ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』読了

 今日の名言
 今日の読売の朝刊に俳優の寺田農の「よむサラダ」ってエッセイで、テレビのバラエティ番組について

 出演しているタレント本人のプライバシー暴露ネタ、他人様に触れられたくない失敗談やご本人の恥ずかしいクセ、はたまたやったことのない料理を作らせてみたりと、すべてがプライバシーの切り売りである。
 そのエスカレートぶりはすさまじく、電車の中で化粧をしている女子高生の比ではない。

 ほんと、化粧している女子高生の脳とか心配する暇があったら、テレビ局に抗議の電話でもかけてろよ、と。


 ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』を読了。近年最高のシリーズとも言える国書刊行会の<未来の文学>の第2期の先頭を飾るのは、第1期の『ケルベロス第五の首』が素晴らしすぎたジーン・ウルフの中短編集。
 今回もウルフならではの華麗な文体と凝りにこった技巧が冴えまくり。例えば、最初の「デス博士の島その他の物語」の出だし

 落ち葉こそどこにもないけれど、冬は陸だけでなく海にもやってくる。色あせてゆく空のもと、明るい銅青色だった昨日の波も、今日はみどり色ににごって冷たい。もしきみが家で誰にもかまってもらえない少年なら、君は浜辺に出て、一夜のうちに訪れた冬景色のなかを何時間も歩きまわるだけだ。

 ほんと、身構えちゃうくらいにうまい。しかも、この文体のおテンションが最後まで落ちないのがウルフのすごいところ。同じ<未来の文学>シリーズにも登場したシオドア・スタージョンの文章もすごいけど、長編になるとすごいのは最初だけで、途中からはテンションが落ちちゃう(『人間以上』とか『夢見る宝石』とか。『きみの血を』は最後まであまり落ちない)けど、ウルフはとにかく凝りに凝った文体と構成が最後まで続く。
 20世紀後半以降の小説は、文体を凝ること、物語のスピードが落ちてしまうという困難を抱えていて(例えばコルタサルの『石蹴り遊び』なんかは見事な技巧を凝らした小説だけど、やや重たすぎるのも事実)、それをピンチョンとかドン・デリーロなんかは文体の技巧よりもパラノイア的なアイディアを詰め込むことで力技で打ち破ってみせた感じがあるんだけど(ピンチョンはたまに美しい文章を見せる。例えば『重力の虹』のロケット工場のペクラーと娘の話とか)、ウルフは凝りまくった文体と物語のスピードの問題を一種の省略によって乗り切っているんだと思う。
 ウルフの小説では肝心な部分はほのめかされるだけで、明確には書かれない。それは『ケルベロス第五の首』でもそうだったけど、今回でも「デス博士の島その他の物語」の少年の運命、「アメリカの七夜」でナダンの見た真実など、肝心のところは決して明確にされず、読み手はその欠落した部分を追いかけながら否応無しに物語に引き込まれる感じ。
 「死の島の博士」の無期刑に処された男がガン治療を受けるために冷凍睡眠処置を受け、その間に世界は「不死」になっていた、というSF的なアイディアなどSFとして楽しめる部分もありますが、なんといっても読む快楽を楽しめる小説です。

デス博士の島その他の物語
ジーン ウルフ Gene Wolfe 浅倉 久志
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晩ご飯は豚汁