次期総理の『ミリオンダラー・ベイビー』の見方

 今日は卒業生がキュレーターをつとめる個展を見に花小金井クウキズムって(一応ギャラリーなのかな?)ところにいってきた。けっこう地元なところにこんな場所があるなんて初めて知った。
 個展の内容は写真と詩を組み合わせて展示しているんだけど、非常に素直な感じがよかったかな。

 次期総理が確定的な安倍晋三の『美しい国』(文春新書)を読んだりしたんですが、まあ、読みやすい本で、自らの経歴とか映画の話なんかも絡めながら、非常に抽象的に「草の根保守」的な自説(というほどしっかりとしたものでもないと思うけど)を語っている本。
 でも、『ミリオンダラー・ベイビー』について書いてる次の部分はちょっと疑問。

 この映画はスポ根映画でもなければ、サクセス・ストーリーでもない。実の娘に縁を切られたフランキーと、愛する父を失ったマギーが、疑似父娘のような関係にたどりつくまでの物語である。その背後には、「アイルランド系というアイデンティティへの帰属」「カトリックという宗教への帰属」、そして「家族への帰属」という、じつに重たいテーマが横たわっている。(88p)

 ってな感じで映画を説明して、次の節では「地球市民は信用できるか?」というタイトルで「帰属」の大切さを語っているんだけど、はたして『ミリオンダラー・ベイビー』はそんな映画だったっけ?
 確かにアイルランド系のルーツというのはこの映画の重要な要素かもしれないけど、例えばこの映画を見て「家族の大切さ」を感じる人なんているのか?マギーの家族なんて、家族であることのもっとも醜悪な部分を見せつけてるじゃない。
 基本的に『ミリオンダラー・ベイビー』は、帰属とかそういうことから見放された孤独な人間の物語であり、その孤独な魂の交流みたいなものが深い感動を生んでいる映画で、「帰属」とかの大切を訴えるにはかなり不適切じゃないかと。

美しい国へ
安倍 晋三
4166605240


晩ご飯はハンバーグとゴールデンキュウイ