についての条約改正の必要性を感じていたことなどがあげられます。

 

 岩倉使節団において大久保は工場を熱心に見学したことが知られています。この経験がのちの内務卿への就任と殖産興業の推進へつながっていくわけですが、本書を読むと、大久保がいわゆる先進的な工業だけではなく、国産化できそうなものに注目していたことも見えてきます。

 

 例えば、大久保はパリ滞在中に大倉喜八郎の訪問を受け、大倉が兵隊の軍服を羅紗製に変えるために毛織事業を興そうとしていることを知ります。これに対して、大久保は初めての事業で失敗するよりは、まずは政府がやってみて、うまくいったら貴公に払い下げたいと提案しています。

 そして、随行していた留学生に毛織事業を学ばせ、下総に牧羊場を開かせるのです。

 

 また、最後に訪れたドイツではビスマルクと会い、弱肉強食のリアル・ポリティークの現実を教えられています。

 

 しかし、外遊は帰国命令によって打ち切られます。留守政府において、財政規律を守ろうとする井上馨と積極的な政策を求めるその他の省庁の対立が調停不能なところまできたことと、征韓問題の浮上がその理由です。

 また、大久保らが留守の間に、江藤新平大木喬任後藤象二郎が参議に就任しますが、これとともに正院が強化され、「内閣」という言葉も使われるようになりました。参議らが各省を従える体制ができあがったのです。

 

 明治6(1873)年の5月26日に帰国した大久保はしばらく参議になることを渋っていましたが、10月になると参議に就任します。

 一度は西郷の朝鮮への派遣が決まりますが、最終的には大久保と岩倉が押し返し、西郷、江藤、板垣、後藤、副島が政府を去ります。

 

 明治6年の政変後、大久保は「立憲政体に関する意見書」を出していますが、その試案である「政体論」では、「君主専制」、「農本主義」、「漸進主義」の3つが打ち出されていました。一方、「立憲政体に関する意見書」では、将来的な「君民共治」が打ち出されました。

 これは「君主専制」といっても天皇親政を求めるものではなく、大臣・参議の補佐を重視しているという点から実質的には同じようなものだともとれますし、「君主専制」→「君民共治」という漸進主義が打ち出されているとも言えます。 

 なお、「政体論」にあった「農本主義」は内務省の設立につながっていきます。

 

 大久保は大蔵省が徴税と撫育治産の事業を兼ねていることをかつてから問題視しており、伊地知正治や宮島誠一郎のはたらきかけもあって内務省の設立が決まり、大久保が内務卿に就任することが決まります。

 大久保は内務省前島密や杉浦譲といった旧幕臣を含めた人材を集め、勧業、郵便、治山治水、戸籍といった職務に取り組んでいくことになります。

 ここでの勧業の中心は農業とその周辺の産業であり、鉄道や鉱業はできるだけ民間に任せようとしていたのも大久保の特徴的なスタンスと言えます。 

 

 ただし、大久保は内務省の業務だけに専念することは許されませんでした。

 1874年2月には内務卿の職を輝度に任せて佐賀の乱の鎮圧のために佐賀に赴いています。大久保は江藤を晒し首にし、「江藤の醜態は笑止である」(319p)と言い放っています。

 さらに台湾出兵の問題が持ち上がります。出兵を止められなかった大久保は、8月に北京に渡って交渉を行います。ボワソナードの助言などから戦争の大義がないと考えた大久保は粘り強く交渉を重ね、駐清イギリス公使のウェードの助けも得ながら交渉をまとめ上げました。

 

 帰国した大久保は横浜港で多くの人々から歓迎を受けますが、すぐに台湾出兵に反対して政府を去った木戸の復帰のために動き出します。

 両者の話し合いはなかなか進みませんでしたが、伊藤博文の周旋もあって木戸と板垣の政府への復帰が決まります。木戸が求めた政府機構の改革に対しては岩倉の反対がありましたが、大久保は木戸の復帰を優先して岩倉を押し切っています。

 政府に復帰した板垣は、島津久光と組み、参議省卿分離(各省の卿と参議を分離すべきだという論)を持ち出して政府に揺さぶりをかけますが、これに失敗し、板垣と久光は政府を離れます。

 

 1876年5月、大久保は三条実美に「本省事業ノ目的ヲ定ムルノ議」と題した建議書を提出しています。

 本省とはもちろん内務省ですが、ここで「内務の現に着手の先務緊要とする処」として、①樹芸・牧畜・農工商を奨励するの道、②山林保存・樹木栽培、③地方の取締の整備、④開運の道を開くこと、の4項目があげられています(366p)。

 それぞれ内務省のセクションである勧業寮、地理寮、警保寮、駅逓寮に係る案件です。

 

 これについては小幡圭祐・松沢裕作「『本省事業ノ目的ヲ定ムルノ議』の別紙について」というその成立過程を研究した論文があり、この各案件がそれぞれ単独につくられたことを明らかにしています。

 ここから大久保の政策上の主導性を疑問視する考えも出てくるのですが、著者は大久保のリーダーシップをプロデューサー的なものと見ています。まさに「結ぶ」人というわけです。

 

 明治9年5月から2ヶ月にわたって大久保は東北地方の巡察に出ます。

 大久保は各県の県政の状況や、道路や水運の交通状況、産業の様子を知ろうとし、さらに各地で殖産に努める有為の士を発掘しようとしました。このあたりにも大久保のプロデューサー的な性格がうかがえるかもしれません。

 さらに東北の沃野の開拓に意欲を示し、安積疎水の整備による開拓事業が始まりました。

 

 しかし、大久保は士族反乱にも向き合わなければなりませんでした。特に1877年に勃発した西南戦争では同志であった西郷と戦うことになりました。

 西南戦争の最中に木戸も亡くなり、また、腹心だった杉浦譲も亡くなるなど、大久保にかかる負担はますます大きくなりました。

 

 西南戦争が集結する前に上野で始まった第一回内国勧業博覧会は、大久保の構想の1つの集大成となりました。

 大久保は殖産興業のためには、人々がさまざまな技術やアイディアを見て触発されることが必要だと考えていました。

 万国博覧会はこの時代の世界的な流行でしたが、大久保が考えたのはあくまでも国内向きのもので、日本国内に眠っているアイディアや人材を発掘しようとしたものでした。多くの人の目が海外に向いていた中で、大久保の目は国内にも向いていたと言えます。

 実際、この博覧会では日本の陶磁器の技術などが改めて注目され、臥雲辰致のガラ紡機が見いだされ、1位を受賞しました。

 そして、翌年の5月に大久保は紀尾井坂で暗殺されています。

 

 以上、興味を引いた点を中心にまとめてみましたが、本書を読むと、大久保の強みが佐賀の乱西南戦争で見せた「鋼の意志」だけではなく、人々のアイディアを活かそうとする柔軟性にもあったことが見えてきます。

 台湾出兵における清との交渉においても、「意志」だけではなく、ボワソナードの助言を取り入れた交渉をしたことが成功につながったことがわかります。

 そういった意味で大久保は「結ぶ」人であり、本書は大久保のプロデューサー的な側面を掘り起こすことに成功しています。

 

 

『ブレット・トレイン』

 原作は伊坂幸太郎の『マリアビートル』、日本の新幹線を舞台にしたアクションもので主演はブラッド・ピットという作品。

 新幹線に乗り合わせた殺し屋たちが、大金の入ったブリーフケースをめぐって争うというストーリーですが、そこにはさまざまな思惑や因縁がからんでいて…という展開になります。

 基本的にはポスト・タランティーノ的な作品で、イカれた人物たちによる会話が1つのウリになっているわけですが、そこはややキレが鈍い。

 ただし、外国人の描く「間違った日本」が大好きな者としては十分に満足できる。なんといってもクライマックス近くのシーンで「スクール・ウォーズ」の主題歌の麻倉未稀「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」が流れるんですよ!

 

 ブラッド・ピットが演じるコートネーム「レディバグ」は、一時期リタイアしていたもののセラピーを受けて復職した殺し屋。今回は新幹線の中から荷物を奪って次の駅で降りればいいという簡単なミッションを受けたが、次々とトラブルが起こって新幹線を降りられなくなるというのがスタートです。

 

 まず、出発点の東京駅ですが、外見は本物と全然違う。駅構内ではソメイティらしきゆるきゃらが激推しされており、このソメイティは新幹線の中でも推されており、着ぐるみまで乗車しています。

 新幹線も外見からしてそれほど似せようとしてはいません。列車名は「ゆかり」ですし。中身も本物とは全然違う。なぜか新幹線が猛スピードでカーブしていくシーンもありますが、危ないですよね。

 

 新幹線は品川→新横浜→静岡といった具合に進んでいくのですが、どの駅もケバケバしくて現実の駅とは全然違います。

 それなのに何もない米原駅は本作でも何もない!

 

 なぜか夜行列車になっている新幹線を舞台にアクションが繰り広げられるわけですが、新幹線にホームから飛び移った殺し屋が後部運転席の窓ガラスを破壊して中に入ったりできたように、かなりもろい構造ですね。

 でも、トイレはウォシュレットの最新式で、ブラッド・ピットも感心しちゃってます。

 

 新幹線の屋根の上に敵が乗っかってくるシーンは『ウルヴァリン: SAMURAI』を思い起こさせますが、この新幹線も『ウルヴァリン: SAMURAI』のものと同じくパンタグラフがないのでは?疑惑がありますね。

 そして、『ウルヴァリン: SAMURAI』と共通するのが真田広之の存在。どんなトンチキな日本であっても、かっこよく決めてくれるのが真田広之で、今作では特に決めてくれています。

 

 「文化の盗用」といったことが話題になる昨今ですが、日本に関してはぜひ海外の皆さんに適当なイメージの日本を舞台にした作品をつくっていってほしいですね!

 

morningrain.hatenablog.com

池内恵、宇山智彦、川島真、小泉悠、鈴木一人、鶴岡路人、森聡『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』

 東京大学出版会から刊行されている「UP plus」シリーズの1冊で、形式としてはムックに近い形になります。

 このシリーズでは川島真・森聡編『アフターコロナ時代の米中関係と世界秩序』を読んだことがありますが、『アフターコロナ時代の米中関係と世界秩序』ではけっこう長めの対談が2つはいっていましたが、本書は個人の論考が7本並ぶという形になっています。

 ここではそれぞれの内容を簡単に紹介していきます。

 

鈴木一人「戦争と相互依存」

 

 サブタイトルは「経済制裁武力行使の代わりとなるか」。ここからもわかるように対ロシアの経済制裁について検討しています。

 まずは経済制裁の基本を確認しつつ、経済制裁はやられる方もやる方も双方にダメージがあることを指摘しています。現在、欧州がガス価格の高騰などに苦しんでいるように、経済制裁をかける方も返り血を浴びる可能性が高いのです。

 

 今回の経済制裁の特徴はG7が結句して迅速になされた点と、そうは言っても石油や天然ガスについて完全な輸入禁止はまだできていないという点があります。

 ロシアの化石燃料は中国やインドにも売られているわけですが、同時に対欧州でも大きな穴が空いているという「ドーナツ型」の制裁になっています。

 また、今回は制裁を解くタイミングも難しく、ロシアの占領地域がある限り、そう簡単には制裁を解除できないでしょう。そうしたことから、今後「制裁疲れ」が起きている可能性があります。

 

小泉悠「古くて新しいロシア・ウクライナ戦争」

 

 2014年のクリミア併合とその後のウクライナ危機において、ロシアは「ハイブリッド戦争」とも呼ばれるサイバー攻撃などを含む「新しい」形の戦争を行いましたが、今回の戦争では「古い戦争」の色彩が強くなっています。

 ロシアはゼレンスキー政権の打倒を目指して作戦を開始しています。当初の「プランA」はキエフの空港を空挺部隊で急襲して政権の転覆を目指しましたが失敗、ついでキーウやハルキウ、ヘルソン、マリウポリといった大都市を攻略する「プランB」に移行、しかしこれも失敗し、ドネツクとルガンスクの占領を目指す「プランC」に移行したと考えられます。  

 

 「古い戦争」において重要なのが兵力です。火力に関してはロシアが有利ですが、兵力では15万人程度を動員したロシアよりも、総動員をかけたウクライナのほうが上回っていると考えられ、これがロシア軍苦戦の1つの要因になっています。 

 ロシア側にも総動員をかけるという手段が残っていますが、プーチン大統領も踏み切れていません。

 

 一方、単純に「古い戦争」だと言えない面は、核によって西側の参戦が防がれています。また、ゼレンスキー大統領のメッセージやロシアによって殺された人々の遺体の映像などが全世界に発信されており、それが国際世論を動かしています。こうした情報発信はロシア側も行っており、「新しい戦争」の側面だと言えるかもしれません。

 

鶴岡路人「欧州は目覚めたのか」

 

 ウクライナ戦争は欧州に大きな変化をもたらしましたが、本章ではドイツの「転換」、フィンランドスウェーデンNATO加盟申請、エネルギーの「脱ロシア化」という3つの変化をとり上げて、そのゆくえを論じています。

 

 ドイツは、ノルド・ストリーム2の停止、対GDP比で2%以上の国防支出を目指すことなど、今までの政策を大きく転換しましたが、ウクライナへの重装備の供与に当初慎重だったやロシアからのエネルギーの禁輸措置に消極的だったことなどもあって、ウクライナから批判を浴びました。

 フィンランドスウェーデンNATO加盟は中立政策の放棄という点で大きな変化ですが、両国とも相互支援条項を持つEUに加盟しており、ロシアのウクライナ侵攻は最後のひと押しだったと見ることもできます。

 エネルギーの「脱ロシア化」も、脱炭素の流れから長期的には目指されていたもので、スケジュールは大きく狂ったものの不可避の流れかもしれません。

 そんな中で変わらないのがNATOの中心性で、フィンランドスウェーデンが加盟に動いたようにNATOの存在感は高まりました。

 

 冷戦終結後、「ドイツ問題」は統一ドイツのNATO帰属という形で解決されましたが、「ロシア問題」は未解決のまま残されたとも言え、そのためにマクロン大統領などは話し合いによる問題解決に熱心でしたが、2月24日の侵攻とロシアによる残虐な行為が明らかになって以来、ロシアを今のままでヨーロッパに取り込むことは不可能になっています。

 そういった意味で、ヨーロッパは変わらざるを得ないし、同時に未だに解決の道が見えない状態だとも言えます。

 

森聡「ウクライナと「ポスト・プライマシー」時代のアメリカによる現状防衛」

 

 冷戦終結後から2008年にリーマンショックが起こるまでの時期は、アメリカが世界において圧倒的優位(プライマシー)を確立していました。アメリカはユーゴ内戦に介入し、イラク戦争ではフセイン政権を転覆させました。アメリカが「人権」や「民主主義」といった理念のもとに動いた時代と言えます。
 しかし、リーマンショックあたりを境にこのアメリカの圧倒的優位は崩れていきます。アメリカはポスト・プライマシーの時代を迎えることになったのです。


 この問題に最初に対処したのがオバマでした。オバマは2014年のロシアのクリミア併合に対して、ロシアに制裁をかけ、同盟国に安心を供与し、ウクライナを支援するという方針で臨んでいます。

 ただし、ウクライナへの殺傷兵器の供与については、バイデン副大統領やブリンケン国務副長官が前向きだったのに対してオバマは慎重でした。オバマは「アメリカにとってのウクライナよりも、ロシアにとってのウクライナの方が重要なので、ロシアはエスカレーション上の優位に立っている」(52p)とみていました。


 つづくトランプはウクライナ問題にほとんど注意を払わなかったこともあって、トランプ政権においても基本的にオバマ政権の政策が踏襲されます。一方、マティス国防長官やティラーソン国務長官のはたらきかけもあってウクライナへの殺傷兵器の供与が始まります。
 ただし、トランプがウクライナにおけるバイデンの息子のスキャンダルなどを追求しようとしたこともあって対ウクライナ外交はぐだぐだになります。

 

 オバマ、トランプのウクライナ政策は基本的にバイデン政権にも受け継がれました。ただし、大きな違いはロシアがウクライナ侵攻を決意したことです。

 バイデン政権は、情報機関や衛星画像などから得た情報でロシアによる侵攻の可能性を暴露して牽制するとともに、派兵オプションについては見送りを表明しました。

 これがロシアの侵攻の敷居を下げたとの批判をありますが、ロシアによる侵攻がなされてからも、ロシアに制裁をかけ、同盟国に安心を供与し、ウクライナを支援するというオバマ政権から続く方針で臨んでいます。

 

 ただし、制裁はより強力になり、兵器の供与のレベルも上がってきています。大統領補佐官サリヴァンは22年4月のインタビューで「最終的に我々が見たいのは、自由で独立したウクライナと、弱体化し孤立したロシア、そしてこれまで以上に強力になり、結束を強め、決意を固めた西側なのです」(70−71p)と述べていますが、エスカレーションを避けつつも、長期的にロシアの弱体化をはかるというスタンスになりそうです。

 

川島真「制限なきパートナーシップ?」

 

 副題は「中国から見たロシア・ウクライナ戦争」。一枚岩にも見える中露ですが、その実態はどうか?という論考です。

 中国国内では今回の戦争について強い言論統制はかけられておらず、ネット上でもさまざまな情報が飛び交っているといいます。

 

 中国にとって、2022年というのはまずは10年に1度の人事の年であり、異例の三期目を目指す習近平にとって「失敗できない年」です。それにもかかわらず、国内では新型コロナの流行に伴うロックダウンとそれによる経済の原則が続いており、とにかく国内情勢を安定させる必要があります。

 

 そうした中で、中国はアメリカと中露が対立する二極化した世界を望んでいるわけではありません。もちろんアメリカの一極化は拒否するわけですが、中国が目指すのは先進国対途上国、あるいは新興国という枠組みの中で中国が後者を代表するような形です。中露が「専制主義国家」として一括りにされるのも困るわけです。

 そこで中国はアジア諸国に外交攻勢をかけています。国連決議でアメリカに与したカンボジアに対してオンラインの外相会談でアメリカに追随しないように圧力かけたように、アジア諸国アメリカになびくことを警戒しています。

 一方で、NATOとの結びつきを強める日本には警戒心をより強めてくることが考えられます。

 

宇山智彦「ウクライナ侵攻は中央アジアとロシアの関係をどう変えるか」

 

 国連のロシアを避難する決議において中央アジア5カ国はいずれも棄権ないし欠席していますし、2022年1月にカザフスタンで起きた動乱ではロシア主導でCSTO(安全保障条約機構)の平和維持部隊が派遣されるなど、基本的に中央アジアの国々はロシア寄りに見えます。

 

 ただし、アメリNBCカザフスタンがロシアによるウクライナへの派兵要請を断ったと報じたように、カザフスタンは一線を画す姿勢をとっています。

 また、国内世論も割れており、ロシア系住民やロシア語を話すカザフ人はロシアを支持する傾向が強いものの、カザフ語を話す人々の間ではロシア支持とウクライナ支持が拮抗しているといいます。

 

 経済面では、ロシアの技術者や企業家が中央アジア諸国に流出する傾向もあり、VISAとマスターカードがロシアでの事業を停止したことを受けて、ロシア人がウズベキスタンなどでこれらのカードを作るためのツアーというのもあるそうです。

 ただし、ロシアに行っていた労働移民が職を失う可能性もあり、今後に大きな影響が出てくる可能性もあります。

 

 ロシアの弱体化は、中央アジア諸国がアフガニスタンにどう対応するかというトトなどにも響いてきます。ロシアが弱体化した分、中国に頼るのか、あるいは他の国との協力体制を築いていくのか、今後の問題となることが予想されます。

 

池内恵「ロシア・ウクライナ戦争をめぐる中東諸国の外交」

 

 今回のロシアによるウクライナ侵攻では、2月25日の国連安保理でのロシア非難決議に対してUAEが中国・インドとともに棄権し、イスラエルアメリカとはやや距離をとった外交を進めています。

 「親米」であるはずのこれらの国がなぜ今回は距離をとっているのかというのが本論考のポイントです。

 

 本書では、トルコ、イスラエルサウジアラビアUAEといった国々をとり上げています。

 まず、トルコはロシアとウクライナを独自に仲介しようとし、スウェーデンフィンランドNATO加盟問題では反対の姿勢も見せたりと、この事態を利用して存在感を発揮しようとしています。

 イスラエルにおいて複雑なのは、ソ連崩壊後にロシアとウクライナから多くのユダヤ人の移民を受け入れている点です。また、現在イスラエルは連立政権であり、そこも中立的な政策を採用させる要因になっています。

 サウジとUAEについても石油価格の問題で、ロシアとのOPECプラスを通じた協調が必要との立場があります。

 

 また、アメリカの「中東離れ」が明らかになりつつある中で、アメリカからの安全保障に関するコミットメントを勝ち取りたいという考えが、「親米中立」とも言うべき現在のスタンスにつながっているといいます。

 また、人権や民主主義といった価値を共有していない中東諸国にとって、世界の多極化は魅力的に映るものでもあり、それも中立的な姿勢を引き出す背景となっています。

 

 このように、どれも読み応えのある論考で、「ウクライナと「ポスト・プライマシー」時代のアメリカによる現状防衛」だけがやや長いものの、他は手軽に読める短さです。

 「ウクライナ戦争と世界のゆくえ」というタイトルですが、「ウクライナ戦争」そのものよりも「世界のゆくえ」に重点が置かれており、そして、今後の「世界のゆくえ」を考える上で非常に有益な本です。