岡本信広『人々の暮らしぶりから考える 中国経済はどこまで独特か?』(白桃書房)

 著者の岡本信広先生より御恵贈いただきました。どうもありがとうございます。

 

 タイトルは長いですが、中国経済の概説書になります。

 特徴は2つあって、まずタイトルの前半部分にある「人々の暮らしぶりから考える」という部分で、世代も性別も境遇も違う5人の人物(著者の現地の知り合いや、さまざまな記事などからつくり上げられた架空の人物)を登場させ、彼らにライフヒストリーを語らせながら、中国経済の歴史的変化の大きさや、立場によってどのような恩恵を受け、また、苦労をしてきたかということを示しています。中国経済による時代による大きな違い、同時代での地域や職業による違いが際立つような仕掛けです。

 

 もう1つは後半の「中国経済はどこまで独特か?」という部分で、章ごとに経済学の用語を示しながら、中国経済にはどこまで当てはまり、どこからが当てはまらないのかということを明らかにしています。

 中国経済の特殊さ(あるいは普遍さ)と、一般的な経済学の考えが同時に分かるような構成になっています。

 

 また、共産党という政治組織の影響力があまりにも大きいことから、経済を見ているだけでは経済を語れないのが中国の特徴ですが、共産党の政策が中国経済にいかなる影響を与えてきたのかということもよくわかるようになっています。

 ジン・クーユー『新中国経済大全』に比べると、経済学の知識や近年の経済情勢についての知識がない人にとってもわかりやすく、読みやすいものになっています。

 

 目次は以下の通り。

第1章 中国経済を理解するために「政府と市場のせめぎ合い」に注目することがなぜ重要か?
第2章 社会主義市場経済とは何か?──現代中国経済変遷の歴史から探る
第3章 国有企業は市場の競争にさらされているのか?──民間・外資系企業とのせめぎ合い
第4章 中国はどのようにして経済発展してきたのか?──経済発展モデルの変遷
第5章 中国経済は国際経済にどんな影響を及ぼしているのか?
第6章 なぜ中国の経済格差は大きいのか?──原因と改善の取り組み
第7章 中国は資源の確保と環境保護にどのように取り組んでいるのか?
第8章 人口動態は中国経済にどう影響するのか?
第9章 中国の統治はどこまで強権的か?
第10章 中国経済と市民は今後どうなるのか?──エピローグ

 

 本書のキーとなる用語が「政府と市場のせめぎ合い」です。

 下に載せたのは本書の9pに載っている図ですが、かつては中国経済は左から右へと、つまり計画経済から市場経済へと、そのテンポはどうであれ進んでいくと考えられていました。市場経済化は不可逆な流れだと思われたのです。

 

 

 しかし、この図の上に書かれているのは右方向への矢印(→)ではなく、両矢印(↔)です。

 習近平政権になってからは、政府は市場経済化のテンポをコントロールするだけではなく、時には市場経済化を巻き戻すような形で、いわば経済のつまみを自由にコントロールしようとしている印象があります。

 

 そういったこともあって、中国の共産党政権にはなかなか手放せない経済の手綱というものがあります。

 例えば、第5章の後半でとり上げられている人民元の国際化です。中国の国際経済における存在感は大きくなっており、また、米中対立を考えると人民元を国際化し、人民元による決済も一部で行われています。

 しかし、人民元の国際化、つまり資本の自由化を認めれば、中国企業外資に買収されたり、中国人の富裕層が資金を海外へ移してしまう可能性もあります。そのため、中国は人民元の国際化に慎重にならざるを得ないのです。

 

 第6章では格差の問題がとり上げられています。中国では市場経済の導入とともに格差が問題となってきたわけですが、これに対して政府も対策を打ってきました。

 1990年代の後半から農業の停滞、農村の疲弊、農民の相対的貧困化という三農問題がクローズアップされ、都市と農村の格差が問題となりました。

 これに対して胡錦濤政権や習近平政権は地方政府が農民から取り立てていた「雑費」をなくし、義務教育の無料化、新型農村合作医療制度の普及、インフラの整備などによって格差の解消に努めました。

 結果として農村所得を1とした場合の都市住民所得の比率は、00年代半ばには3を超えていましたが、2010年頃から低下しはじめ、2021年には2.5程度にまで格差が縮まっています(147p図表6−3参照)

 

 一方、都市と農村の戸籍制度による区分はいまだに残っています。

 改革開放までは農民の都市への移動が厳しく規制されており、現在でも北京や上海などの大都市への移動に関しては規制があります。

 農村から出てきた労働者(農民工)たちが中国の経済発展を支えてきたわけですが、彼らは社会保障制度を受けられない(中国の社会保障は戸籍のある政府が行うことになっている)、子どもを公立学校に入学させられないなどの問題がありました。子どもの就学に関しては、98年に在籍費を支払って公立学校に通学できる制度が始まりましたが、高額の費用負担があったり、審査が厳しかったりとさまざまな問題があります。

 中国政府は経済発展の中で、ある程度格差の拡大防止に成功してきたと言えますが、戸籍制度というコントロールを保持するのか、手放すのかというのが今後の課題となるでしょう(戸籍の問題は第8章でも論じられている)。

 

 政府が一定程度のコントロールができている格差問題に対して、今のところまったくうまく行っていないのが第8章でとり上げられている少子化の問題です。

 中国では、まず毛沢東の出産奨励政策によって1949年に5億人ほどであった人口が1980年頃に2倍の10億人まで増加しました。毛沢東は人口増による労働蓄積とそれによる経済発展を狙っていましたが、一人あたりの生活水準を上げることはできず、食糧不足も問題になりました。

 

 そこで、1971年に国務院が計画出産を指示し、さらに1979年から「一人っ子政策」が始まります。

 この政策は効果をあげましたが、それによって人口減少に転じる見通しとなったために2014年に一人っ子政策が廃止され、2016年からはどの夫婦も二人まで子どもが持てることになりました。さらに2022年からは第三子も容認されています。

 ところが、出生数は回復しませんでした。2016年こそ、それまで1600万人台で推移していた出生数が1800万人近くまで増えましたが、その後は急速に出生数が減少し、2020年以降はコロナ禍の影響もあって1000万人を割るペースとなっています。

 

 中国では社会保障制度の整備が追いつかないままに少子高齢化が進行しています。

 今後の経済の影響に関しては、「農村に余剰労働力がどれくらいいるのか?」「高齢化が貯蓄率の低下をもたらすのか?」といったことがポイントになりそうですが、出生に関しては中国政府といえどもコントロールが難しい領域になっています。

 

 第9章では政治の問題にも触れていますが、中国の政治を読み解くうえで重要なのは、共産党の様子を見ると習近平が独裁的な権力を握る非常に中央集権的なスタイルに見えながら、実は地方政府の存在感が大きい分権的な仕組みとなっていることです。

 中国の政府支出全体の中で地方で支出された金額の割合は、1958〜2002年の平均が54%、2014年は85%だったといいます(249p)。つまり、地方政府はかなりの裁量をもっているのです。

 この地方政府の裁量と経済成長で評価される地方の役人のインセンティブが中国の経済成長の1つの大きな要因となりました。

 ただし、同時にこれが過剰生産や地方政府の過剰債務も生んでいます。中央政府と地方政府のバランスは今後も問題となっていくでしょう。

 

 最後の第10章では、中国が抱える3頭の「灰色のサイ」と呼ばれるリスクが紹介されています。その3つとは債務の増大、人口減少、国際関係の悪化です。

 中国の貯蓄率は非常に高く、中央政府の債務も少ないのですが、中国では不動産の値上がりが続いていたために個人も企業も投機的な行動をとってきましたし、地方政府もさまざまなやり方で債務を増やしてきました。不動産市場が変調をきたしている中で、この債務が大きな問題になる可能性もあります。

 

 人口減少については影響が出てくるのはこれからです。著者の分析によれば、2011年までが人口ボーナス期、2011〜28年までが停滞期、2028年〜が人口オーナス期になります(281p図表10−3参照)。

 中国の人口規模からして移民の受け入れでは追いつかないとなると、鍵はロボットなどによる自動化ということになるのでしょう。

 

 最後の国際関係の悪化では、まずは米中の貿易摩擦が頭に浮かびますが、不安定な国際関係と国内での引き締めが中国の富裕層の国外脱出をもたらすという問題もあります。中国政府のなかなか難しい舵取りを迫られることになるでしょう。

 

 ここでは本書の後半を中心に紹介しましたが、中国経済の特徴と今までの発展のあり方について書かれた前半もわかりやすいです。また、最初にも書きましたが、中国経済について学びながら、経済学の基本的な概念を学んでいけるのも本書の特徴と言えるでしょう。

 中国は変化のスピードが早いので、中国について書かれた本の多くは刊行から時が経つにつれてその価値を減らしてしまうことが多いですが、本書は目まぐるしい変化の中でもなかなか変わらない中国経済の基本となる部分をうまく紹介してくれています。

 

 

 

 

五十嵐彰『可視化される差別』(新泉社)

 著者の五十嵐先生と編集部から御恵贈いただきました。どうもありがとうございます。

 

 副題は「統計分析が解明する移民・エスニックマイノリティに対する差別と排外主義」。本書は、この副題が表している通りの内容になります。

 しかし、「差別」と「統計分析」というのは基本的には相性の悪いものです。人々の平均身長を知りたいならば測ればいいわけですが、社会全体の差別の強さのようなものを知りたいと考えた時に「何を測ればいいのか?」というのは難しい問題です。

 

 例えば、移民に対する差別の実態を知りたくて、「あなたは移民に対して差別的な考えを持っていますか?」という質問をしたとして、その答えはその社会の移民に対する差別的な態度をそのまま反映していると言えるでしょうか?

 これは本書と同じ新泉社から刊行された中井遼『欧州の排外主義とナショナリズム』でも指摘されていたことですが、世間体などから、本当は差別的な考えの持ち主であっても調査にではそうした考えを表に出さないことが考えられます。高学歴者は特にそうなることが予想されます。

 つまり、人々の差別心を測るには、何らかの形でその考えを表に引き出す必要があるわけです。

 

 本書はこうした問題意識をもとに、これまでさまざまな実証を積み重ねてきた差別研究のレビュー本になります。

 とり上げられている差別は基本的に移民や人種・エスニックマイノリティに対する差別で、差別とは何か? という問題から始まり、具体的な差別の実態、それが与える悪影響、さらには差別をもたらす排外主義についての分析を紹介しています。

 とにかく分厚い研究の蓄積が紹介されており、その中には意外なものもありますし、「そういう方法もあるのか」と唸らされるものもあります。

 

 日本でも外国にルーツを持つ人々が増えており、また、川口市クルド人問題など排外主義の萌芽が見られる中で、本書のとり上げる移民や人種・エスニックマイノリティに対する差別は非常に重要な問題になってくると思います。

 さらに本書を読むことで、社会科学の手法の進化、研究の蓄積といったものを知ることもできます。

 

 目次は以下の通り

 

序章

第1部 差別とは何か
第1章差別の理論と検証

第2章どんな場面で差別が起こるか

第3章差別が人々に与える影響

第2部 排外主義の要因
第4章排外主義とその研究史

第5章排外主義の要因

第3部 差別と排外主義は減らせるか
第6章差別や排外主義を減らすために

終章

 

 本書の性格上、すべてを紹介することは不可能なので個人的に面白く感じたポイントを中心に紹介したいと思います。

 

 何らかの属性によって不利な処遇がされることが差別ですが、どのような処遇が差別になるかは社会によって変わってくる可能性があります。例えば、教室で白人と黒人の席を分けることは特に具体的な害をもたらすわけではありませんが、人種隔離の歴史のあるアメリカでは差別として強く反発されるでしょう。

 

 差別については、嗜好にも基づく差別と統計的差別があるといいます。

 嗜好に基づく差別は、個人が持つある属性に対する否定的な態度や感情に基づく差別です。ここでの「態度」とは行動に影響する心的要因といった意味で、好き嫌いや良し悪しの評価といった具合です。

 採用担当者や雇用主が移民を嫌っているので移民が採用されないといったものが典型的な例です。経済学者のアローはこうした不合理な採用を行う企業はやがて淘汰されていくと考えていました。

 

 ただし、こうした個人的な態度がそのまま行動に反映されるのか? という問題もあります。

 ラピエールは1930年代に中国生まれのカップルと3人で旅行をし、カフェやレストラン、ホテルで、自分は離れたところにいて中国人カップルの2人に「利用できるか?」と尋ねさせました。251施設のうち断れたのは1施設でしたが、後から「中国人を利用させるか?」と質問用紙を送ったところ、92%が中国人には施設を使わせないと答えたそうです。

 このように態度と実際の行動は違ってくる可能性があります。

 

 統計的差別は、集団に対するイメージに基づくものと、その集団の情報の質をもとにしたものがあると言います。

 前者は、個人に関して手に入る情報が不完全である場合、例えば「白人に比べてアフリカ系アメリカ人は生産性が低い」といったイメージに基づいて採用しないようなケースです。また、採用されたとしても重要な仕事は任されず、結果的にそのマイノリティ労働者の生産性が低迷するということも考えられます。

 後者は、個人に対する情報が限られているときによく知っている属性を持つ人を評価し、よく知らない属性を持つ人を低く評価するといったことです。

 例えば、白人労働者の50%がサボりがちで、アフリカ系アメリカ人の80%がサボりがちだというデータがあった場合、統計的差別は合理的になります。しかし、このせいで真面目に働く20%のアフリカ系アメリカ人も仕事が得られないことになってしまいます。

 

 さらに近年ではペイジャーが制度的差別という概念を提唱しています。これは会社などの組織や法律によって行われる差別です。

 例えば、アメリカやヨーロッパでは自分の知り合いを通じて新入社員を会社に紹介するリファラル入社という制度がありますが、既存の会社が白人中心だった場合、白人の伝手がないとその会社に入社しにくいということになります。

 

 ただし、冒頭にも書いたように差別を測定するというのは独特の難しさが伴います。

 そこで、本書では「対人監査」、「一致監査」と呼ばれる2つの手法(2つ合わせて「監査調査法」というを紹介しています。

 

 対人監査は対面での面接などを使って実験する手法です。具体的には、それほど経験の必要ない仕事に白人、アフリカ系アメリカ人、ラテン系の3人を応募させて誰がどのくらい次の面接に呼ばれるかを確かめるというものです。

 そのために履歴書も同一なものに揃えるとともに、見た目や仕草の似た人間を集め、さらに演技指導も行います。ペイジャーらがこうした実験を行ったところ、白人の応募者の31.0%が採用されたり次の面接に呼ばれたりしたのに対して、ラテン系は25.1%、アフリカ系アメリカ人は15.2%にとどまったそうです(71p)。

 

 一致監査では、実際に人は用意しませんが、人種ごとの履歴書を用意してそれを企業に送付して、面接に呼ばれるかどうかなどを確かめます。

 人種については、履歴書に写真を貼ることを禁止する法律があったり、メールなどでは写真を用いることができないために、人種やエスニシティごとの名前の付け方の違いを利用します。白人でよく使われる名前やアフリカ系アメリカ人でよく使われる名前をつけ、相手の反応を見るわけです。

 

 ただし、対人監査には本当に人種以外同じ印象を持たせる人間を用意できるのかという問題がありますし、対人監査にしろ一致監査にろ採用担当者は実験の参加に同意しているわけでもなく、また、余計な手間をかけているとも言えるので、そういった面からの批判もあります。

 また、名前が人種だけを表しているのかという問題もあります(名前から人種やエスニシティではなく社会経済的地位を読み取っている可能性もある)。

 

 他にも完全に架空の履歴書を用意して企業の採用担当者に判断してもらうサーベイ実験もあります。これはネットの調査会社に登録している採用担当者などに行うもので、必ずしも実際の判断と異なってる可能性がありますが、同時にその人の持つ人種やエスニックマイノリティに対する態度を聞くこともできるのが利点です。

 

 本書の第1章では、こうした手法を用いて嗜好的差別や統計的差別の実態を明らかにしようとした研究がいくつか紹介されています。

 面白い研究がたくさんあるので、詳しくは本書を読んで欲しいのですが、例えば、嗜好的差別は本人の態度だけではなく第三者の態度も先取りしたような形で行われることがあります。過去に行われた研究では顧客に関わる仕事で差別がより頻繁に検出されており、ドイツ、オランダ、スペインで行われた一致監査ではヒジャブを被った写真のムスリム女性が顧客に関わる仕事で特に差別されることがわかっています(85p)。

 

 統計的差別に関しては、情報が更新されれば(特定のカテゴリーの人でも他と変わらないことがわかれば)なくなっていくはずです。

 企業についての研究では時間が経ってもあまり改善されない(あるいは実際に雇ってみて失敗したか)のですが、難民認定を行う審査官に関しては、1年目ではキリスト教徒の難民に対して甘く、イスラム教徒の難民に対して厳しい傾向がありましたが、経験年数が増えるにつれその差は縮小していくといいます(91−92p)。

 

 第2章ではどんな場面で差別が起こるかが紹介されています。

 労働市場、住宅や金融などの経済活動、警察や裁判所の公的機関、政治、日常の場面のそれぞれについてみていっています。

 ここも大量の研究が紹介されているので、興味深かったいくつかに絞って紹介しておきます。

 

 まず、労働市場においての日本でも観測されます。著者らが採用担当者に行ったサーベイ調査では、外国人への評価は概して低く、特に中国人移民、韓国人移民への評価が低くなっています。韓国人の2世ともなれば日本社会に馴染んでいそうですが、1世も2世もあまり関係なく低いです。最も好意的にみられるアメリカ人移民でも、例えば大卒に対する高卒の評価よりも低く評価されています(104p図表3参照)。

 また、アメリカ人移民だと採用担当者のアメリカ人に対する個人的な態度との関連が薄いのですが、韓国人だと個人的な態度が採用への評価に直結する傾向があるといいます(106p図表4参照)。

 

 この他、アメリカではアフリカ系アメリカ人は不利なシフトを入れられやすく、解雇さえ安いといった研究も紹介されています。また、人種・エスニックマイノリティや女性がトップに据えられるのは会社の倒産リスクが高まっている時が多く、その後に白人男性に取って代わられることが多いといいます。

 

 住宅についての差別は海外にも日本にもあり、日本では賃貸住宅の内見について、韓国人風、中国人風の名前だと、返信が来る確率も内見を承諾する割合も低くなるといいます(118−119p)。

 金融でも差別はあり、これは統計的差別の表れと考えられることが多いですが、インドで行われた研究ではムスリム系住民の暴動が起こると、暴動があった地域のヒンドゥー系の銀行員はたとえお得意様であってもムスリム系の顧客への融資を減らしたという研究もあり(122p)、嗜好的差別が顔を覗かせていると言えます。

 

 次に公的機関の行う差別です。BLM運動のきっかけとなったジョージ・フロイド氏の殺害事件に見られるようにアメリカでは警察がアフリカ系アメリカ人を不必要に拘束していると言われており、また、日本でも外国籍住民が頻繁に職質を受けるという問題があります。

 こうした差別は統計的差別の一環だと考えられていますが、アメリカでは白人の方がアフリカ系アメリカ人よりもスピード違反の時に切符を切られにくく、警察の対応も好意的だという研究もあり、嗜好的差別がここでも顔を覗かせています。

 

 裁判においても差別は観測されるそうで、アメリカで行われた研究では、2006〜08年の判例についてみると、さまざまな特徴を統制した上でもアフリカ系アメリカ人の懲役は白人に比べて1.75倍長かったそうです(130p)。

 さらにヨーロッパでは、移民は国外逃亡の恐れがあるために長く勾留される→それが裁判官の心象を悪くし懲役も長くなるというメカニズムが働いているといいます。

 

 社会運動に関しては、公民権法が制定される以前に座り込み運動が盛んだった地域では公共施設やホテル、レストランでの隔離をやめるようになっており、公民権運動が盛んだった地域では、公民権運動への態度がより好意的になり、50年以上だった現代でもそうした態度は維持されているといいます(142p)。

 

 日常的差別についてもいろいろな研究が行われており、例えばドイツでは、ムスリム移民の女性がわざとレモンを落としてそれを周囲の人が拾ってくれるかどうかを調べた研究がありますが、直前に電話でみんなに聞こえるように「女性も外で働くべき」などと言っていると周囲の人が拾ってくれる確率が高く、「女性は家庭を守るべき」などと言っていると拾ってもらえる確率が低いそうです(147−149p)。

 

 第3章では差別が人々に与える影響が分析されています。差別は悪いとされていますが、どのように悪いのでしょうか?

 本書では危害説、差別は差別された側に悪影響をもたらすから悪いという立場に立っています。差別がなければ差別された人物はより良い状態にあったはずだと考えるのです(もちろん、いくつかの反論が考えられますが、この検討については本書をお読みください)。

 

 実際の悪影響についてはさまざまなものがありますが、例えば、賃金が低かったり、差別的な企業が存在するために人種・エスニックマイノリティは、より広い企業や職種に応募せざるを得なかったりします。

 教育の場でも、差別は自尊心の低下、心理的健康状態の悪化、飲酒、薬物使用などの問題行動を引き起こします。警察官による人種差別があると、警察官による殺人が起きた地域ではアフリカ系アメリカ人に限って欠席の増加、成績の低下、高校の卒業率と大学進学率の低下をもたらすといいます(174p)。

 

 当然ながら、差別は移民のナショナル・アイデンティフィケーション(居住国の一員だと思うことや居住国に対する愛着の度合い)を阻害します。

 移民がナショナル・アイデンティフィケーションを持つと、国民はその移民に対する社会保障を支持し、その移民集団の権利を支持し、好意的に接するようになるといいますが、差別はこうした好循環を壊してしまいます。

 また、差別が警察や政府に対する一般的な信頼を低下させることがあり(アフリカ系アメリカ人の警察に対する態度を考えるとわかりやすい)、それがワクチンへの懐疑論などにつながることもあります。

 

 第4章では差別を生み出す排外主義(レイシズム)が紹介されています。

 1920年代には人種によって知能に差があるという研究が報告され、人種差別が科学的な装いを持っていましたが、30年代に入るとこうした知能の差は否定され始め、1964年の公民権法の制定によってアメリカにおいて人種差別は間違ったものだったという評価が定着しました。

 それでも人種的偏見は残っています。例えば、差別はすでになくなったのにアフリカ系アメリカ人が社会的経済的に不利な立場に置かれているのは彼らが勤勉に働かないからであると考える象徴的(現代的)レイシズムや、「人種にこだわりすぎるべきではない」と考えるカラーブラインド・レイシズムなどです。

 

 では、なぜ人々は人種・エスニックマイノリティに対して排外的になるのでしょうか? 排外主義の要因を探っているのが第5章です。

 その1つは集団脅威というものです。自分が所属している集団を内集団、所属していない集団を外集団と考え、外集団によって内集団が脅かされていると考えるのです。

 こうした内集団と外集団の区別というのは少年のサマーキャンプなどでも生まれるとされており、その後もさまざまな研究が進んでいます。

 

 例えば、外国人労働者によって自分たちの職が奪われる、賃金が低迷するといった認識もこれにあたるでしょう。

 ただし、近年の研究では移民を「高スキル/低スキル」に分けて聞いた場合、自分たちと競合するはずの高スキル労働者も高スキル移民を好ましく思い、低スキル移民を嫌がる傾向があり、必ずしも職の競合といった観点ではなく、社会全体への貢献といった評価がなされていることがうかがえます(237−238p)。

 

 日本で著者らが行った研究では、自己責任論を支持する人ほど低スキル移民に対してより排外的であり、高スキル移民に対して好意的な傾向にあり、移民が福祉にただ乗りするような事態が警戒されていることがわかります(243-244p)。

 

 また、本章では文化的な脅威を見るためにアメリカで2015年に行われたリスト実験が紹介されていますが(リスト実験の説明については中井遼『欧州の排外主義とナショナリズム』の記事を参照)、ムスリム移民に市民権を与えるかでは直接質問とリスト実験でほぼ差が出ず、キリスト教移民に市民権を与えるかでは差が出たというのは興味深いです。つまり、ムスリム移民に市民権を与えないというのは口外しても問題ないこととして認識されている可能性があります(248−250p)。

 

 移民の割合が増えれば、それだけ脅威を感じることになりそうですが、一方で実際に移民と接触することで移民への脅威が低下する可能性もあります。

 これについては地域をどの程度の広さで取るかという問題もあり、結論はまちまちですが、日本で行われた研究では移民の割合が高くなると排外主義が強まる傾向が確認されています。ただし、移民割合が10%を超えると排外主義が減少に転じるというデータもあり、一定の閾値を超えると変わってくるようです(258−259p)。

 

 排外主義はナショナリズムとも関わりますが、ナショナリズム→排外主義という単純なものではなく、例えば、アメリカに対するアイデンティフィケーションが高いアメリカ人はより排外的になる一方、カナダに対するアイデンティフィケーションが高いカナダ人はより排外的ではないといいます(266p)。

 

 一般的に教育年数の長さや高い学歴は排外主義の傾向を低下させるといいます。これには、もともと知識が豊富で排外主義的傾向のない人が高い教育を受けるのではないか? といった批判も寄せられていましたが、自然実験では偶然による教育年数の延長が排外主義的傾向を弱まえるとの結果が出ています(ただし、全ての国に当てはまるものではないという(294p))。

 日本では学歴の高さがブラジル人やアメリカ人に対する排外的な態度を抑える一方で、中国人や韓国人に対する態度とは関連がないとの研究もあります(296p)。

 他にも本章では、メディア、SNS、地域の歴史的な出来事など、さまざまなものと排外主義の関連がとり上げられています。

 

 では、差別や排外主義は減らすことができるのでしょうか? この問題をとり上げているのが第6章です。

 まずは集団間接触です。これは外集団の構成員との接触によって、その集団全体に対して好意的になるというものです。

 これに対しては元から外集団に対して好意的な態度を持っている人が接触するからではないか? という異論もありましたが、大学の寮の部屋がランダムに決まる仕組みを利用した研究によると、すべてが変化するわけではありませんが、移民に対する信頼性が向上したりする効果はあったそうです(312−313p)。

 ただし、マイノリティがマジョリティに接触することで不平等な現状を変えようと思わなくなり、社会運動への参加が低下するといったことも言われており(318−319p)、必ずしも万能ではありません。

 

 内集団と外集団があるといいますが、この境界は変動することがあり、これが排外主義的な動きを和らげる可能性があります。例えば、インドでヒンドゥー教徒に対して、イスラム教徒は同じインド国民であるという共通内集団アイデンティティを提示すると、イスラム教徒に対する寄付額が増えるといいます(321p)。

 日本における研究でも、企業に対するアイデンティティが高いと低い場合よりも外国人従業員らと協力しやすくなるというものがあります(322−323p)。

 

 また、誤認識が修正されることで排外主義が抑えられる可能性もあります。移民によって犯罪率が上がるという事実はほぼないにもかかわらず、多くの人は移民が犯罪を増やすと思い込んでいます。こうした認識を修正できれば移民に対する偏見は解消されるかもしれません。

 実際、正しい情報によって排外主義が低下するという研究はあります。ただし、実験では人々に研究者が正しい情報を伝えることができますが、現実にはなかなかそういう機会を利用しないという問題があります。

 

 排外主義は政府の政策によって高まったり、逆に低くなることもあります。ドイツでは移民を社会に統合するような政策が取られた地域で右翼政党への投票が減ったという研究があります(340p)。

 逆に政治家の発言が排外主義を高める場合もあります。トランプがメキシコ人は犯罪者だと名指しで批判した直後にアメリカ人の移民に対する態度が短期間であるものの悪化したり、トランプが最初に当選した直後にヨーロッパにおいて移民に対する態度が悪化したケースがあります(343p)。

 フランスでは2004年にヒジャーブ禁止の政策が導入され後、非ムスリム系の女子生徒に比べてムスリム系女子生徒の成績が下がり、高校の卒業率も低下しました。さらに失業率も上がるなど長期的影響もあったといいます。ヒジャーブ禁止によってより差別に直面するようになったことが原因だと考えられます(351−352p)。

 

 終章はまとめですが、最後に紹介されている日本では「日本に働きにくる外国人の受け入れを制限すべきだ」という文言に対する反応を普通の調査とリスト実験でやってみたときに、差が見られないどころか、むしろ普通の質問の方が高く出ているというのは興味深いです。

 この文言に対する反応が必ずしも排外主義をストレートに示しているとは限らないと思いますが(不景気で労働力が余っているという認識なら排外主義がなくても上記の文言に賛成すると思うので)、排外主義を隠した方が良いという規範が欧米に比べて弱い可能性は十分にあります(363−364p)。

 

 このように本書は膨大な研究が紹介されています。ここでもかなりの例を挙げましたが、ここで紹介しきれなかったものもたくさんあります。

 その中には必ずしも同じ結果になっていない研究や相反するような研究もあるのですが、それをひっくるめて紹介しているところが本書の特徴と言えるでしょう。

 研究のデザインについてもきちんと紹介してくれているので、「差別」という領域においてどのような研究手法が駆使されているのかというカタログ的な面白さもあります。

 

 「差別」というものは、「あってはならない」ものだけに見えにくく、「これは差別ではない」と言い逃れがなされます。

 本書はこうした「差別」を明るみに出し、これを軽減する研究者たちの苦闘の積み重ねを教えてくれる本です。

 

 

 

角田光代訳『源氏物語5・6』

 去年から読んでいる角田光代訳の『源氏物語』、今回読んだ第5巻と第6巻で光源氏が亡くなり、宇治十帖へと突入しました。

 第5巻は「若菜 上」、「若菜 下」、「柏木」、「横笛」、「鈴虫」を収録、第6巻は「夕霧」、「御法」、「幻」、「雲隠」、「匂宮」、「紅梅」、「竹河」、「橋姫」、「椎本」を収録しています。

 

 第3巻と4巻では、玉鬘の登場によって源氏の完璧さが崩れ、気持ち悪い男が顔を見せたわけですが、その後に続く女三の宮の降嫁と紫の上の病気、女三の宮と柏木の密通といった第5巻の流れでは、源氏のある種の「弱さ」が顔を見せます。

 「やはり紫の上だ」と思った源氏でも、若く高貴な女性との縁談が持ち上がれば結局は受けてしまいますし、女三の宮と柏木の密通を知っても、自分も過去に同じことをしているだけに怒ったり、悲劇の主人公にもなれないわけです。

 この第5巻は作者の筆が冴えまくっており、『源氏物語』を小説として見るならば、これまでよりもさらに完成度が高い部分と言えるでしょう。

 

 さらに源氏の弱さは紫の上を亡くす「御法」、さらに紫の上の死後を描いた「幻」でもっと強く打つ出されるのですが、その間に「夕霧」が挟まれているのが、この作者の厳しいというかいやらしいところかもしれません。

 源氏と葵の上の間の子どもである夕霧は幼い頃から雲居の雁を想い続け、障害を乗り越えて結ばれ多くの子にも恵まれるのですが、この「夕霧」ではその夕霧が亡くなった柏木の妻であった落葉の宮に恋心を抱いてしつこく言い寄ります。そして、あれだけ相思相愛だった雲居の雁をうるさい女だとも思い始めるのです。

 男はほんの少しのことでどうしようもなく愚かになってしまうものだという作者の人間観が出ているのかもしれません。

 

 「匂宮」からはいわゆる「宇治十帖」に突入しますが、「匂宮」、「紅梅」、「竹河」は物語の方向性もそれほどはっきりせず、やや面白さは停滞します。

 「橋姫」からは今後の主要キャラとなる八の宮の娘の大姫、中の姫が登場しますが、非常に控えめで主体性もあまりない人物として描かれており、まだ十分に面白いとは言えません。

 とりあえず、「宇治十帖」については今後の展開次第という感じですかね。

 

 

 

 

 

向山直佑『石油が国家を作るとき』

 石油は政治学においても注目されている資源で、マイケル・L・ロス『石油の呪い』は石油の存在が民主化の進展や女性の政治参加を阻害し、内戦などが起こりやすいことを明らかにしました。

 

 これに対して本書が注目するのが植民地の独立と石油の関係です。

 ブルネイカタールバーレーンといった国は小国ですが、産油国であるために豊かです。本書はこのような小国がなぜ存在するのか? という問題を提起しています。

 第2次世界大戦後に世界で約600ほどの植民地単位がありましたが、そこから誕生した独立国が150ほどで、多くの植民地が合併される形で主権国家となっています。

 そうした中で、なぜブルネイカタールバーレーンは小国のまま独立できたのか? というのが本書が解こうとする謎になります。

 

 この問題については、「宗主国が石油の権益を維持するために小国を独立させたのでは?」と考える人もいるかもしませんが、こことり上げられているケースは、いずれも宗主国(イギリス)がもっと大きな単位での国家形成を目論んだものの、それに失敗したケースになります。

 

 本書はケースこそ少ないとはいえ、非常にしっかりとした形で論証がなされており、脱植民地化や国家形成について今までにはなかった知見を教えてくれます。

 また、本書の知見は「石油の呪い」「資源の呪い」について改めて問い直すことを要請しており、この点でも興味深いものです。

 

 目次は以下の通り。

 

序章

第1章 単独独立の理論

第2章 ボルネオ島における石油と脱植民地化――ブルネイの単独独立

第3章 ペルシャ湾岸における石油と脱植民地化――カタールバーレーンの単独独立

第4章 他地域における単独独立とその不在――クウェート西インド諸島、南アラビア

第5章 天然資源の多様な影響――歴史と比較の観点から

結論

 

 本書が小国が独立するキーとしてあげるのが石油という資源と、保護領制度という仕組みです。

 保護領とはイギリスが植民地支配のためによく用いた手法ですが、国内統治に関する内的主権は現地の支配者に認めるものの、外的主権については宗主国に委ねるという支配のやり方です。

 つまり、保護領の支配者は、国内統治については主体的に行うものの、外交や安全保障に関しては宗主国に委ねるということになります。宗主国保護領が他国と独自に協定などを結ぶことを阻止するとともに、それを保護する責任を責任を負ったのです。

 

 イギリスは世界中に植民地をつくりましたが、その維持コストを抑えるために、多くの地域で現地の支配者を支援して、その支配を継続させる保護領というスタイルを取りました。

 インドでも重要な地域を直接支配しつつ、それほど重要ではない地域には藩王国を残しています。

 本書がまず取り上げるブルネイも同じで、1888年に隣接するサラワク、北ボルネオとともにイギリスの保護領となっています。石油が発見されるまではイギリスはこの地域に特に価値を見出していませんでしたが、植民地獲得競争の中で他に取られないために版図に加えたのです。

 この構図はペルシャ湾岸も同じで、インドへとアクセスを確保するためにこの地域を保護領として版図に加えています。

 

 石油は19世紀後半からアメリカで商業生産が始まり、20世紀になると自動車や航空機の登場とともに重要な資源となっていきます。

 ヨーロッパの国々は新たにアジアや中東に石油の供給源を求めるようになり、オランダ領東インドや中東での石油開発が進みます。

 ちょうどこの石油の開発と植民地の独立の前後関係がその地域の歴史に大きな影響を与えているというのが本書の主張です。

 

 宗主国は植民地の独立が避けられなくなった際に、一定の規模が必要だと考え、連邦の形成に動きました。マレーシアやアラブ首長国連邦などがそうした連邦にあたります。

 しかし、そうした宗主国の意向に逆らって単独独立を果たしたのが、ブルネイバーレーンカタールというわけなのです。

 

 石油は資本集約的でグローバルな産業であるため、規模の経済を考える必要がありません。つまり、小国であっても十分に成り立ちますし、さらに石油の富の分配ということを考えれば小国である事は好都合です。さらに石油の富によって周辺地域よりも豊かになっており、近隣諸国と一緒になることで富が奪われるという意識がはたらきます。

 支配者にとっても、他の地域と一緒になることは複数の支配者の1人になることを意味します。

 

 問題となるのは独立後に他の国から侵略を受けることですが、それを防ぐのが宗主国の保護であり、その保護を引き出すための石油です。

 近代国家にとって石油の確保は不可欠であるために、その地域は重要性を帯び、独立にあたっての交渉力も強くなります。この交渉力が宗主国の当初の意向に逆らっての単独独立を後押しするのです。

 

 これが本書の基本的な枠組みですが、これを第2章以下で実際の歴史の沿って見ていきます。

 まずはブルネイです。ブルネイのあるボルネオ島は19世紀に4つの植民地単位に分割されました。ブルネイ、サラワク、北ボルネオ、オランダ領ボルネオです。

 このうち、ブルネイだけが単独で独立し、サラワクと北ボルネオはマレーシアに、オランダ領ボルネオはインドネシアの一部となりました。

 

 19世紀末、ブルネイのスルタンはサラワクや北ボルネオの圧迫を受け領土を失っており、そうしたこともあってブルネイはイギリスの保護領となりました。ただし、同時期にサラワクや北ボルネオもイギリスの保護領となっており、保護領となってからもブルネイはサラワクに領土を奪われるなど、その勢力は退潮していました。

 

 こうした状況を変えたのが1903年ブルネイにおける石油の発見です。産出量はわずかだったものの、さらに石油が眠っている可能性が出てきたこともあり、ブルネイの重要度は大幅にアップします。

 1906年にはイギリスとブルネイの間で新たな条約が結ばれ、イギリスが参事官を派遣してブルネイの行政を助けることになりました。ただし、政治はスルタンの名で行われたためにブルネイのスルタンの国内的権威は高まりました。

 

 1960年代に脱植民地化の波がボルネオにも押し寄せると、イギリスは英領ボルネオの統合を模索し、さらにはシンガポールとマラヤの合併にボルネオを加える案を考えます。

 イギリスはシンガポール共産主義者支配下に置かれたり、インドネシアに吸収されることを危惧しており、それにはマラヤとの合併が適当だと考えました。ところが、シンガポールを受け入れることでマレー人が多数派で亡くなることを嫌ったマラヤはこれに反対しており、これを解決する策としてさらにボルネオを合併することが考えられたのです。

 

 この案に対して、当初ブルネイは乗り気でしたが、連邦におけるブルネイの代表権やスルタンの序列をめぐって対立し、さらには石油収入の分配をめぐって対立し、けっきょく、1963年にマレーシア連邦ブルネイ抜きで成立します。 

 

 しかし、当時のブルネイの安全保障は脆弱であり、独立を保つには何らかの外部からの保護が必要でした。そこでブルネイがあてにしたのが旧宗主国のイギリスです。

 一方、地域の安定のためにブルネイをマレーシアに参加させることが至上命題だと見ていたイギリスですが、石油権益のためにブルネイを見捨てることはできませんでした。

 さらに1963年にブルネイで新たな油田が見つかったことも、ブルネイの交渉力を高めました。イギリスはブルネイを軍事的に保護することになり、1984年にブルネイが完全に独立した後も、スルタンの費用負担でイギリスのグルカ連隊は駐留しています。

 石油がブルネイに独立のインセンティブとイギリスによる保護をもたらしたのです。

 

 一方、サラワクや北ボルネオにはブルネイの石油に匹敵するような資源はなく、単独で発展できる財源はありませんでした(北ボルネオは独立を目指す正統性を持った支配者もいなかった)。

 また、オランダ領ボルネオでは石油が出たものの、オランダの政策によって石油収入は現地のスルタンには入らないようになっており、最終的にはオランダから独立したインドネシアに吸収されました。

 

 続いて湾岸諸国です。湾岸諸国については「石油が出るアブダビアラブ首長国連邦に入っているではないか?」という疑問が浮かぶかもしれませんが、著者によればポイントになるのは石油生産が始まった時期です。

 単独独立を果たしたバーレーンが1932年、カタールが1940年に石油が発見されていたのに対してアブダビで石油が発見されたのは1958年と遅れています。

 

 この地域ではイギリスがサウジアラビアイラク、イランといった地域大国の拡大を抑止する政策を展開しており、湾岸南部の各首長国が独立した植民地単位として存続したのはイギリスによるところが大きいです。

 イギリスは1つの国が石油を独占して生産することを望ま図、そのために小規模な首長国を保護しました。

 

 イギリスは第2次大戦後も湾岸地域を維持することを考えていましたが、さまざまな理由から限界を迎え、1968年にウィルソン労働党政権は71年にイギリスがペルシャ湾から撤退することを発表します。

 これは湾岸諸国にとっては寝耳に水でしたが、イギリスはバーレーンカタールを含めた湾岸の9首長国で構成される連邦を理想的なシナリオとしつつ、この地域の独立を模索していきます。

 

 9首長国のうち主要な国は、アブダビ、ドバイ、カタールバーレーンの4者であり、残り5つは弱小でほとんど影響力はありませんでした。9つの首長国のなかで最大で最も裕福だったのはアブダビで、連邦の構想もアブダビ中心に進んでいきます。

 しかし、カタールバーレーンは早くから石油を生産していたために他の地域よりも発展していたという事情がありました。そこで両者はアブダビの下に立つことをよしとしませんでした。

 

 カタールバーレーンが単独独立を目指す上でネックとなったのが、カタールにとってサウジアラビアバーレーンにとってイランからの脅威です。

 この問題を解決したのが石油でした。石油によって両首長国はイギリスからの安全保障を取り付け、また、支配者としての地位も認めさせていきます。

 イギリスにとってのベストなシナリオは9つの首長国による連邦であっても、石油という資源の存在もあって決定権はむしろカタールバーレーンの支配者にあったのです。

 

 一方、同じように単独独立を目指したラアス・アル=ハイマは、当初、アラブ首長国連邦への参加を拒否していたものの遅れて連邦に参加します。

 ラアス・アル=ハイマでも石油発見の見込みがあり、そのために首長はアブダビの下に立つことを拒否していましたが、結局、石油は見つかりませんでした。交渉力を失ったラアス・アル=ハイマは連邦に加盟するしかなかったのです。

 

 連邦構想があったわけではありませんが、石油の力によって独立を保ったのが同じ湾岸諸国のクウェートです。

 クウェートでは比較的早くから独立運動が盛り上がったこともあり、1961年6月19日に独立します。しかし、このクウェートへの領土的な野心を隠さなかったのがイラクでした。61年6月25日、イラクの首相はクウェートは自国の一部であり、その全領土を領有すると発表します。

 この危機に対処したのがイギリスです。クウェートが当時のイギリスにとって最大の石油供給国だったこともあり、イギリスは軍を派遣してクウェートの危機を救いました。

 

 トリニダード・トバゴ産油国でありながら、そのタイミングが植民地からの独立に遅れたために、西インド諸島連邦への参加→単独独立となったケースです。

 イギリスは第2次世界大戦後に西インド諸島自治を検討し始め、ジャマイカトリニダード・トバゴ、バルバドス、ウィンドワード諸島リーワード諸島を合わせた西インド諸島で連邦を結成することとし、1958年に西インド諸島連邦が発足します。

 

 しかし、構成単位同士の不和などもあり、この枠組みで独立まではいきませんでした。

 まずは、連邦を維持するための財政的な負担を嫌ったジャマイカが、ついでトリニダード・トバゴが、最後にはバルバドスが連邦から離脱して独立することでこの構想は崩壊します。

 本書の今までの主張からすると、産油国であるトリニダード・トバゴはなぜ最初から単独独立を目指さなかったのか? という疑問が出てきますが、ポイントは保護領制度の有無です。

 トリニダード・トバゴは現地の支配者ではなくイギリスの直接統治下に置かれており、そのために独立の主体となる勢力もいませんでしたし、石油の利権を交渉のカードに使うこともできなかったのです。

 

 南アラビアでは、イギリスはアデン植民地、西アデン保護領、東アデン保護領という3つの行政単位をつくりました。

 1950年代、イギリスはこれらの地域を連邦化することを検討し始めます。1960年代になるとアデンの軍事的な価値が高まり、1963年にイギリスはアデンを周囲の保護領で構成されていた南アラビア連邦に加盟させます。

 

 しかし、この動きは民族主義社たちを刺激し、民族解放戦線(NLF)によるテロが盛んになります。イギリスはこの動きを抑えることができず、イギリスは67年にこの地域から撤退することを決めます。結局、この地域は南イエメン人民共和国となります。

 カタールバーレーンにあってこの地域の保護領になかったのは石油でした。同じ保護領ではあったものの石油がなかったためにイギリスから有効な保護を引き出すことができなかったのです。

 

 では、独立をもたらすような資源は石油だけなのでしょうか? 第5章では、石炭、金銀などの貴金属、天然ガスを検討しています。

 石炭は重要な資源ですが、世界的に分布しており、イギリスの自国産の石炭を使っていました。また、石炭は石油に比べて労働集約的な産業で、石油ほどの富を国庫にもたらすことはできませんでした。

 金銀は石油に匹敵するような富をもたらしますが、石油よりもはるか昔から知られており、金銀が発見されればすぐに収奪の対象となりました。そして、その富を支配者から見て効率よく収奪できる統治システムもつくられたのです。

 天然ガスの場合、ネックとなるのが輸送方法です。20世紀後半に液化天然ガスLNG)が開発されるまで世界的な市場は形成されにくかったのです。つまり、植民地が独立する段階では十分な富を保証してくれるものではありませんでした。

 

 ただし、アチェインドネシアからの分離独立運動天然ガスが発見されてから盛んになったといいます(それまでは自治を求める運動だった)。

 アチェの独立派は、独立すれば自分たちはブルネイのようになれると豊かになれると主張して独立運動を盛り上げようとしました(実際は独立しても一人当たりのGDPブルネイの1/10以下に過ぎなかったと見られている)。

 しかし、脱植民地の波が終わった後の独立のハードルは高く、アチェ独立運動は2005年に大幅な自治権を獲得する形で終結しました。

 

 このように本書は国家の成立について、今まであまり考えて来られなかった類型を理論的に提示しており、興味深いものとなっています。

 

 また、本書は「資源の呪い」「石油の呪い」とも呼ばれる理論を問い直しものともなっています。

 マイケル・L・ロス『石油の呪い』によれば、産油国では民主主義が発展しにくいといいます。産油国では国家財政の多くは石油収入で賄われており、徴税するために必要なアカウンタビリティーが発展しないのです。こうした国家の典型が、カタールクウェートバーレーンブルネイです。

 ところが、本書の考えによれば、こうした国々は産油国だから民主化しなかったというよりは、石油がなければそもそも存在しなかった国です。

 また、石油のために宗主国が現地の支配者を保護したために民主化が発展しにくかったという面もあり、「石油の産出→民主化が進展しない」というロジックについて問い直しを迫る研究と言えるでしょう。

 

 

 

小宮京『昭和天皇の敗北』

 日本国憲法の制定過程については、「押し付けか否か」という議論がずっとあり、近年でも「9条幣原発案説」(9条を提案したのが幣原喜重郎だという説)をめぐり議論があり、笠原十九司が幣原発案説を主張しているものの、多くの研究者がこれを否定する状況となっています(例えば、熊本史雄『幣原喜重郎』(中公新書)など)。

 

 この「9条幣原発案説」の背景には、現在の憲法が押し付けでなく日本人の望んだものだったということを示したい欲望のようなものがあると思うのですが、実は憲法については当時9条と並んで、あるいはそれ以上に重要だった問題があります。それが天皇の地位、「国体」の問題です。

 日本はポツダム宣言を受諾するか否かの際にも、最後まで「国体」の問題にこだわっており、国体が護持できると考えたからこそ、ポツダム宣言の受諾に踏み切ったわけです。

 

 ところが、現在の憲法では天皇の政治的な権力はなくなり、「象徴」という形になっています。天皇という存在は残りましたが、戦前の「国体」とは随分と違うものが出来上がりました。

 この大きな変化については昭和天皇が受け入れた、「聖断」を下したということでそれほど問題として蒸し返されることはないですが、本書は、その「聖断」はフィクションであり、昭和天皇憲法の規定に対してさまざまな抵抗をしていたということを明らかにしています。

 新たな史料を駆使ししながら、通説を覆していく筆致はミステリー小説を読むような感じで非常に面白く、また、そこで明らかになった動きは、占領史、戦後史の書き換えを迫るものです。刺激的、かつ重要な本です。

 

 目次は以下の通り。

第一章 「第三の聖断」は存在したか?
第二章 日本型立憲君主制の模索―内大臣府案の政治的意義
第三章 天皇国民主権の調和―東京帝国大学憲法研究委員会
第四章 「第三の聖断」と異なる「希望」発言―枢密院での審議と貴族院を中心とした非公式会合
第五章 国民主権の明示―衆議院における「自由な審議」
第六章 元首を目指して―貴族院の闘い
第七章 解釈による元首化―模索する昭和天皇
終章 戦後の終わり

 

 1946年にGHQから憲法草案(マッカーサー草案)が提示されると、これに対して、昭和天皇が「やむを得ない」趣旨の発言をし、象徴天皇制の受け入れが決まったと言われています。

 これについては、吉田茂の『回想十年』にもこのような記述がありますし、宮内庁が編纂した『昭和天皇実録』でも採用されています。ポツダム宣言受諾時の2回の聖断に続く「第三の聖断」と呼ばれることもあります。

 

 この「聖断」について本書は疑義を呈します。

 まず、この聖断が行われた日付については2月22日説と3月5日説がありますが、著者は2月22日説に関してはスケジュール的に流れに当てはまらず、3月5日についても「聖断」と言えるような積極的なものではなく、消極的な受容に過ぎなかったと考えています。

 「第三の聖断」は、のちに幣原がアピールするようになったもので、実際にはそのような積極的な決断はなかったのではないか? というのです。

 

 この時期、幣原はGHQ草案の第1条の外務省の仮訳の「人民の主権意思」を「国民至高の総意」に変更するように主張していますが、幣原ははっきりと国民主権を明記することに難色を示した昭和天皇の意を受けて、こうした変更を提案したとも考えられるのです。

 

 実は憲法改正については宮中でもその必要性を認識しており、近衛文麿や佐々木惣一京都帝国大学教授らによる内大臣府案がつくられていました。第2章ではこの内大臣府案について検討しています。

 

 内大臣府案については、近衛文麿マッカーサーとの会見でも持ちかけられてやる気を出したものの、戦犯指定されることとなった近衞が自殺したためにストップした、くらいのイメージの人が多いかと思いますが、憲法改正に消極的だった幣原首相の対して、宮中から近衛に対して憲法草案作成のはたらきかけがあったといいます。

 

 こうしたこともあって近衛がGHQから梯子を外されたあとも、佐々木らは憲法についての検討を続けており、45年11月24日には、佐々木が昭和天皇に対して「君民共治」の理念に基づいた方針を報告しています。

 この内大臣府案はGHQのアチソンとも連絡を取りながら作成されており、のちのその案をGHQからひっくり返される松本案よりも当時の政治情勢に合った形で作成されているとも言えます。

 

 一方、幣原内閣は12月5日の予算委員会内大臣府案を参考にするつもりは一切ないと答えるなど、これを無視する姿勢をとりました。

 45年11月26日に参内した幣原首相に対して、46年1月7日には松本烝治国務大臣に対して、昭和天皇内大臣府案を手渡していますが、幣原も松本もこれを無視して作業を進めます。

 昭和天皇は「君民共治」の方向性を望みながら、松本らは天皇統治権については変更を加えないというねじれが生じていたのです。

 

 松本がGHQからよく思われていなかったのは、46年1月に松本がGHQから公職追放該当とされたことからもうかがわれます。幣原が憲法改正に不可欠として例外要請を行い、その職にとどまりましたが、最終的に松本は6月24日に議員辞職願書を提出し、公職追放されています。

 46年4月の総選挙で鳩山一郎率いる自由党が第一党となったものの、鳩山が公職追放され、代わって吉田茂が首相となりました。

 この時期は公職追放の嵐が吹いており、それはGHQによってかなり恣意的に運用されていました。そのあたりを掘り下げているのが第3章です。

 

 東京帝国大学憲法学の教授であった宮沢俊義は、保守的な案を作っていた松本委員会に参加しながら、GHQ草案や日本側の憲法改正草案要綱ができると、46年5月には一転して「八月革命説」を発表するなど態度を一変させます。

 宮沢は戦時中には戦意高揚を促す文章を書いており、公職追放に引っかかる可能性は十分にありました。宮沢の「変節」の背景には公職追放の恐怖があったと思われます。

 本章では、この宮沢の動きや、南原総長の発案で宮沢を委員長として46年2月14日に発足した東京帝国大学憲法研究委員会の動きなどを追っています。

 

 日本国憲法帝国議会で審議されることになりますが、その前に枢密院や貴族院で非公式の会合が開かれました。占領下において、公式の会議の記録はGHQに英訳して提出しなければならず、GHQに言及した部分は削除されました。それゆえに忌憚のない意見を交換するためには非公式の会合が必要だったのです。

 第4章では、この非公式会合の様子を見ていきます。

 

 枢密院でも貴族院でも議論の焦点となったのは天皇の地位でした。「国体は護持されたのか?」ということが問題になったのです。

 枢密院の議論では、政府は答弁の中で、国民主権ではあるものの、国民の中には天皇も含まれているという「君民一致」の考えを披露しています。

 また、松本国務相は、この憲法については実際のところ議会による修正は不可能だという認識も示しています。

 

 貴族院衆議院貴族院の有志の間でも会議が開かれますが、46年6月7日の有志の会議では馬場恒吾から「陛下はKing in Parliamentを希望して居られる」(107p)という発言がなされています。

 この「King in Parliament」とは、イギリスの政治体制を説明するときに用いられるもので、イギリスの政治体制は国民主権ではなく、「King in Parliament(議会に於ける王)が主権者」とも言われていました。

 

 もし、46年の2月下旬や3月上旬に昭和天皇の「第三の聖断」が行われているならば、この昭和天皇の希望は少しおかしな感じがします。「King in Parliament」という表現には、「象徴」より実質的な政治的権力を持つ意味があると考えられるからです。

 昭和天皇は形式的であっても「元首」という地位を希望し、「国民主権」ではなく「King in Parliament」のような地位を希望していたのではないかと推測されるのです。

 

 46年6月20日に第90回帝国議会の開院式が行われ、同日、憲法改正案が衆議院に提出されます。この衆議院での審議についてとり上げたのが第5章です。

 憲法の審議については芦田均を委員長とする特別委員会がつくられ、そこで審議が行われます。

 

 ここでいくつかの修正がなされるのですが、この頃のGHQは必要不可欠と考えられていた法案は国会の会期末に時計を止めてでも成立させるという強引なことをやっており、憲法に関しても絶対に譲れない条文は修正を許さず、こだわりのない条文に関しては修正を許すというスタンスだったと考えられます。

 

 憲法の修正というと25条の生存規定の挿入が有名です。社会党の代議士の鈴木義男と森戸辰男が挿入し、これをもって「押し付け憲法論」への反証とする議論もあります。

 しかし、一方で森戸は10年後の憲法改正条項を盛り込もうとしましたが、これは与党の責任者から止められたために提出を控えたといいます。また、鈴木もケーディスから天皇戦争放棄に関すること以外ならば変えても良いといったことを言われています。

 生存権の規定はGHQも許容するものであり、社会党としては功績となり、GHQにとっては「自由な審議」を行なった証拠と主張できる都合の良いものだったのです。

 

 一方、第一条についてGHQは「象徴」という言葉を変更することを禁じていました。ただし、衆議院に提出された政府案の段階では「この地位は、日本国民の至高の総意に基く」という形になっていました。

 6月25日の本会議で吉田首相は「国体は新憲法に依って毫も変更せられないのであります」(147p)と答弁しており、政府は昭和天皇の意向も察しながら、「国民主権」を明示せずに、「国体の護持」を解釈で可能にするような道を探っていました。

 

 しかし、極東委員会が7月2日に「主権が国民(ピープル)にあることを認めるべきである」と要求することを決定したことで変更が入ります。

 金森国務相は変更に抵抗を試みますが、ケーディスから「我々は天皇軍法会議にかけることもできるし、証人に呼ぶこともできる」(149p)と独り言の言われ、これに屈することになります。

 この他、本章では社会党、特に鈴木義男とGHQの「近さ」についても指摘があります。

 

 第6章では貴族院での審議がとり上げられています。

 貴族院では戦犯容疑者や公職追放により420名中178名が辞職しており、その欠員の補充のために南原繁宮沢俊義我妻栄、高柳賢三、高木八尺らの帝大教授陣でした。

 このうち高木に関しては、戦前に侍従次長を務めた河合弥八が勅選議員と憲法改正案特別委員会委員へと押し込んだといいます。しかし、高木が委員会に入った頃には審議は終わりに近づいており、憲法案の修正はできませんでした。

 また、佐々木惣一が「キング・イン・パーリアメント(King in Parliament)」という言葉を持ち出して、国民主権を明記する必要があるか質問していますが、すでにGHQの意向が示されている以上、この試みも挫折します。

 

 この他、山田三良と高柳賢三によって、第7条5の国事行為の中の「大使及び公使の信任状を認証すること」を「任命すること」に書き換えることで天皇の「元首化」を図る動きもありましたが、金森国務相の反対などもあり、この修正も頓挫しています。

 貴族院では文民条項が追加されましたが、これは極東委員会からの要請によるもので、高木がホイットニーと交渉した際、ホイットニーはこれは「デイレクテイブ(命令)」ではなく「サゼスチヨン(示唆)」だと言い張りましたが、これは日本側が自由のない状況で「自主的」にGHQの意向を汲まなければならなかった状況をよく示しています。

 

 憲法制定後、昭和天皇は解釈による元首化を目指して模索しました。

 もともと、マッカーサー・ノートには天皇に関して元首と書かれており、マッカーサー自身も日本国憲法施行直後の47年5月6日に天皇と日本の安全保障について会談しており、マッカーサー昭和天皇を政治的なプレーヤーとして見ていました。

 片山内閣が総辞職する際に天皇に拝謁したことについても、GSはこれを問題視しましたが、マッカーサーはこれを問題視する姿勢を見せませんでした。

 

 芦田首相は昭和天皇に新憲法によって各大臣が内奏しないことを述べましたが、昭和天皇の希望で首相の内奏は継続されることになりました。この背景にも内奏を容認したマッカーサーの意向があったと考えられます。

 

 吉田茂も内奏を継続しましたが、一方で昭和天皇GHQの連絡役であった寺崎英成を更迭しています。

 この寺崎の更迭に関しては、二重外交の防止や昭和天皇の出過ぎた国政関与を防ぐためといった見方がされていますが、著者は「これはマッカーサーの発言だ」として場を押し切ることもあった吉田の政治スタイルにとって、マッカーサーの真意を確認できる寺崎という存在が邪魔だったからだと推測しています。

 

 寺崎を失った昭和天皇宮内庁長官となった田島道治を通じて情報収集などを行おうとします。田島の残した『拝謁記』には、憲法の解釈を通じてもう少し政治や外交に関与できないかと模索する昭和天皇の姿が描かれています。

 1953年3月には「旧憲法でもどうかと思ふが、新憲法ではとても出来ないが、私が思ふに、真に国家の前途を憂ふるなら保守は大道団結してやるべきで。何か私が出来ればと思つて」(200p)と述べるなど、新憲法では出来ないと認識しつつも、政治への介入を模索しています。

 

 また、「元首」という地位を確立させいようとする姿勢もあり、例えば、51年2月15日に警察予備隊が話題になると、その中心は誰になるかという田島の問いに対して、「それは元首象徴だらうネー」(204p)と応じています。

 他にも駐留する米軍に対する振る舞いを気にしたり、大使や公使への対応も気にするなど、自らを「元首」として位置付けようという姿勢が目立ちます。

 そして、これに対して田島が諌めるというのが『拝謁記』によく見られるやり取りです。

 

 この元首化を求める昭和天皇の意向は長い時間をへて実現したとも言えます。

 1973年6月に吉國一郎内閣法制局長が「天皇は現在の憲法のもとでも元首と言ってもいいのではないかというような考え方もあり得ると思います。要は元首の定義の問題いかんによるということでございます」(216p)と答弁しています。

 これは増原事件を受けてのものですが、天皇の政治的発言を「あるべきはずのないもの」としつつ、天皇の元首化は進められたのです。

 

 最後に本書では「自主的な憲法改正は可能だったのか?」という問題を検討しています。

 本書の前半でも指摘されていたように、内大臣府案はGHQと連絡を取りながら検討が進められていましたが、松本案はGHQの意向を聞かない形で検討が進められました。その結果として幣原内閣はマッカーサーソプ案を突きつけられ、それを受け入れざるを得ない状況に追い込まれました。

 これに対して昭和天皇は抵抗の姿勢を見せますが、幣原らにもそれを覆すことは不可能であり、その失敗を糊塗するためにも「聖断神話」が必要とされたのです。

 

 もともと昭和天皇、特に敗戦から独立の時期にかけての昭和天皇については興味があり、戦前・戦中に政治や軍事の細かいことにまで口を出していた昭和天皇が、戦後になってもたびたび政治的発言をしていたのは知っていましたが、憲法そのものについても、ここまでその内容、運用に介入しようとしていたとは知りませんでした。本書は占領史、さらには戦後史の書き換えを迫る刺激的な本だと思います。

 また、著者の前著である『語られざる占領下日本』に引き続き、改めて公職追放の威力や、それがこの時期の政治過程に深く刻印されていることも印象に残りました。

 

 

 

『語られざる占領下日本』の紹介はこちら

 

morningrain.hatenablog.com

『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』

 ボブ・ディランティモシー・シャラメが演じている映画。

 この手のミュージシャンの映画は、まず音楽にハズレがなくて音楽を楽しめますし、今作ではティモシー・シャラメが相変わらずのカリスマ性を発揮している+実際に歌も歌っててそれも良いということで、まずは満足できる出来に仕上がっています。

 

 ボブ・ディランはキャリアが長く、しかもまだ存命でキャリアが終わったわけではないので、トータルでその活動を描くことは不可能です。

 そこで本作では、1961年にボブ・ディランがニューヨークに出てきて、その才能を見出され、一躍フォーク界のスターとなるが、次第に窮屈さを感じて、65年のニューポートのフォーク・フェスティバルでバンドサウンドを披露して、客からブーイングを受けるも新たな一歩を踏み出すというところまでを切り取って見せています。

 

 自分は特にボブ・ディランのファンというわけではないので、この映画のストーリーがどれだけ事実を反映しているものなのかどうかはわからないですが、途中で周囲がビートルズを下に見るような発言をするなど、この時代のフォークとロックの関係や垣間見えて面白いですね。

 また、65年のものはちょっと違ってきますが、63年のニューポートのフォーク・フェスティバルの「行儀の良さ」というのも、60年代後半のウッドストックのイメージなどからは遠く離れていて興味深いですね。

 

 ただ、やはりこの映画の魅力はティモシー・シャラメなんだと思います。

 ボブ・ディランの仕草なども研究したのでしょうが、とりあえず歩いたり、バイクに乗ったりするだけでも「絵になる」感じです。しかも、歌もすべて自分で歌っているとのことですが、この歌も魅力的で、カリスマ性のあるミュージシャンを見事に演じています。

 あと、久々に見たエドワード・ノートンも良いです。

 

 ボブ・ディランの「本質」のようなものを明らかにした映画とは言えないかもしれませんが、ボブ・ディラン自体が変化を続けてきたアーティストでもあり、現在のところ、この映画のように1つの断面を切り取るという作劇がいいのかもしれませんね。

 

ジン・クーユー『新中国経済大全』

 著者のジン・クーユー(金刻羽)は1982年に北京で生まれ、現在はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで教鞭をとる経済学者で、専門は国際経済になります。

 本書は、そうした経歴を持つ著者が中国経済の現状やその強み、問題点といったものを幅広く解説し、海外(英語圏)の読者に中国経済について理解してもらおうという本になります。

 ここ最近の中国経済の低迷や、アセモグルらのノーベル経済学賞受賞もあって、「中国は収奪的国家だからやはりダメなのだ」という論調が強まっていますが、本書はそういったやや単純な見方に対するワクチンにもなるものと言えます。

 ただし、最後の方の章はやや楽観的すぎると感じる面もありますし、現在の習近平政権の政策に対する批判的な視点も控えられている面はあります(この点を補ってくれるのが巻末に置かれた監訳者の梶谷懐の解説)。

 それでも、中国における中央政府と地方政府の行動様式の違い、一人っ子政策インパクト、中国の金融市場が抱える問題点など、非常に興味深い点が論じられており、改革開放以来の中国経済を理解するのに格好の本です。

 

 目次は以下の通り。

第1章 中国という謎
第2章 中国経済の奇跡
第3章 中国の消費者と新世代
第4章 中国独自の企業モデル―国有企業と民間企業
第5章 国家と市長経済
第6章 中国の金融システム
第7章 テクノロジーをめぐる競争
第8章 世界経済における中国の役割
第9章 世界の金融市場で
第10章 新たなパラダイムに向けて

 

 まず、中国の政府が収奪的だという指摘に対して、第1章では著者は中央政府と地方政府の違いを指摘しています。中国経済は確かに政府の統制が強い経済ですが、その統制は次のように締め付け一辺倒ではないと言います。

 

 この国のシステムが他国と異なることを示すもう一つの特徴は、中国では政治の中央集権化と経済の分権化がセットになっていることにある。中央政府は戦略的な方向を定めるが、現場でそれを実行するのは地方政府だ。「市長たち」は実質、その管轄区域のステークホルダーである。彼らは優良な民間企業を支援することで産業の集積を図り、GDPが上昇し、仕事が増え、不動産価格が急騰するなどの乗数効果のある活気溢れる経済を築き上げる。そして税収を増やし、自らも政治的階級の梯子を昇っていく。だからこそ、国家にまつわる根強い憶測とは逆に、地方政府の役人は、奪い取るより助けるために手を貸すことが多いのだ。(26p)

 

 地方政府は企業の成長を阻害する収奪的存在ではなく、むしろ企業の成長を助ける存在だというのです。直接書いているわけではないですが、これはアセモグルらへの反論とも言えるでしょう。

 もちろん、役人の出世のインセンティブが変われば、このように地方政府が企業を手助けする体制も崩れてしまうかもしれませんが、現在のところは地方政府には企業を手助けするインセンティブがあるわけです。

 

 第2章では中国の経済成長の要因をいくつかあげていますが、著者は儒教的な文化を経済成長に資するものとして評価しています。

 儒教の教えがイノベーションを阻害していると考えられていたこともありましたが、「最近では、社会秩序や倹約、勤労、共同体主義、能力に基づく官僚制を提唱する儒教の教えこそが、日本や韓国、台湾、中国本土などの東アジア経済の驚くべき成功に、重要な役割を果たしたと考えられている」(51p)のです。

 

 また、1978年〜2008年の中国の経済成長は資本の投入だけではなく、生産性の上昇も大きかったことを指摘しています。この期間の中国の経済成長の半分は生産性の伸びで説明できるといいます

 これは必ずしも中国で画期的なイノベーションが起こったからというわけではなく、生産性の低い農業分野から生産性の高い工業分野へと労働者が大移動したためです。また、生産性の低い国有企業から生産性の高い民間企業に労働者が移動したこともこれを後押ししました。

 中国の経済成長は減速していますが、中国の生産性のレベルはアメリカに比べてかなり低く、「中国で学位を持つ労働力の割合は、南アフリカやブラジルよりも少なく、富裕国全体で見るとかなり下」(74p)です。このため、著者は中国の経済成長の余地がまだ大きいと見ています。

 

 第3章では一人っ子政策が検討されています。

 多くの人の一人っ子政策への評価は、中国の人口増加を抑え、他国以上の人口ボーナス(老人や子どもといった従属人口が少なく、生産年齢人口の多い状態)をもたらしたが、人為的で急速な少子化は今後他国以上の人口オーナス(人口ボーナスとは逆の現象)をもたらすもので、長期的にプラスの評価をすることは難しいのではないかというものではないかと思います。

 

 これに対して本書では一人っ子政策がもたらした変化をもう少し詳しく分析しています。

 まず、一人っ子政策は中国の家庭の貯蓄を増やしたといいます。この大きな要因が将来への備えです。子どもの数が少ないということは老後に子どもに頼りにくいということでもあります。中国では社会保障制度も貧弱で、子どもがいなければ自らの貯蓄に頼るしかないわけです。

 たまたま双子が生まれた家庭の貯蓄率は明らかに低く、「この国が一人っ子政策ではなく二人っ子政策を実施していたならば、貯蓄率は30%ではなく20%程度になっていただろうし、その違いは大きい」(89p)と著者は述べています。

 

 一人っ子政策は子どもへの教育投資を増やしました(これも双子との比較で確認できる(90p図3−1参照)。結果、子どもはより高いレベルの学校に進むようになり(双子は、専門的な訓練を行う職業高校に通う確率が30%高いという)、受験競争は過熱しました。

 これには「教育費の高騰」→「一人っ子政策が撤廃された後も続く少子化」という負の影響もあります。

 

 また、本書が強調するのが一人っ子政策ジェンダー格差を縮小させたことです。

 もちろん、生まれたはずの女児が失われたという深刻な問題もありますが、一人っ子政策によって娘は息子よりもより長い年数にわたって教育を受けることになり、かつては男性が女性の2倍だった大卒率はほぼ同じになりました。大学院生でも47%が女性になっており、教育における男女の格差はなくなりました。それに従って経済分野でも女性の進出が続いています。

 

 一人っ子政策は、男性の結婚難、高齢化と人口減少などのさまざまな問題を引き起こしていますが、著者は高齢化は一人当たりの生産性の向上で克服可能だと見ており、政府が経済改革の流れを逆転させてしまうことに比べれば、「高齢化はそれに比べると大した問題ではない」(106p)という評価です。

 

 第4章では国有企業と民間企業について語られていますが、ここで注目したいのが先述の企業育成と地方政府の関係です。

 電気自動車メーカーのニーオ(蔚来汽車)は、2020年に経営危機に陥り破産寸前となりました。このときに手を差し伸べたのは、銀行でも投資ファンドでもなく、安徽省合肥市で25%の株式を取得する代わりに70億元を提供し、競合相手に競り勝ちました。ニーオは本社を合肥市に移し、合肥市は銀行からの融資を受けやすくさせただけでなく、サプライチェーンの構築も手助けしました。

 この結果、生産台数も伸び、2020年4月に30億ドル前後だったニーオの総株価評価額は8ヶ月後に約1000億ドルに急騰しました。こうした合肥市は地域の産業を振興させるだけでなく、莫大な利益も得ました。こうした地方政府の動きが中国の起業勃興を支えているのです。

 

 第5章では共産党による統治が論じられていますが、ここは基本的に楽観的というか現在の体制に甘い感じで、ざっと読めばいいかもしれません。

 

 一方、第6章の中国の金融市場の分析は面白いです。

 中国経済の謎として株式市場の不調があります。2000年から18年にかけて中国の経済規模は4倍になったが、2000年に中国株の多様なポートフィリオに一ドルを投資した人が18年を経たインフレ調整後に保有していたのはその1ドルだけだというのです。アメリカで投資していれば2ドルに、国際市場に上場している中国株に投資していれば3ドル50セントになったにも関わらずです(187p)。

 一方、北京と上海の住民はボストンやサンフランシスコの1/5の所得にもかかわらずボストンやサンフランシスコと変わらない費用を住宅に費やしています。

 

 この株式市場の低迷の裏には、資金のやり取りが銀行中心に行われているということもありますが、同時に政府の介入が金融市場の成熟を阻んできたという側面も大きいです。

 かつての中国の株式市場や債券市場は不振に陥った国有企業を助けるために開放され、政府は預金金利に上限を設けて、企業が低利で資金を借りられるようにしていました。中国の中で金融は政府の政策に従属する時代が長く続いたのです。

 

 基本的に株式市場の利回りとその国の経済成長には高い相関関係が見られますが、中国ではその相関関係がないと言います。「この点で中国はイランと同格」(195p)です。

 中国では上場企業の資産利回り、株式投資収益、純利益成長率は非上場企業に比べて劣っており、海外で上場している企業に対しても遅れをとっています。上場企業以外の利回りは中国の経済成長と相関しており、上場企業がむしろ問題を抱えた企業のような状況なのです。

 

 この理由の1つ目は、IPOの審査が厳しく長いことです。これは上場企業の質を保証しているようにも思えますが、中国ではここで重視されるのは過去3年ほど毎年収益を上げていることが重視されるために、ベンチャー企業は上場しにくくなります。中国のネット通販第2位のJDドットコムが国内で上場していないのも2014年のIPO申請の2年間にわずかばかりの損失を出しているからだといいます。

 一方、一度上場されると上場廃止になる企業は少ないのです。ダメな企業も株式市場に残り続けることになります。

 

 また、上場前の収益が重視されるために上場を目指す企業は体裁を取り繕って短期の収益を追求します。ところが公開後に弱みが明らかになると株価は下落するわけです。

 公開後は収益性の低い事業に投資したり、関係のない事業に手を伸ばすことも多く、上場後に企業業績が低迷することが多いです。

 

 こうしたこともあって中国の株式市場は乱高下を繰り返しています。政府もこれを安定させようとサーキットブレーカーの制度を導入したりしましたが、たびたびの発動が帰って市場の安定を損ねているような状況です。

 こうしたことを踏まえて著者は次のように述べています。

 

 金融市場の域を超えた大きな経済に関しては、中国政府は漸進的な手法を用いてこれを管理し、最初は限られた規模で徐々に策を講じ、その間の経済の動きを注意深く観察する。この戦略はおおむね成功してきたし、中国が大転換を遂げるなかで数々の危機を回避できたことは、政府の功績にほかならない。だが金融市場では、市場への期待が瞬時にして市場価格に反映されるため、こうした漸進主義がつねに有効とは限らない。(202p)

 

 このように株式市場は国民が自らの資産を増やすための場とはなっていないわけですが、代わりに人々が投資しているのが不動産です。

 中国では銀行の金利は低く、銀行預金は目減りしていきます。株式市場も信頼できません。そうなると人々は無理して借金してでも不動産を所有しようとします。不動産だけは経済成長に見合う形で、いやそれ以上に値上がりしているからです。

 

 中国経済では、たびたびゴーストタウンが問題になってきましたが、今まではなんだかんだで完成後は人が埋まっていきました。

 そうしたこともあって、著者は不動産への過度な依存や「影の銀行」、不動産収入に依存する地方政府に危惧を抱いていますが、それでも不動産の問題が決定的な影響を与えるとは本書の執筆時点では考えていないようです。例えば、次のようなものです。

 

 日本をはじめとする他の国々では、住宅市場が崩壊すると、国民は資産を国内で売却して海外に移したため、資産価格の調整ははるかに大きなものとなった。一方、中国では、国の厳しい管理が急な資本逃避を防いでいるかぎり、国民の貯蓄が国に金融的な安定をもたらす。国民や長期的な経済効率にとって、これは最適とは限らないが、少なくとも金融危機の拡大を防ぐことはできる。(232−233p)

 

 本書が出版されたのは2023年の7月、それ以降も中国の不動産不況とそれに伴う経済の減速は続いている状況ですが、著者の見方が正しいかどうかは今後の中国経済の行方次第というところです。

 

 第7章では中国におけるイノベーションがとり上げられています。

 中国でつくっている製品は模倣やコピーばかりであるとの声もあります。著者も中国では「0から1」への先駆的イノベーションはまだ不十分だと考えていますが、一方で激しい競争の中から「1からN」へのイノベーションはさかんに行われているといいます。

 特にビジネスモデルについては激しい競争の中でオリジナルなものが生み出されています。

 

 中国の強みはその巨大な国内市場によって規模の経済がはたらくことです。製造業の集積などもこの規模の経済が可能にしましたが、これからのIT産業においてもビックデータの入手が容易という点で中国には大きなアドバンテージがあります。

 データはきわめて政治的な商品になりつつあり、国による管理が強まることも予想されます。こうした中で中国企業は世界最大級のデータを利用できるわけです。

 また、中国の企業は小回りが効くことが多く、新興国市場などでは現地のニーズに合わせてサービスを進化させることでアメリカ発の巨大IT企業を上回るようなケースも出てきています。実際、メキシコで滴滴がウーバーを抜いてライドシェア市場のトップに立つなど、中国企業が「本家」を上回るケースが、政府によって保護された中国市場以外でも起きています。

 

 その上で、著者は中国の何事も短い期間での利益を求める風潮が「0から1」のイノベーションを生みにくくしていると指摘するとともに、この分野における政府の重要性も指摘しています。

 

 第8章ではグローバル化や米中対立の問題がとり上げられています。

 ここでは貿易や分業の利点、そして製造業の拠点として中国を代替するのは簡単なことではないということが指摘されています。

 基本的に「もっとも」な内容ですが、ここ最近は、この「もっとも」さを押し流してしまうような風潮を感じますね。

 

 第9章では国際金融市場での主役を目指す中国について述べられています。

 世界経済に占める中国の存在は巨大になりましたが、中国の金融市場は閉鎖的であり、外国人が持つ中国の株式や債権は低いレベルにとどまっています。

 この背景には金融市場の開放がアジア経済危機などの混乱をもたらすという政府の考えがあるのでしょうが、著者はそうした政府の規制がかえって中国の金融市場の不安定さをもたらしている面もあると考えています。

 

 中国の人民元が国際通貨になっていくのは歴史的に見ても当然だと著者も考えていますが、やはりネックとなるのは国内の金融市場の機能の低さであり、例えば、中国の株式市場の時価総額は2019年でGDP比の約60%に過ぎません。これに対してアメリカが158%、マレーシアで108%、タイで100%、ブラジルで64.5%となっています(334p)。

 投資家にとって中国の金融市場において魅力的な商品があまり存在しないのです。

 

 最後の第10章では中国経済の展望が語られています。

 ここで著者は中国の特徴にパターナリズムを見ながら、それをある程度肯定的に評価しています。ただし、近年の政府によるIT企業への介入などについては経済にマイナスになりかねないとしています。

 

 このように本書は改革開放以来の中国経済について、その全体像を教えてくれます。

 今後の政府の動きなど多少楽観的な見方もありますが、興味深い知見、論点がいくつも出ています。

 特に本書を読むと、中国の金融市場の機能不全が中国経済を読み解く1つの鍵であり、同時にここを改革できるか(ある程度の混乱を受け入れる勇気を持って自由化を進められるかどうか)が今後の中国経済を占う上でもポイントになることが見えてきます。

 

 なお、監訳者の梶谷懐の共著、梶谷懐・高口康太『ピークアウトする中国』(文春新書)も中国経済の見方や問題意識として重なる部分があり、現在の中国経済の状況について手早く知りたいなら『ピークアウトする中国』を、もう少し長いスパンで考えたいなら本書を読むといいでしょう。

 

 

 

 梶谷懐・高口康太『ピークアウトする中国』(文春新書)のレビューはこちら。

 

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