『メメント』・記憶のあり方

 なんか、ワールドカップの影響で久しぶりのこの欄の更新です。この1ヶ月はサッカー見ててなんにも出来ませんでした。それで先月の段階ではミスチルのニューアルバムのことを中心に書こうと思っていたのですが、ずいぶん時間がたってしまいました。というわけで、ミスチルについては簡単に済ませて、映画『メメント』について中心に書きます。


 Mr.Childrennの『IT’S A WONDERFUL WORLD』は、先行シングルが最近のミスチルにしては妙にさわやかだったので、「どうなんだろう?」という気もあったのですが、聴いてみれば、「ファスナー」、「渇いたkiss」、「LOVEはじめました」など、やはり「ひねり」が効いていました。


 例えば、「渇いたkiss」の「ある日君が眠りに就く時 僕の言葉を思い出せばいい/そして自分を責めて 途方に暮れて/切ない夢を見ればいい/とりあえず僕はいつも通り 駆け足で地下鉄に乗り込む/何もなかった顔で どこ吹く風/こんなにも自分を俯瞰で見れる/性格を少し呪うんだ」という部分。ある種の先読みが出来ない「君」に対する優越感と、先読みが出来てしまう「僕」の抱えるむなしさ。迷路を上から見ることができれば、出口はすぐにわかるかもしれませんが、迷路を楽しむことは出来ない、そうしたかなしさがよくでていると思います。


 去年の公開当時から見たい見たいと思っていて、結局見ずに終わってしまった『メメント』、ビデオででたのでさっそく見てみましたが、かなり面白い映画です。特にD・フィンチャーの『セブン』や『ファイトクラブ』、D・リンチの『ロスト・ハイウェイ』、『マルホランド・ドライブ』などが好きな人には文句なしにおすすめです。


 主人公は10分間しか記憶がつづかない健忘症の男。妻を殺されたショックによってそうなってしまった主人公は、復讐と自己を取り戻すために妻を殺した犯人を追い続けます。すぐに記憶をなくしてしまうため、重要な情報を自分の体に入れ墨で書き込み、ポラロイド写真を撮って出会う人物を覚えます。そして映画は、犯人らしき人物を殺したシーンから主人公の記憶の断片をさかのぼる形で進みます。


 まず、この映画はこうしたアイディアが素晴らしいです。主人公の設定と逆向きに進む時間、そして途中に挟まれる、主人公が事件の前に出会ったというまったく同じ症状を持つサミーという男の話。それらがぐいぐいとストーリーを引っ張ります。単純に、見て面白い映画です。


 もう一つ、この映画は最近さまざまな現象のキーワードとなっている「記憶」というものについていろいろと考えさせられます。


 主人公は、妻が殺されたときの記憶にさいなまれていますが、これはまさに「トラウマ」です。また、自分のしたことを覚えていないという設定は「多重人格」と重なるものがあります。消えていく日常の記憶、忘れられないトラウマとしての記憶、そしてねつ造された記憶。この映画は「記憶」についての映画です。


 ネタばれになるので具体的にはいいませんが、この映画の一つのポイントは「記憶→症状」、「症状→記憶」の二つの因果関係が絡み合っているところです。トラウマが原因となってさまざまな症状が現れるというのが現在のPTSDの概念ですが、ハッキングが『記憶を書き換える』で指摘しているように、あるいはヤングが『PTSDの医療人類学』でほのめかしているように、症状が偽の記憶を作り上げるということもありえます。例えば、斉藤環は「ひきこもり」においてひきこもっている人間が「親から虐待された」と主張することがよくあるが、ひきこもりが治るとそのことをさっぱり言わなくなってしまうということを紹介しています。これこそまさに「症状→記憶」の因果関係を証明する例でしょう。


 『メメント』が教えてくれるのは個人のアイデンティティの核でありながら、可塑的であり「幻想」でもある、「記憶」というもののあり方です。 


 この記憶の問題は個人の精神的な病だけのものではありません。前にこのページの新書紹介で取り上げた、藤原帰一『戦争を記憶する』における戦争に対する国民の記憶、という話にもつながっていると思います。現在の国民の置かれている状況こそが「戦争の記憶」をつくり出すのです。 


 「トラウマを克服する」というパターンの物語があふれている中で、『メメント』はそうした考えが解体されていく映画です。


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