『ピンポン』・ヒーローとは?

 今月は、映画を見たということで改めて読み返してみたマンガの松本大洋『ピンポン』について書こうと思うのですが、その前に村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』について少し。この本は阪神大震災をモチーフにした連作短編、評論家からかなり高い評価を受ける一方で、中条省平などからは「オカルトだ」と批判もされていました。


 読んでの感想は、確かにオカルト的なところもあるのですが、この本にはある種の「つつしみ」があります。特に「タイランド」という短編。タイでの仕事のあと休暇を取った医者の女性が、タイの老人ガイドに連れられて予言者(?)を訪ね、「あなたの身体の中には石がある」と告げらます。彼女は自分の中にずっと抱えてきた「恨み」を思い出し、その秘密をガイドにうち明けようとします。しかし、ガイドは「今は我慢することが必要です。言葉をお捨てなさい。言葉は石になります」と、それを止めます。物語を陳腐にさせないこのあたりのさばきが、やはりうまいですし、正しい「つつしみ」と言ったものを感じさせます。


 ただ、最後の短編「蜂蜜パイ」のラストはやや微妙なところがあります。短編の終わり方として「あり」なのですが、これが村上春樹の作家としての決意表明だとすると、これからが少し心配な気もします。


 『ピンポン』については日記にも書きましたが、映画もまあまあいいですが、マンガのほうがもっといいです。子どものころから卓球がうまく、つねにヒーローだったペコと、大きな才能を秘めながらつねに自分に閉じこもりペコの陰に隠れているスマイル。この二人の関係は高校に入って大きく崩れます。スマイルはペコより強くなり、ペコは卓球をやめてしまう。けれども、ペコは猛特訓のすえ、もう一度ヒーローとして帰ってくる。あらすじとしてこんな感じなのですが、このマンガの魅力は何と言ってもペコのかっこよさです。


 一見、この二人はナルシスティックなペコと、現実的なスマイルという組み合わせに見え、M・バリントが『治療論から見た退行』で指摘している、「こういう事例はすべて、ぱっとしない非ナルシシズム的相棒のほうが、対象愛能力があり、現実的独立性を持ち、日常生活の突発事にも対処してゆけるもので、その助力と奉仕がないと一見独立自尊ナルシシズム的ヒーローは悲惨な末路を遂げるだろう。」という組み合わせの典型例だと感じますが、その関係が逆転し、ペコがヒーローとして覚醒するところこそ、この物語の最高にかっこいい場面です。 


 インハイ予選の準決勝、最強の相手海王学園の風間戦を前にして、ペコは膝の故障で棄権をすすめられる。そのとき、ペコは「スマイルが呼んでんよ」と言って、試合へと出ていく。何度読んでもかっこいいこの場面では、今までスマイルがペコを支えてきたと思われていた関係が、実はペコこそがスマイルの期待に応えようとしていた関係だったということが明らかになります。そして、スマイルの欲望を引き受けたペコは真のヒーローとなって、死闘の末に風間に勝利する。(このペコ−風間戦は同じ松本大洋の『ゼロ』の五島−トラヴィス戦を思わせる素晴らしくかっこよい試合です)


 マンガの最後では、ペコ−スマイルのインハイ決勝でペコが勝利し、ペコは卓球のプロとしてドイツに渡り、スマイルは小学校の先生になろうとしているところが描かれます。これは、今まで自分のことしか考えられなかったスマイルが、自分の期待に応えてくれた、自分の欲望を引き受けてくれたペコを見て、自分も子どもたちの期待に応えられるような人物になろうと思った、ということなのでしょう。


 ナルシスティックに自分の欲望を満たしているように見えながら、「他者の欲望」を引き受ける、それが「ヒーロー」なのだと思います。


ピンポン (1) (Big spirits comics special)
松本 大洋
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