樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』

 単行本『「心理学化する社会」の臨床社会学』がなかなか面白かった、樫村愛子初の新書。


 内容を箇条書きで紹介しますと


・ 「プレカリテ」(=不安定性)というフランスで使われだした言葉をキーワードにしてネオリベラリズムのもたらす問題点を指摘し、それに対抗する思想をフランス社会に探る(このへんは薬師院仁志『日本とフランス二つの民主主義』の主張と少し被ります)。

・ その問題をギデンズの「再帰性」の考えでもって社会学的に位置づけ、安定した生活には「再帰性」と,社会の安定を示す「恒常性」の2つが必要だということを述べる。

・ 「恒常性」がなくなり、歪んだ「再帰性」が幅を利かせる現代社会を分析し、それに抵抗できるものとして精神分析の有効性を主張。

・ そういった社会観と精神分析の道具をもとに、ニューエイジスピリチュアリズムオタク文化、お笑い、電子メディアなどを分析。

・ さらに部分部分に安倍内閣の政治(この本の中でのネーミングは「安倍原理主義」)や東浩紀の「動物化」の議論を批判。


 という盛りだくさんの内容でして、これを320ページほどの新書で書こうとしているわけですが、読んだ感想としてはやはり厳しいですね。読み応えがあると言えばそうですが、明らかに詰め込み過ぎです。
 
 そして、そもそも著者が依拠するラカンの理論と「再帰性」の概念は両立しないのではないか、という疑問があります。
 著者は「再帰性」を「自分自身の行為を振り返り、その結果をもとに自己をコントロールする能力」という形で捉えているわけですが、「人間の欲望は<他者>の欲望である」と言い切るラカンにとって、「再帰性」のような考えは幻想以外の何ものでもないのではないでしょうか?
 (著者はイマジナリーな領域(つまり「想像界」)の重要視していますが、それは「想像界」だけがコントロール可能、つまり「再帰性」の概念と衝突しないからなのでしょう。けれども、そのぶん特に「象徴界」の重要性を無視してしまっていると思います。)

 樫村愛子は「ラカン社会学」なるものを名乗っていて、『「心理学化する社会」の臨床社会学』なんかではいくつか面白い論考もあったのですが、社会の構想となるとラカンの理論は向いてないでしょう。
 ラカンは現実社会の幻想を暴くのには「無敵」って感じの力を発揮して、ジジェクなんかも社会分析としてはすごく面白いですけど、彼が何か現実に対する処方箋を持っているってものでもないですしね。

ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書 314)
樫村 愛子
4334034152


晩ご飯はカレーライスとトマト