石戸教嗣『リスクとしての教育』読了

 石戸教嗣『リスクとしての教育』を読了。
 石戸教嗣は、もう10年近く前に読んだ門脇厚司・宮台真司編の『異界を生きる少年少女』に入っていた「教育システムのメディアとしての子ども」という論文が素晴らしくてずっと注目していた人物。
 単行本として読んだのは『ルーマンの教育システム理論』、『教育現象のシステム論』に引き続いて3冊目。前2作が、ルーマンの教育論の変遷の紹介といったことにページを取られていたのに比べると、今回の本はルーマンの理論を下敷きにしつつも、それを使って現在の日本の教育問題を考えていこうという姿勢はより強くうかがえます。

 著者が注目するのはルーマンのリスク論です。ルーマンはリスクを「リスク/安全」の対比ではなく、「リスク/危険」の対比として考えています。ルーマンは自らの決定によってもたらされるもの(決定をしないという決定も含む)を「リスク」、外部からもたらされるものを「危険」と捉えているのですが、著者はこの図式を使って、「失敗の可能性をはらんだ教育」というものを分析しようとしています。
 
 さらに教師と生徒の間の転移と逆転移の問題、学級崩壊に対するルーマンのセラピー論の応用、発達障害などの「リスクある子ども」をどう考えるか?といった問題も論じられます。
 まだ、はっきりとした論理の骨格が浮かび上がっているわけではないので全体をようやくして評価することはむずかしいのですが、ルーマンの知見から現在の教育問題のヒントとなる事柄がいくつもとり出されています。
 例えば、発達障害についての次の部分。

 「発達障害」あるいは「特別なニーズ」概念は、医療システムと教育システムの構造的カップリングの装置としてとらえ直すことができる。それは、両方のシステムを拘束するという意味においてである。「発達障害」という概念は、医療システムに対しては、子どもの障害を単に治療の対象としてではなく、その子どもの発達という視点から見ることを求める。また、教育システムに対しては、その子どもを指導的観点から見るのではなく、その否定的言動を治療の対象としても見る可能性を与える。(180p)

 ルーマンの理論は社会や社会問題を今までとは別の観点から見させてくれる理論ですが、この本はまさに教育問題に対して今までとは違った視点を提供してくれる本と言えるでしょう。


リスクとしての教育―システム論的接近
石戸 教嗣
4790712397


晩ご飯は野菜炒めとトマト