『ジャーヘッド』

 今日は新宿で『ジャーヘッド』見てきた。土曜なのに新宿プラザはかなりすいてたけど、とてもよかった。
 今年に入ってみた戦争(的)映画『ホテル・ルワンダ』と『ミュンヘン』は確かに力の入った映画で、監督がこういった題材を取り上げた意図というのも十分にわかるし意義のあることだと思うんだけど、戦争(両作品では虐殺やテロ)に対抗するものが結局「家族愛」というのは、なんか弱いような気がしたのも事実。「もし家族がいなかったら戦争への対抗軸はないのか?」、と。
 その点、この映画の主人公のスオフォードは父母とも仲が悪く、妹は精神病院という家族を失ったような存在。そして戦う戦争は湾岸戦争というほとんどドラマらしいドラマの描きにくい戦争(湾岸戦争を描いた戦争映画は『スリー・キングス』があるくらいでしょう)。もちろん主人公はヒーローにはなり得ないし、戦場を教えてくれる父のような上官もいない。そんな中で現代の兵士たちのかなしさと滑稽さと下品さと不気味さが描かれているのがこの映画です。
 「頭が空っぽ」という意味もある「ジャーヘッド」=海兵隊に入隊したスオフォードを待ち受けるのは『フルメタル・ジャケット』のような訓練。そして訓練を終えたスオフォードを待ち受けるのは湾岸戦争という、始まってしまえばあっというまに終わってしまった戦争を待ち続ける日々。スオフォ−ドたちはその日々を訓練と仲間同士の猥談とマスターベーションによってすごす。そしてようやく始まった戦争で目にしたのは空爆によって焼けこげたイラク人たちと燃え上がる油田と石油の雨。
 このようなおおよそ戦争映画らしい盛り上がりがない話を皮肉っぽく、そしてときには鮮烈に撮ってみせるのがさすがサム・メンデス。『アメリカン・ビューティー』でもそうだったけど、ブラックな笑いの中にも深いところをグサリとさすような鋭さがある。
 この映画でブラックなところといえばなんといっても湾岸戦争に行く前に兵士たちがみんなで『地獄の黙示録』の有名なワーグナーをバックにしたヘリでの攻撃のシーンを、あのテーマ曲を歌いながら見るシーン。イデオロギーとかが消え去ったあとの物語の消費のされ方というのを強烈に印象づけます。
 一方、『アメリカン・ビューティー』のゴミ袋が舞うシーンを思い起こさせるのが、主人公が砂漠の中で石油にまみれた馬と出会うシーン。現実を越えた<世界>と出会うシーンという感じで、これまた強烈な印象を残します。
 もちろん人によって評価は違うでしょうが、僕としては『ホテル・ルワンダ』より『ミュンヘン』より、この『ジャーヘッド』です。