舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』

 舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる。』、この本には中編が2本入ってるんだけど、そのうち「好き好き大好き超愛してる」のほうを読み終わった。本当はもう一つも読み終わってから感想書けばいいんだけど、この「好き好き大好き超愛してる」は舞城王太郎の『世界の中心で、愛をさけぶ』への返答のような気がして、とりあえず『セカチュー』の映画を見た翌日にこっちの感想も書いちゃう。
 まず、この小説、出だしがすごい

愛は祈りだ。僕は祈る。

 いきなり主題を書いちゃうようなこの出だし、そしてその後も核心を確信的に書きまくる。ふつうの小説だと、テーマというのは人間の心の動きや描写などで提示されるんだけど、この小説はそのものズバリ。「小説を書く」ということをめぐる考察なんて、明らかに書きすぎなんだけど、それを押し通すのが舞王城太郎の力。さまざまなシチュエーションで、愛と死が描かれるこの小説は、あまりに愛と死が描かれるため、それがノスタルジーとして消化されずに、ある種の痛みを持って突き刺さる、そんな感じです。次々と襲う死や、死をもたらす身体の痛みというものは、決して『セカチュー』的な美しい思い出にはならない。舞城王太郎は愛と死をインフレ気味に描くことで、昨今の売れ筋小説をしっかりと批判していると思う。
 ちなみに、この作品は芥川賞の候補にもなったけど、阿部和重が取るのにあんなに時間がかかるんなら、舞城王太郎が取るのはいつよ?
 舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』

晩ご飯はおでん