『カナリア』

 今日は新宿に『カナリア』を見に行った。帰ってきてから気づいたけど、今日は20日だから、丁度サリン事件から10年目ジャストの日だったのか。だからなのかけっこう混んでた。  
 肝心の映画の中身はというと、悪くはない、でも、手放しでいいとはとうてい言えない。個々のシーンは悪くないけど、全体的に盛り込みすぎた感じがあって、映画としての完成度はイマイチ。特にセリフとかが”言い過ぎ”なんですよね。
 オウムの子どもを題材にしたこの映画は、是枝裕和の『ディスタンス』がオウム事件を背景に借りながら、ほぼ実際の事件とは向き合おうとはせずに映画を撮ったのに比べると、かなり”オウムそのものを正面”にすえる形で映画が撮られています。一方、オウム(映画ではニルヴァーナ)のサティアンに入れられ、事件後児童相談所に預けれたもののそこを脱走し妹を捜す少年と、援交まがいのことをやっていた女の子の旅は、『誰も知らない』的な色調もあり、一種のロードムービーと言えるようなものです。監督の塩田明彦がやろうとしたことはわからなくもないですが、いかんせんこの二つの要素を両立させるというのはやっぱり難しい。
 『誰も知らない』は現実の事件を下敷きにしながらも、実際の事件の陰惨な部分を描かないことによって、ある種のファンタジーとしてあの映画の世界を作り上げたわけですが、『カナリア』では、ロードムービー的ファンタジーの部分に、サティアン内部での子どもへの虐待、教義によっておかしくなってしまった母親、そしていまだに教義によって縛られている少年などの描写が挟まれることで、ファンタジーとしては当然成り立たないし、かといって、オウムを正面から消化するだけのつくりにはまだなっていない、という感じなのです。
 また、この映画では”走る”シーンがオープニングをはじめとして印象的に使われているのですが、同じ監督の『害虫』の宮崎あおいの疾走が、すべての試みがことごとく不発に終わることで、ある種の焦燥感をうまく表していたと思うのに対して、今回は、全体的にセリフとかが”言い過ぎ”の面があり、走るシーンを含めて映画が全体的に先回りしすぎな印象を受けました。ただ、この映画のラストに流れるZAZEN BOYSの”自問自答”はカッコヨイ。『害虫』の時のナンバーガールの音楽もかっこよかったけど、今回もこのエンドロールはよいです。そして、女の子役の谷村美月もかなりよい。ちょっと伊東美咲に似ている顔立ちで、演技もいい。男の子のほうも悪くないけど、どうしてもこの年代だと柳楽優弥と比べちゃって、比べちゃうと…。あと、この映画は髪が一気に白髪になるという演出があるんだけど、この演出はどうしても『ツイン・ピークス』思い出しちゃってだめだ。
 と、いろいろと不満も書いたけど、見る価値はある映画だと思う。

晩ご飯は豚肉コンソメシチュー