滝川一廣『新しい思春期像と精神療法』読了

 新書の『「こころ」はどこで壊れるか』がなかなかよかった滝川一廣の『新しい思春期像と精神療法』を読み終わる。これはけっこう中身のある本。特に新しい理論とかが打ち出されているわけではないんだけど、滝川一廣の派手さはなくても深みのある考えに納得させられる。他の精神科医だと笠原嘉なんかに近い感覚があるかな。
 気に入った部分をいくつか紹介するけど、まずこの部分

 論文には反作用というものがある。書くと治療がまずくなる気がする。せっかくぼんやりとソフトフォーカスに眺めていた対象を、いったん輪郭をより鮮明なものへと意識化させてしまうためであろう。(209p)

 このあたりとかは超納得。
 さらに、摂食障害の治療について述べている中での以下の下り

 なによりもまず、治療者が焦らず、できるだけ患者と共にその疑問や不審につき合うことが大切である。つまり、治療者は待ち構えていたように雄弁を発揮して巧みに説得してしまうのではなく、患者に問い詰められて大いに困ればよいのである。(169p)

 こことかは理論先行ではない実践の知恵という感じ出し、かといってある種の冷静さもある。冷静さといえば次の部分

 通念上だれもが認める「価値」や「美点」には、ある種の罠が潜んでいる。この罠に自由性を奪われている様は、無食欲症の患者に比較的みえやすいのでなかろうか。(189p)

 また、id:morningrain20050411の『「こころ」はどこで壊れるか』の所でも書いたけど、社会学的なデータにきちんと目配せできているところもよい(少年犯罪が減っている点など)。家族の崩壊などが言われているけど、現在ほど家族の結びつきが愛情のみに集まっている時代もないわけで、そうした点を踏まえた上での次の指摘なんかもその通りだと思う。

 よるとさわると家庭養育機能低下への危惧が語られるのは、それが低下したためでなく、向上したがために要求されるものが多くなったせいである。健やかに育てられる子どもたちが大多数になったのは「正しい」ことだけれども、それは一方で、子どもはすべて健やかに育てて当然という強迫観念を生むにいたった。子どもが問題を起こせば、社会の視線はさっとその親や子育てのあり方に集まり、現代の親子関係や子育てへの深刻な評論が語られて、さらに子育て不安や危機感を煽る。これは「正しい」ことだろうか。神ならぬ人間の子育てだもの、こころを傾けても失敗でもすれば、どうしても不得手な親がいて、それがふつうではなかろうか。そういう常識感覚の希薄化こそ危機である。(121-122p)

 まあ高い本だし、金剛出版というそれ系の出版社の本なんでどの本屋にあるわけでもないけど、けっこう広く読まれていい本だと思う。
新しい思春期像と精神療法
滝川 一広
4772408479


晩ご飯は豚肉とピーマンともやしの炒め物