ホリエモンと「反省」

 ちょっともうブログに書くには出遅れ観があります、ライブドア堀江貴文被告に懲役2年6月(求刑・懲役4年)の実刑判決がくだりました。
 まあ、有罪にはなるだろうなとは思ったのですが、執行猶予がつかずに実刑まで行ってしまいましたね。世間や証券史上に与えた影響はともかくとして、やったことかあら考えると執行猶予がついてもいいような気がするのですが、それについて昨日の読売新聞の夕刊に以下のようなコメントが出ています。

東京地検特捜部長の熊崎勝彦・明治大法科大学院客員教授
判決は、市場の信頼を裏切る犯罪がいかに重大かを、実刑という形で明確に示した。堀江被告が法廷で、部下への責任転嫁を繰り返し、反省の態度を全く見せなかったことも重く見たのではないか。(後略)

野村修也・中央大法科大学院教授(会社法
堀江被告が反省していないことで実刑となったが、過去の粉飾決算と比べ、やや重い印象は否めない。(後略)

 両者の考えは違いますが、それでも堀江被告実刑になった要因として、ともに「反省」の欠如をあげています。ホリエモンは反省しなかったから執行猶予がつかなかったわけです。

 しかし、本当にそれでいいんでしょうか?
 個人的には次の記事の行列のできる法律相談所でもおなじみの橋元徹弁護士の次の指摘がもっともだと思います。
http://www.j-cast.com/2007/03/16006237.html

橋下徹弁護士は07年3月16日、テレビ朝日系「スーパーモーニング」で、「バランスを欠いた判決だ!」として、こう吼えた。

「僕はもう失望しました。司法というのにね。利得に注目するのなら詐欺罪でもなんでもやればいいわけで、(罪に問われたのは)有価証券報告書の虚偽記載ですよ。政治資金収支報告書の虚偽記載はどうなってるんだ、ということですよ。世の中、バランスがあって、こんな事で、実刑で、しかも、反省の態度がないと言っているが、否認して争っているわけで…。(罪を)認めないと執行猶予がつかないと言うのなら、冤罪事件は山ほど出る。刑の均衡を見て、しかも社長を辞任しているわけですから、再犯ってないわけですよ。世間になびいてるとしか思えない」

 この中の「反省の態度がないと言っているが、否認して争っているわけで…。(罪を)認めないと執行猶予がつかないと言うのなら、冤罪事件は山ほど出る。」ってのはまさにその通りで、裁判の量刑において「反省」のウェイトが大きくなってしまっては、結局は否認してあらそうことができなくなってしまうわけで、冤罪事件であっても被告人にとっては否認することが大きなリスクとなってしまいます。
 この「反省」については落合洋司弁護士のブログに
 http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070313#1173717314

 昨日、某外国の通信社(世界3大通信社の1つ)の取材を受け、質問されるまま、滔々としゃべりましたが、その際、日本の刑事裁判において、なぜ被告人の「反省」ということが、量刑上、重視されるか、ということを聞かれました。それについて、私は、以下のように答えました。

 日本は、単一民族の国ではないものの、国土の中に住む大多数は単一民族であり、島国でもあって、国内で1つの共同体が形成されてきたという面がある。そういった共同体の中で犯罪を犯した者がいた場合、共同体として、再びそのような者をメンバーとして迎え入れられるかどうか、ということを決める上で、罪を認め反省し二度と犯罪を犯さないと誓っているかどうか、といったことが、人々の共通認識として重視され、刑事裁判にも持ち込まれて現在に至っているのではないか。そこでは、犯罪を犯した人々も、いずれは元の共同体に戻ってくる、ということが前提となっているし、このような事情は、被疑者や被告人を、罪を認め反省する、という方向に誘導してきた面もあると思う。
したがって、外国人には、上記のような意味での「反省」は、なかなか理解しがたいものがあると思うし、日本の刑事裁判について非常にわかりにくく感じる点の1つなのではないか。

との記事がありますが、外国人から見ても日本の裁判における「反省」の重視というのは少し奇妙なものとして映っているんでしょうね。
 それに対する落合弁護士のコメントもそれなりの説明にはなっていますが、果たしてこういった共同体的な理由が現代の裁判において大きな存在になってしまっていいのでしょうか?
 確かに少年犯罪や、あるいは地域のトラブルにまつわる犯罪において「反省」が重要視されるのはわからなくはないです。しかし、ホリエモンの犯罪は、別に狭い世界の犯罪でもないし、「反省」云々というものではないと思うんですよね。
 裁判官が「大岡裁き」をやりたいという気持はわからなくもないけど、冤罪防止という点から言えば、この「反省」とやらを重視する考えは変えていかなきゃいけないでしょう。