『硫黄島からの手紙』

 今日は夕方新宿で『硫黄島からの手紙』見てきたけど、けっこう客が入ってる。平日のミラノ座だったけどけっこうお客さんがいましたね。
 映画のほうは前作の『父親たちの星条旗』に引き続き、今作もかなりおさえた作品になってる。
 硫黄島の戦いを日本側から描いたこの映画は、前作が日本側の様子をほとんど描かなかったのと同じく、今作ではアメリカ側の様子はほとんど描かれない。さらに前作は硫黄島からアメリカに帰った英雄たちのその後というもう一つの大きな話があったのに対して、今作ではほぼ舞台は硫黄島のみ。しかも、その多くのシーンが洞窟の中という息苦しささえ覚える画面構成。そうした中で、日本兵たちがあるときは勇敢に戦い、あるときは愚かに自滅してというお話。
 全編、ほぼ日本語で『ラスト・サムライ』的なオリエンタリズムはほぼなし。役者もけっこうがんばっていて渡辺謙二宮和也もなかなかよいと思います(ただ、二宮和也は役にしてはちょっと若く見えすぎかも)。
 id:morningrain:20061105での『父親たちの星条旗』の感想と同じく、この映画も『ミスティック・リバー』や『ミリオンダラー・ベイビー』ほどの完成度はないんだけど、クリント・イーストウッドの戦争への真摯なまなざしや、ある種の倫理観を感じる映画です。

 
 ここからは、ある程度ネタバレも含めて書くので、それが嫌な人は以下のことは読まないほうがいいです。

 
 この映画の中心人物は渡辺謙演じる栗林中将と、二宮和也演じる元パン屋の兵士で、特に栗林中将はある種の理想的な指揮官として描かれています。栗林中将はアメリカにいたこともあって、伊原剛志演じる西中佐とともに、日本軍の中では硬直的になってなく合理的な考えのできる人物として描かれます。ですから、とりあえず栗林中将らの合理主義と中村獅童演じる伊東中尉ら精神論に凝り固まった軍人たちという対立という図式があります。そうした中で、二宮和也が精神論の軍人に反感を持ちつつ栗林中将らに導かれて硫黄島の戦いを戦っていく、というのが基本的なストーリーと言えるのかもしれません。
 ただ、栗林中将らがあくまで合理的かと言うと、西中佐は負傷して部隊を部下にゆだねたあとに自決しますし、栗林中将も最後に自決を望み、それに失敗します。また、栗林中将のラスト近くの「何年もたった後、日本の人は君たちのことを思い出し、魂のために祈ってくれるはずだ」という内容のセリフは、ある意味、靖国神社的な思想であり、ここで「精神論対合理論的」な構図は崩れてしまいます。
 ですから、ここにあるのはやはり『父親たちの星条旗』にも見られた、イーストウッドの戦争で戦ったものたちへのある種の尊敬の念なのでしょう。戦争の正しさとかそういうのではなくて、どんな戦争であってもそこで戦った者たちには強烈な思いがあったはずなのだ、というイーストウッドの思いがこの映画の核になるのかもしれません。
 この映画では兵士たちが家族に当てた手紙がさかんに登場しますが、その手紙はほとんど家族に読まれないままです。その手紙は映画のラストで再発見されますが、イーストウッドはこの宛先に届かなかった手紙を届けるためにこの映画を作ったような気がします。


晩ご飯は豆乳鍋→おじや