ジジェク『操り人形と小人』読了

 ジジェク『操り人形と小人』を読了。内容的には『脆弱なる絶対』に引き続いてのキリスト教を扱ったもの。ただ、論旨の展開としてはやや散漫なところがないでもない。相変わらずのジジェク節は健在なのですが、『脆弱なる絶対』のほうが内容的には濃いですね。
 読むのに時間がかかってしまったこともあって、けっこう忘れちゃったところもあるけど、最後のほうのレヴィナスデリダに対する批判はけっこう重要かも。

 究極の偶像崇拝は、仮面を、イメージを偶像化すること自体にあるのではない。仮面を超えたところには、何らかの隠された実体的な内実が存在している、という信念にあるのだ。
 また、ここでは、「脱構築」をいくら重ねても助けにならない。偶像崇拝の究極の形態は、脱構築によるこの<他者>の純粋化である。この純粋化の結果残るのは、<他者>の場所だけ、メシア的<約束>という<他者性>の純粋形式だけである。われわれは、まさにここにおいて脱構築の限界に出会う。ここ二〇年間においてデリダ自身も気づいているように、脱構築は、ラディカルになればなるほど、脱構築脱構築不可能な内的条件に、<正義>というメシア的約束に、ますます依拠せざるを得なくなる。(207p)

操り人形と小人―キリスト教の倒錯的な核
スラヴォイ ジジェク Slavoj Zizek 中山 徹
4791761502