北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』読了

 今日は雪とかいう予報だったんで、出かけようとかなと思いつつもやめて家にいたら、結局雪降らなかった。昼はF1とか久々に見ちゃったけど、あのタイヤ交換なしっていう新レギュレーションは意味あるの?なんか途中からえらく消極的なレース展開だった。
 で、ほとんど家にいたんで北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』を一気に読み切ってしまった。もともと、「世界」に書いた「2ちゃんねる論」がもとになっている本なんだけど、書き下ろしのこの本では連合赤軍事件から現時に至までのアイロニーロマン主義の歴史が細かく分析されていて、けっこう読み応えのある内容になっている。
 ただ、連合赤軍から80年代前半に至る記述は、分析としては正しいと思うけど、著者が1971年生まれで実体験がないだけに、やや固いといえば固い。宮台真司の『サブカルチャー神話解体』のような圧倒的な勢いみたいのはないです(もちろんねらいではないでしょうし)。この本が本当に面白いのは1980年代中盤、「たけしの元気が出るテレビ」の記述あたりから。あまり取り上げられなかったかもしれないけど、この「元気が出るテレビ」こそ今のバラエティの原型みたいなテレビで、個人的にかなり見てた。この本ではこの「元気が出るテレビ」を「純粋テレビ」と分析しているけど、まさにそうだと思う。
 著者はこうした「元気が出るテレビ」的な徹底的なアイロニーが、やがてアイロニーの基盤となるさいを食い尽くし、ベタ的な感動、ロマン主義的な心性に直結していく、という展開をナンシー関のテレビ時評などを手がかりに論じ、その既決としての2ちゃんねらーを論じるわけですが、基本的にこの流れは納得できます。だいたい、「元気が出るテレビ」自体も「勇気を出して初めての告白」や「ダンス甲子園」、「ボクシング予備校」など感動ものが取り入れられたわけで、アイロニーとベタな感動というのはけっこう隣り合わせなものなんですよね(それにしても「ダンス甲子園」、「ボクシング予備校」って今のバラエティでも反復されつづけてる)。
 そういった状況に拍車をかけているのが、携帯などにみられる<繋がり>への希求。アイロニーとしてのコミュニケーションから、コミュニケーションのためにアイロニーが奉仕し、さらには感動が動員される状況という分析もそうだと思います。
 とにかく、80年代後半から今に至る状況をもう1回見直すためにオススメな本。ちょっと記述が固いので読みにくい点はあると思いますがオススメです。個人的な難点をいえば、前半をもっと切ってもいいから現在の分析をもっとして欲しかった。特に「あとがき」に

そして『ウゴウゴ・ルーガ』だけは欠かさず観ていた。

と書いていた著者の『ウゴウゴ・ルーガ』論は、同じく大学受験時代に『ウゴウゴ・ルーガ』を欠かさず観ていたものとして是非読みたい。吉田戦車とかのエッセンスを取り入れた『ウゴウゴ・ルーガ』的な笑いっていうのはあったと思う。今はラーメンズなんかにちょっとそれを感じることもあるけど、ああいう反復による笑い、そしてスノビズムの可能性ってのは個人的にあるんじゃないかと思ったりする。
北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』

晩ご飯は肉がハンバーグのビーフ?シチュー