金子洋之『ダメットにたどりつくまで』読了

 金子洋之『ダメットにたどりつくまで』を読了。これはいい本。ダメットの著作を読んで、ダメットが結局何を言いたいのかよくわからなかった人には、まさに救いとなる本です。
 ダメットの本の難しさは(といっても『真理と過去』しか読んでないけど)、なんといってもダメットが何を主張したいのかがよくわからない点。
 例えば、ダメットといえば「反実在論」なわけですが,同時にダメットはフレーゲを非常に高く評価しています。そうすると、「あれ?フレーゲって数学的にはプラトニズムじゃなかったけ?」となるわけです。フレーゲ→ダメットというラインだけ考えるとこの辺りがよくわからないです。
 そうした疑問を解き明かしてくれるのがまさにこの本。フレーゲの背景にはフレーゲだけではなく,数学の直観主義ウィトゲンシュタインの考えがあり、著者があとがきで書いている所を引用すると、

 ごく大雑把に言えば、直観主義論理の意味論をウィトゲンシュタインの「意味は使用である」という発想にもとづいて解釈し直し、それにフレーゲの「意義」を結びつけることによって、彼の反実在論は成立している。(240p)

ということなのです。特にダメットとウィトゲンシュタインのつながりに関しては、ウィトゲンシュタインクワインデイヴィドソンとの差異ともリンクしていて非常に興味深いです。
 大庭健の『はじめての分析哲学』や丹治信春の『言語と認識のダイナミズム』あたりから分析哲学に親しんだものとしてはウィトゲンシュタインクワイン(そしてデイヴィドソン)の考えを似たものとして考えてしまっていたのですが、この本で気づかされるのは、ウィトゲンシュタインの考えとクワインデイヴィドソンの考えの差異です。そして、その差異を明らかにしてくれるのが、ダメットであり、この本なのです。

 忙しくて全部を読むのに時間がかかってしまったのですが、この本で示された「意味は使用である」というテーゼと全体論が結びつくと論理の改定が難しくなる点や、真理の検証可能性を重要視する直観主義に対する、真理を全体のネットワークの産物と考える全体論の対立というのは、個人的にかなり興味深いもので、なんとなくウィトゲンシュタイン直観主義にシンパシーを感じながら、クワインデイヴィドソン全体論に納得していた自分としては大きな宿題ができた感じです。

 入門書とはいえ、フレーゲの「意義」と「意味(指示)」のちがいや、ウィトゲンシュタインのいくつかのアイディア、デイヴィドソンの真理条件説などについて多少は知っていないと苦労する本かもしれませんが、そうしたことを知っていて、なおかつ興味がある人には間違いなくお薦めの本です。

ダメットにたどりつくまで
金子 洋之
432619913X


晩ご飯は豚肉とピーマンとタマネギの味噌炒めと冷奴