安藤馨『統治と功利』読了

 安藤馨『統治と功利』を読了。
 忙しかったせいもあるけど、読むのに一ヵ月くらいかかった。前半はあまりにもテクニカルでマニアックな話が多くてなかなか進まず、かなり細切れで読んだのであんまりきちんとは紹介できないけど、この本のイメージをつかんでもらうには、「あとがき」の指導教員の井上達夫に向けた次の部分が一番いいかも。

 先生からは完成し提出した論文に対し光栄なことに「方向性からなにからまったく間違っている」という過分のご評価を戴いた。謹んで本書を献呈させていただき、鉄槌が下されるのを喜んで待ちたいと思う。

 内容はタイトルからわかる通り、功利主義の本なのですが、近年のいろいろと洗練され変化を遂げた功利主義ではなく、著者が主張するのはベンサム(本書ではベンタム表記)流の古典的功利主義、個人道徳としての功利主義ではなく統治者の判断の基準としての統治功利主義です。

 しかし、そうした快楽主義的功利主義である古典的功利主義に、パーフィットの人格論を加えて導かれるこの本の結論は非常にラディカル。

 自動車のエンジンが酒気を帯びていれば起動しないメカニズム、脱税なき完全消費税を達成する貨幣の完全電子化など、行為主体の予期がなくとも望ましい行動を採らせることが可能な統治技術の発達は、予期と愛着=共感を共感を必要とする威嚇サンクションを無用ならしめ、その高い功利性ゆえに統治に於いて重要な意義を持ってきた「人格」をその地位から追いやることになるだろう。ここにいたっては、近代的な「個人」はもはや無用である。配慮の共同体の縮小は、それまでの配慮の共同体内部での抑圧と桎梏を統治による是正の対象として暴露するであろう。(278p)

 東浩紀は自ら名付けた「環境管理型権力」に対し、最初は否定的だったものの、最近はそれを逆に受け入れるような疑義論もしていますが、この安藤馨はさらにラディカルにこの「環境管理型権力」を全面的に肯定しています。
 東浩紀は「環境管理型権力」とリバタリアニズムの親和性を指摘したりもしていますが、安藤馨の主張する統治功利主義は親和的という言葉を越えて、そのものズバリという感じです。

 さすがにこの安藤馨のラディカルな議論はすぐに賛成できるものではありませんが、一読の価値があるのは確か。そう簡単に読める本ではないですが、”積ん読”価値のある本だとも思います。

統治と功利
安藤 馨
4326101695


晩ご飯は豚コンソメシチュー