松井茂記『性犯罪社から子どもを守る』でふりかざされる危険な正義

 松井茂記『性犯罪社から子どもを守る』を読了。これは性犯罪者に対して住所氏名の登録を義務づけ、地域の人々にそれを公開するというアメリカのメーガン法について紹介した本です。
 奈良県児童誘拐殺害事件で死刑の判決を受けた小林死刑囚が過去に性犯罪を犯していたことから、このメーガン法について日本でも関心が高まっていますが、その関心に応える本と言えるでしょう。
 ただし、内容的にはあまりにも偏った面があります。

 著者は法学者で「メーガン法違憲ではないのか?」といった意見もきちんと紹介していますが、全体的に「子どもを性犯罪から守るという圧倒的な利益」を想定することによって、性犯罪者の被る不利益をほぼすべて甘受すべきものとして片付けてしまっています。
 例えば、性犯罪者に対する私的処罰の恐れについても「ただ、たとえ副次的にこのような性犯罪者に対する私的制裁があったとしても、その惹起が目的でないのであれば、子どもを性犯罪から守るという圧倒的な利益のための結果として正当化される可能性もあるかもしれない」(148p)とまで述べられており、さらには「子どもに対する強姦の場合には、死刑を科すことも無期懲役を科すことも、著しく均衡を欠くとはいえないかもしれない。」(252p)と、子どもに対する性犯罪者に対しての死刑の導入までを視野に入れています。

 「子どもを性犯罪の被害者にしない」という主張は当然正しいものですが、それを突き詰める中で発生するマイナスの影響というのにも、やはりもうちょっとは気を配るべきではないかと…。
 「性犯罪者は再犯をしやすい」という必ずしも絶対的に証明されたわけではない考えによってこのメーガン法は成り立っているのですが、このあたりは「イスラム教徒の若者」であるといった理由だけで、テロ容疑者あつかいをした、9.11以降の状況と通じるものがあります。
 確かに「子どもを性犯罪から守ること」や「市民をテロリストから守ること」は非常に大事なことですが、この種の予防的な処置は、「誰もが性犯罪者やテロリストになりうる可能性」に対してあまりにも鈍感だと思う。
  だいたい、こういう人たちは将来もし「強姦をしやすい遺伝子」のようなものが発見されたらどうするつもりなんでしょう?
 性犯罪に対する純粋な怒りが、18世紀以降積み重ねられてきた、個人を抽象的な人間として権利あるものとして平等に扱う態度を破壊し尽くしてしまわなければよいのですが。

性犯罪者から子どもを守る―メーガン法の可能性
松井 茂記
4121018885


晩ご飯は豆乳鍋