東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』につ

 引っ越したのはいいけど、電話回線がない!ということでネットにもつなげない!という状態。この日記もマンガ喫茶から書いてます。
 というわけで、いろいろ思うところある東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』ですが、簡単に読んで思ったことを。
 前作の『動物化ポストモダン』はオタクの嗜好からサブカルチャーの変化や日本社会の変化までを読み解いた、かなり幅広い射程を持った本でしたが、今回はライトノベル美少女ゲームがどのような「文学」であるのか?を考察した本ということで、取り扱う対象や議論の幅は狭い。さらに言えば、大塚英志の「ゲーム的リアリズム批判」への批判的な返答の本、といってもいいほどです。
 この辺が「動物化するポストモダン2」ではなく「ゲーム的リアリズムの誕生」というメインタイトルになった理由なのかな?
 文体も結構執拗な感じで『存在論的、郵便的』に近い感じがあります。
 内容の面でも、前作のころは「デジコ」やマッドムービーなど、萌え要素をもったキャラに戯れるオタク像がクローズアップされていて、「物語ではなくデーターベースを消費しているんだ」という東浩紀の理論が主張されていましたが、今回はかなり複雑な読解を行っています。
 東浩紀はゲームの持つ複雑なメタ的構造をとりだし、さらにそこに一種のオタク批判を見出すことで、ゲーム的リアリズムの存在意義とその可能性を見出そうとしています。
 ただ、この感じだと前作の「データベース消費」というスタイルからずいぶんと離れているような気もする。この変化について本の中ではそれほど明示的に語ってはいないけど、どうなんだろ?
 
 というのがとりあえずの感想。でもこれはかなりの力作。落ち着いたらもうちょっとちゃんと分析したいです。