2004年ベスト映画は『ドッグヴィル』なわけ

 今年の一番の大きな出来事といえば、ブッシュ再選につきるでしょう。ケリーに対するヨーロッパの市民からの支持や、ハリウッドスターやブルース・スプリングスティーンの応援などを持ってしても、アメリカ社会の「道徳」の牙城は崩せなかったわけで(この辺は先月のこの欄参照)、9.11でリベラル派の負った傷は回復不能なまでに深い、ということを認識させられました。また、ヨーロッパでも、オランダでイスラム社会の暴力的な女性差別を厳しく告発した映画監督がイスラム過激派に殺され、その後モスクや協会への放火が相次いだというニュースがあり、もっともリベラルな国と思われていたオランダでさえ、宗教や道徳から起こる対立とは無縁ではいられないということが露呈しました。リベラル派は数年前叩きまくった『文明の衝突』でのハンチントンの議論に頭を下げざるを得ないかもしれません。


 そんな年の、映画のベスト1として取り上げたいのが、ラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』。是枝裕和の『誰も知らない』もここ最近の邦画としてはダントツの出来でしたが、それでも『ドッグヴィル』を1位に押す理由は、この映画が鋭いアメリカ批判、さらにそれにとどまらない「道徳」批判となっているからです。


 この映画には幾重もの悪意があって、今までのトリアー監督の『奇跡の海』や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』にあった「ヒロイン=キリスト」を越える構造になっています。まず、村人たちは最低の偽善者として描かれます。善人ぶっておきながら、いざ許されるとわかると平気で悪に手を染める、言うならば「ふつうの人たち」です。そしてヒロインのニコール・キッドマンは、キリスト的な受難に耐えながら、最後の最後でキリストではなくなります。ドストエフスキーの大審問官を思わせるラストシーンで、キリスト的な一方的な受難を捨て、世界の改良・浄化をはかるのです。このニコール・キッドマンが国家としてのアメリカを表しているとも言ってもいいでしょう。さらに最後に悪意が向けられるのは、そのラストシーンにカタルシスを感じてしまう観客です。口では「戦争反対」を唱えながら、戦争の映像を「消費」してしまう、これまた「ふつうの人たち」。


 こうした「ふつうの人たち」が教会に通い、「自分たちは道徳的に正しい」と感じている、そうした状況に対してトリアー監督はこの映画で鉄槌を下します。同性婚への反対などをもって、「自分たちこそキリストの教えを信じている」という人間に対して、キリスト教の持つ過酷さというものを見せつけてみせるのです。


 マイケル・ムーアの『華氏911』は、優れたブッシュ批判、イラク戦争批判の映画ですが、あくまでも「ブッシュこそ非道徳的、不誠実だ」というものです。それに対して、この『ドッグヴィル』は、キリスト教こそ自分たちの根本にあると考えるアメリカ人あるいはそれ以外の人たちに、キリスト教の持つ、単なる道徳的なものを越えた「倫理」を示してみせるのです。


 最後に、『ドッグヴィル』以外の映画だと、今年は順番に『誰も知らない』、『ミスティック・リバー』、『21g』、『オールドボーイ』といった感じ。『21g』は映画としてはラストなどに不満が残るのですが、「人間の生きる意味は子どもにしかない」と、ほぼ言い切っているのがすごい。


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