斎藤環『生き延びるためのラカン』読了

 晶文社のWEBで連載していたときから読んでて、コピーして内容を保存してたりもした斎藤環の『生き延びるためのラカン』がようやく出た。
 「日本一わかりやすラカン入門」と銘打ってるけど、確かに他の入門書やラカン理論を使った本に見られえるようなラカン的なジャーゴンの解説書ではなく、臨床や現実の現象にそいながらラカン理論のエッセンスがつかめるようになっている。
 「欲望」から始まり、「シニフィアン」、「ラカンの三界区分」、「対象a」、「性倒錯」、「女性」、「精神病」、「転移」とラカンを読む上でイメージをつかんでおいたほうがいいものを、身近な例などを出しながらかなりわかりやすく説明してくれているし、時には俗流ラカン理解の間違いも正してくれているので、これからラカンを読む人、ラカンを読んだけどいまいちすっきりしない人にもオススメです。
 また、単なるラカン入門だけというわけではなく、最後のほうの2章では著者がなぜ精神分析が現代でも有効だと考えるのかということが述べられていて、けっこう納得させられます。
 例えば、次のような部分。

 僕の考えでは、現代社会は「コミュニケーション幻想」と「情報幻想」が、歴史上かってないほど広くゆきわたった特殊な社会だ。そこではあらゆることが情報化され、情報化されたものは必ず流通(コミュニケーション)させられる、と信じ込まれている。でも、そんな幻想によって失われるものも多いはずだ。そう、たとえば、「関係」がそうだね。いまは関係を確立したり、それを意識するよりも、とにかく「コミュニケーション」しなくちゃはじまらない、って世の中だから。だからホントは嫌いなんだよコミュニケーションって言葉。
 いや、もちろん「話し合う」ことは、とても大切だ。僕だって臨床家としては、「会話」を特別に重視している。ただ、コミュニケーション幻想をまともに受け止めすぎると、会話なしには関係性が成立しないかのような錯覚に陥ってしまうんだよね。実際はそうじゃないのに。

生き延びるためのラカン
斎藤 環
4862380069


晩ご飯は豚汁