東浩紀編著『波状言論S改』読了

 Jリーグはガンバが名古屋に負け。ここら辺でもたつくのがいかにもガンバだし。この辺で大物を喰うところがいかにもグランパス。でも、せっかく上位がもたついてるのにジェフは負けちゃった。ちょっと終戦ですね。

 東浩紀編著『波状言論S改』を読了。対談集で1番目の対談が東浩紀×鈴木謙介×宮台真司、2番目が東浩紀×鈴木謙介×北田暁大、3番目が東浩紀×鈴木謙介×大澤真幸と、かなり豪華な布陣の対談集です。
 1番目の対談はここ最近迷走気味の宮台真司に対して東浩紀がけっこうストレートに疑問をぶつけている。鈴木謙介は師匠の前ということか、発言も少ないし宮台真司のフォローに回ることも多い。理論的にはやや物足りないけど、宮台真司の最近の立ち位置を確認する上では役に立つ対談。
 2番目の対談が、取り上げられている話としては一番面白い。東浩紀と北田曉大が同世代のため、ニューアカ、「批評空間」、「ソシオロゴス」といった80〜90年代を取り巻く知の状況と自らの生い立ちが語られる部分なんかも面白いですが、それ以外にも現代を考える上で興味深いアイディアがいくつも出されています。first orderで生きている人たちとsecond orderの観察者の齟齬、「感動」することによって自分を「人間的」と思っている人々とそれを動物的な振る舞いと観察している人々の意識の差。そこに見て取れるメタゲームを止める装置としての「感動」。1920ー30年代の婦人雑誌によって構成されて行った消費主体としての「女性」とオタクのパラレルな関係。そこには当時、女性を生産的な社会関係からは切り離しながら、ある程度の社会的ポジションを与えるという機能があったが、今はオタクやニートに対してネットがそういった機能を果たしているという指摘なんかはけっこう鋭いと思います。
 3番目の対談は相手が大澤真幸だけに一番理論的。東浩紀鈴木謙介の現状分析を大澤真幸が理論的に受け止めると言った感じで対談が進みます。宮台真司のことを大澤真幸に振ったりして、大澤真幸の立ち位置がわかるような対談でもあるんだけ、ここで東浩紀鈴木謙介が出してくる現在の「自由」についての理解も面白い。

東:人々はいま、自分が何者なのかを、データベースに依拠して探るようになってしまっている。したがって、自由の実質を問うたとしても、自由とは自分のしたいことをすることで、それって結局データベースに導かれているのと変わらないじゃないか、という話になってしまう。(314p)

東:人はもう、あれかこれかで悩む必要なんてないんです。僕はこれを選ぶ、なぜならば、プロファイリングの結果僕はこれを選ぶ人間だということになっているから、そして実際にそれを選ぶと安心だし快適だから、というような社会なのだから。(321p)

ってあたりの部分なんかは、けっこう現代の本質的な部分をついていると思います。
 まあ、ふつうの対談だとそういう危惧は示されながらも、あっさりと「人間的な道」が示されちゃったりするんだけど、東浩紀がしつこく「動物的」なレベルにこだわるので、この辺りの部分もふつうの対談より面白くなってる。

波状言論S改―社会学・メタゲーム・自由
東 浩紀 北田 暁大 宮台 真司
4791762401


晩ご飯は肉がハンバーグのビーフシチュー