『フォレスト・ガンプ』の時代?

 昨年度のアカデミー賞受賞作『ビューティフル・マインド』をビデオで見ましたが、まあ、よくできているけどふつうの映画。確かに主演のラッセル・クロウはとてもよく頑張っていて、『グラディエーター』でアカデミー主演男優賞を獲っていなかったら、この作品で獲ったかも、と思わせる演技ですが、作品賞というほどではない気がします(ラッセル・クロウメル・ギブソンみたいな役者かと思ったけど、この器用な感じはトム・ハンクスに近いかも。今回もすごい減量していると思います)。


 『ビューティフル・マインド』にちょっとつっこみを入れておくと、宣伝で主人公のジョン・ナッシュを「ゲームの理論」の発明者のように言っていましたが、「ゲームの理論」を発明したのはフォン・ノイマンとモルゲンシュテイン。ナッシュは「ゲームの理論」の一つの解である「ナッシュ均衡」を発見した人です。また、字幕で「フィールド賞」ってあったけど、数学なら「フィールズ賞」では?


 ちなみに、ここ10年のアカデミー作品賞を並べてみるとこんな感じです。>>

1992年(第65回)『許されざる者
1993年(第66回)『シンドラーのリスト
1994年(第67回)『フォレスト・ガンプ/一期一会』
1995年(第68回)『ブレイブハート』
1996年(第69回)『イングリッシュ・ペイシェント
1997年(第70回)『タイタニック
1998年(第71回)『恋におちたシェイクスピア
1999年(第72回)『アメリカン・ビューティ』
2000年(第73回)『グラディエーター
2001年(第74回)『ビューティフル・マインド

 この中で『恋に落ちたシェイクスピア』だけ見ていないのですが、他は全部見てます。個人的にいちばん好きなのが『アメリカン・ビューティ』。あとは『許されざるもの』と『グラディエーター』が好きです。今回の『ビューティフルマインド』は別に嫌いな映画じゃありませんが、映画の出来としてはこの中でいちばん落ちるような気がします。


 ただ、批評的(?)に最も重要なのは、94年の『フォレスト・ガンプ』でしょう。トム・ハンクス演じる少し頭の弱い主人公が現代アメリカ史をまっすぐに駆け抜けるというこの映画は、「素晴らしい映画」と言うわけではないし、「アメリカ万歳の映画なんて見る気になれん」という意見が出て当然の映画なのですが、「時代の象徴」という意味では飛び抜けて重要です。


 まず、単純にこの映画は左翼に対する新保守主義の勝利の凱歌として見れます。主人公のガンプと幼なじみで恋仲となるジェニー、ジェニーはベトナム反戦運動に参加し、ドラッグに溺れ、最後はエイズで死亡、というかなり悲惨なコースを辿るのですが、一方のガンプはイデオロギーなど関係なく、ベトナム戦争に従軍し、勲章をもらい、金持ちになって、ジェニーを救う。左翼思想やサブカルに対する「古き良きアメリカ」の勝利が宣言されるわけです。


 また、映画の中のいくつかのシーンもこういった印象を強めます。例えば、ベトナム戦争で両足を失ったダン中尉は、オリバーストーンの『7月4日に生まれて』のトム・クルーズが演じた主人公(愛国者だったが、ベトナム戦争で両足を失い政府批判に転じる)のパロディのようにも見え、それをガンプが救うという設定が、またまた、新保守主義の勝利宣言のようにも思えます。


 さらに、この映画は新保守主義の勝利宣言という側面に留まらず、東浩紀の言う「動物の時代」の到来を告げるものでもあります。イデオロギーが終わりを告げ、人々が自らの欲求に動物的に従い、規律ではなくシステム的な環境管理によって人々がコントロールされるという「動物の時代」、この時代の人間像がガンプです。


 ガンプには葛藤というものがありません。ガンプは常に周りに用意され道をまっすぐに進みます。確かに、ガンプは自分の欲求というものをほとんど持ちませんが、同時にガンプは周囲への配慮というものにどこか欠けています。これは東浩紀の描く「動物的」な人間像にかなり当てはまります。


 東浩紀は95年のオウム事件以降を「動物の時代」としていますが、実はその1年前に「動物の時代」ならぬ「ガンプの時代」が幕を開けていたとも言えるのではないでしょうか?そして、これは印象論に過ぎませんが、『フォレスト・ガンプ』以降、「ガンプ的あるいは動物的な」観客を感動させることを目的とした映画も増えているような気がします。


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