終戦の日企画『亡国のイージス』

 午前中からけっこう暑いんで、映画でも行くか、ということになり、終戦の日ってことで『亡国のイージス』を見に行く。
 まあ、かなりの長編を2時間近くにまとめた分、やや説明不足の感はあるけど、こういった日本の大作映画としてはよくできていると思う。自衛隊全面協力というだけあって、最後のイージス艦の沈没シーンをのぞいては特にちゃちくみえるシーンもないし、役者もなかなかよい。主人公の真田広之自衛隊情報部の佐藤浩市、総理補佐官の岸部一徳、それと若い勝地涼がけっこうがんばってる。監督は『KT』の阪本順治。男臭い映画をとらせるとやっぱけっこういい。ただ、『KT』ではキム・ガプスが最高に素晴らしかったのに対して、ちょっとそういった役を担うはずの中井貴一がちょっと弱いかな。あと、寺尾聰の人物的な背景の描き方が足りないかも。だから船の中のドラマがいまいち盛り上がらない。ただ、そのぶん官邸の動きは総理役の原田芳雄の描き方を含めて悪くない。政治家をあんまりバカとして描いてないのも、いいと思う。全体的に、まあ満足できる映画です。

 で、この映画では、最初に「だが、語るべき未来も見えず、守るべき国家の顔さえも失った「亡国の盾」に果たして意味などあるのか。」という語りで始まって、反乱を起こす海上自衛隊士官の背景には愛国心憂国の心というものがあるんだけど、さっきあげたルーマンの「愛」についての考えからするとどうなんだろ?
 愛国心を持つものが、自分愛する国に対して「富や若さ、美貌や徳」を求めるならば、果たして愛するに値する国などあるのか?という問題が起こってきます。ですから、対象の美点ではなく、自分が日本に生まれたという伝記的な偶然性こそが愛国心のもとになるべきではないかという気もします。ただ、そうなると、愛国心は必然ということになり、愛国心の持つ魅力も半減かもしれません。なにしろ、国を愛することが他国に対して自国を誇ることにつながらないから。でも、ダメなものを愛するってのもあるような気もする。そのときには声高には「愛」は語られないでしょうけどね。

晩ご飯はナスとタマネギと豚肉の炒め物と冷奴