岩下明裕『北方領土問題』の世界認識

 昨日のドイツースウェーデン戦、クローゼはいつのまにあんなに足元がうまい選手になったの?4年前はヘディングだけの選手だった気がするけど。ただ、守備はやっぱりちょっと不安定。アルゼンチンもちょっと守備に難があるから、次のドイツーアルゼンチン戦は点の取り合いになるかも。


 岩下明裕『北方領土問題』(中公新書)を読了。著者は、中ロの国境問題を取り上げそこでは歴史的経緯ではなく係争地におけるフィフティ・フィフティの考え方、どちらかの一方的な譲歩ではなくウィン・ウィン(互いの勝利)を目指して交渉が行われ成功したことを指摘し、北方領土でもこうしたスタイルの交渉を目指すべきと言っている。
 具体的に念頭にあるのは歯舞・色丹・国後の三島返還論で、確かにこれは停滞している領土交渉を動かす可能性を秘めたもの。
 まあ、全体的になかなか面白い本ではあるんだけど、「あとがき」のところに僕とまったく同じ国際社会への認識があったので引用しておく。

 冷戦後世界、とくに「九・一一」以降明白になった、米国の軍事力の超越ぶりが、通常の国対国における戦争の例外性をさらに押し進めた。占領後の新国家建設で苦しむ米国ではあるが、アフガニスタン戦争やイラク戦争での圧勝ぶりは、この闘いを二十世紀的な尺度で戦争とは呼べないことを示唆している。そしてイデオロギー的にも、これは国家間の戦争ではなく、「テロとの戦争」などと理解される。ほとんどすべての国がこの「テロとの戦争」に結集した。
 小国と大国との戦争は一方的な結果を生み、大国同士の戦争は核戦争の共倒れを恐れて戦争できない。そして、その大国もただ一つの超大国の顔色と息づかいをうかがいながら、せいぜい自国の利益を守るゲームをしている。これが二十一世紀初頭の世界の実状だ。皮肉をこめて言えば、国対国の戦争ができないこの状況が世界を覆いつつあるからこそ、人々は(片方で安心感をもって)ナショナリズムに陶酔することができる。相互の経済的な依存度の高さがこれに加わるとき、戦争への切迫感は薄まり、通常の国家関係はさらに平和になる。たとえば、昨今、日本と中国、韓国の間でナショナリズムが高揚しているが、本気で戦争の心配をしている人々がどれだけいるだろうか。この意味で、冷戦後世界のナショナリズムは排外的というより、内向きに傷をなめ合う形で現れる傾向をとる。(250ー251p)

 9.11テロ以降、「アメリカのスーパーパワーの崩壊」とか「一極から多極へ」みたいな見当違いなことを書いている新聞とかは多いですが、どう考えても9.11テロ以降明らかになったのはアメリカの軍事力の圧倒的な力。もちろん、イラク戦争のようにアメリカの判断ミスが平和を乱しているケースもありますが、基本的には今の世界は「パックス・アメリカーナ」の状態にあるということを認識しておくことが重要だと思うんですよね。

北方領土問題―4でも0でも、2でもなく
岩下 明裕
4121018257



晩ご飯は麻婆豆腐とキュウリ