『シン・レッド・ライン』を理解できない藤原帰一って…

 久々に「論座」を立ち読みして、パラパラとめくっていたら藤原帰一アメリカ映画についての連載が目にとまる。中身はちゃんと読んでないんだけど、『シン・レッド・ライン』について、「映画が動き出さない」って、ほんとうにおまえは現代思想とかをおさえている学者なのかと。(ちなみに個人的には、今まで見た中で一番と言っていい映画です。)
 『シン・レッド・ライン』はかなり特殊な戦争映画なので、ふつうの戦争映画を期待して見に行った人が「つまらない」と思うのは納得なんだけど、「残酷さが裏打ちするリアルな感覚」とか「極限状態での友情」といった戦争映画のロマンティシズムを解体しつくしたこの映画は、現在の戦争映画の最進化系と言っていいもので、それを理解できないようじゃ、ダメダメだと思う。
 サリンジャーの短編「最後の休暇の最後の日」の

 「パパ、生意気なようだけど、ときどきパパが戦争のはなしをするとき、(中略)まるで戦争って、何か、むごたらしくて汚らしいゲームみたいなもので、そのおかげで青年たちが一人前になったみたいに聞こえるんだな。」
 (中略)
 「ぼくはこんどの戦争は正しいと思うよ。(中略)ただね、この前の戦争にせよ、こんどの戦争にせよ、そこで戦った男たちはいったん戦争がすんだら、もう口を閉ざして、どんなことがあっても二度とそんな話をするべきじゃない 〜それはみんなの義務だってことを、ぼくはこればかりは心から信じているんだ。もう死者をして死者を葬らせるべき時だと思うのさ。」

 って部分をよく考えるべき。 
 サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉に所収

晩ご飯はなすとタマネギと豚肉の炒め物