『異常心理学講座第9巻 治療学』読了

 神田橋條治神経症について、中井久夫分裂病統合失調症)について書いているって言うのでAmazonマーケットプレイスで手に入れたみすず書房の『異常心理学講座第9巻 治療学』を読了。
 この2人の論文を続けて読んでみると、同じようなことを言いつつも両者のスタンスというか、世界観というかに違いを感じることができる。例えば,自然治癒力の重視や、「まず有害なことをしない」という姿勢、因果関係にとらわれないこと、あえて身体の不調に注目することなど、言っていることや目指している方向は似ているんだけど、文章としては明らかに違っているのがわかる。
 神田橋條治が一種の「名人芸」や「術」、あるいは日本の武芸などの「極意」のようなものを志向しているのに対して、中井久夫のそれは一種の「世界認識」的なものであって、自分の技量というよりも「世界の流れ」みたいなものを掴もうとする一種独特なものの気がします。
 例えば、神田橋條治の次のような文章は、いかにも「術」的なものを志向しています。

 たとえば、「わたしは、そう思うのです」と言った人へ、「あなたは、そう思うのです」とほぼ同じ言い方で、「は」に殆ど気づかれないほどのアクセントを加えて返すのは、巧みな揺さぶりとなる。(97p)

 一方、中井久夫分裂病患者との面接の終わりに男性患者には握手を、女性患者には指を一本立てるということをよくするということなのですが、それに関して次のように述べています。

 私は、これに一般性を与えようとするつもりはない。ただ、患者の手が、この機会の他には暖かく柔らかいものに触れる機会がまったくないまま長年過ごしていることを、しばしば、感じとる。それは長く人の住まない空き家の荒れを思わせりう。(150p)

 この中井久夫の行為というのも一種の「術」ではあるのかもしれないけど、その描かれ方というのが非常に自然に思えます。もちろん、神田橋條治神経症について、中井久夫分裂病について語っているという大きな違いがあるのですが、それを頭に入れても、2人の精神科医のスタンスの違いというものが文体にまで現れていて面白いです。

 それ以外にもこの本には様々な論文が載っていて、行動療法において一般的な精神医学的面接などでの禁じ手を大々的に使っていることや、内観療法の宗教的側面(マインド・コントロール的な手法と紙一重的部分がある)などがわかって面白かったです。
 さらにそれ以外で面白かった部分をメモ的に

 (集団療法について)
 われわれ日本人のグループワークの臨床場面でよく起こるのは、議論を十分に深める以前に、何でも多数決で決めてしまおうという圧力がかかることである。
 これは何も決定しなければいけない事項に関してばかりとは限らない。多数決が、グループ場面での一種の緊張緩和剤として用いられる。緊張を緩和することがその目的なのだから、決定した事項に関してあまり責任を感じないのが常である。(鈴木純一「集団療法」)(30p)

 

 (リハビリテーションについて)
 「仕事への関わり方」を図式的に考えれば、うつ病患者が「仕事をする」ことに比重を置くのに対して、精神分裂病者は「仕事につく」ことにより大きな比重を置いているといえよう。前者では「働く」ことと「仕事につく」こととは密接な関係にあるのに対し、後者においては両者は必ずしも統一されず、極端な場合には「働かず」しかも「仕事についている」ふりをしそのように振舞い通すこともあり、精神分裂病者に比較的多くみられる内容のない表面的立場への固執傾向が鮮明に浮かび上がってくる。(蜂矢英彦・村田信男「リハビリテーション」)(427p)

治療学
土居 健郎 宮本 忠雄 笠原 嘉
4622022699


晩ご飯はジンギスカン風炒め物と冷奴