「親愛なるものへ」〜追悼・野沢尚

 脚本家の野沢尚が自殺しちゃいましたね。原因とかははっきりしていないし、見当もつかないのですが、この人のドラマはかなり好きだっただけに、本当に残念です。野沢尚のドラマでは「恋人よ」とか「水曜日の情事」とか好きで、「眠れる森」も悪くないと思うのですが(やっぱりミステリーを1クールでやって、しかも犯人探しのネタを最後まで引っ張るのは難しいと思う。だいたいがむちゃなどんでん返しになっちゃいますから)、なんといっても好きなのは、「親愛なる者へ」です。


 このドラマは1992年の作品で、出演は柳葉敏郎浅野ゆう子佐藤浩一、横山めぐみなど。フジテレビの木曜10時の枠で放送された作品です。柳葉敏郎浅野ゆう子が子どものいない夫婦で、それがそれぞれ過去に関係のあった相手と不倫をして、一度は別れけるけど、もう一度よりを戻すという話。“トレンディドラマ”などというものがはやっていた時代の中では、けっこう暗めの作品で、当時高校3年でこのドラマを熱心に見ていた僕に対して、親が「このドラマは楽しい感じがしない」とか言ってました。


 この夫婦は、最初は非常に仲のよいように見える夫婦で、二人は、初デートの日、初キスの日。プロポーズの日など、たくさんの記念日デートを重ねます。ところが、それぞれの前に過去に関係のあった相手が現れ、夫婦の絆はあっという間に崩れていってしまうのです。このあたりの不倫の進展と夫婦関係の崩壊というのは野沢尚の十八番という感じのもので、「水曜日の情事」なんかでも非常にうまく描かれてました。ただ、「親愛なる者へ」はこの後の夫婦のよりの戻させ方というのが、数あるこうしたテーマのドラマの中でも、非常に説得的でうまいのです。


 実はこの夫婦には、過去に子どもを中絶したことがあって、ある海岸沿いの病院で手術を受けます(この病院の女医が主題歌を歌っている中島みゆき)。別れたあとに互いの大切さを知った二人は(まさに主題歌・“浅い眠り”の♪ああ、二人気づかない、失ってみるまでは。何が一番つらいことなのか、誰が一番欲しい人なのか。♪)、この病院で再会し、再びよりを戻すのです。


 この中絶の記憶というのは、夫婦の中では抑圧されたもので、数々の記念日の陰に隠されています。それが別れたあとに、事後的に外傷として見出され、夫婦の新しい絆の基礎となる。このあたりが、このドラマの非常にうまいところです。普通のドラマだと大きな事故などのアクシデントを設定することで、夫婦のよりを戻させると思うのですが、このドラマでは、その代わりのものを夫婦の過去の中に見出しているのです。


 記念日と外傷の関係ということについては、斎藤環村瀬学の対談(斎藤環『OK?ひきこもりOK!』(マガジンハウス)所収)を思い出します。「子どもの成熟には民間の中で培われてきたような暦が必要だ。」という村瀬学に対して、斎藤環は「共同性の失われた現代では、理不尽なアクシデントでない限り暦としては機能しない」と答えます。村瀬学俵万智の「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」という短歌を出して、暦の有効性を訴えますが、斎藤環は「その歌こそ、暦が失われたことをあらわすものに他ならない」、と返します。


 この対談では全体的に斎藤環の議論に説得力があると思いますが、「親愛なる者へ」のことを考えてみてもそうでしょう。夫婦の間の数々の記念日というものは、結局夫婦の間の空虚さを埋めることはできなかったわけです。単なる記念日というものは、夫婦に記念日をともに楽しむという演技をもたらすだけで、絆の基礎とはなりません。そして、代わりとして中絶の記憶が、ある種のアクシデントとして別れたあとに見出される、このあたりが野沢尚脚本の本当にうまいところだったと思います。(ちなみに野島伸司は理不尽なアクシデントのインフレ。とにかく外傷に満ちた人間と関係のオンパレードですね。)


親愛なる者へ
野沢 尚
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