スラヴォイ・ジジェク『ラカンはこう読め!』読了

 帯には「入門書たるものかくあるべし」とか「これまでに出た最良のラカン入門書であると断言してよかろう」なんて書いてありますけど、この本に書かれているのは「ジジェクの理解するラカン」あるいは「ジジェクの使うラカンの理論」であって、ラカンの入門書とは言い難いものですね。
 だいたい、ラカンの考えの中で一般に一番知られていると思われる「鏡像段階」とかまったく触れられてないですもん。


 じゃあつまらないのかと言うと、そうでもなくて、実質的には「ジジェク入門」として楽しめる内容になっていると思う。
 相変わらず、映画や文学作品とか宗教なんかを逆説に満ちたラカンジジェク)理論で切っていくわけですが、特に「原理主義」をめぐる考察が冴えています。
 この原理主義にについてはhttp://d.hatena.ne.jp/morningrain/20080217でも少し紹介しましたが、この本の最終章の「政治のひねくれた主体 モハンマド・ボウイェリを読むラカン」でより突っ込んだ考察がしてあります。
 モハンマド・ボウイェリとはオランダでドキュメンタリー映画作家のテオ・ヴァン・ゴッホを殺害した人物で、そのモハンマド・ボウイェリが同じくオランダでイスラム女性の権利のために活動をしていたソマリア出身の女性国会議員ヒルシ・アリにあてた脅迫状がここでの分析の対象になっています。

ヒシル・アリ夫人よ、自分が正しいと確信しているなら、死を望め。

という強烈なメッセージを発するこの手紙に対して、ジジェクはこれを一種の倒錯だとして次のように分析します。

 自らの真理の証明としての死への願望が、乱暴に押しつけられる。ここには、倒錯の論理が潜んでいることを示す、ほとんど気づかないくらいの変化が見られる。ボウイェリの真理のために死ぬ覚悟から、自分が正しいことを直接に証明するものとしての死の覚悟への変化である。だからこそ彼は死を恐れないだけでなく、積極的に死を望むのだ。倒錯者は「もし自分が正しければ、死を恐れてはならない」から、「もし死を望むなら、あなたは正しい」へと移行する。(187p)

 そしてジジェクはこの倒錯的な原理主義者たちが、熱心な信仰を持つものではなく、<大文字の他者>の意味を「知っている」ものとして振舞っていることを示し、そこに原理主義ニューエイジ的な化学「近さ」を見ます。 
 ジジェクによれば、原理主義に対抗できるのは科学的な知見なのではなく、根拠なき信仰、「信じる」という行為なのです。

 こういった分析が実際の問題の解決に役立つかどうかはわかりませんが、物事を複眼的に見るために知っておいてよい見方だと思います。


 ちなみに冒頭に書いたようにラカンの入門書としてはこの本は疑問符がつきます。
 一番わかりやすいラカンの入門書なら斎藤環の『生き延びるためのラカン』でしょうね。


ラカンはこう読め!
スラヴォイ・ジジェク 鈴木 晶
4314010363


生き延びるためのラカン (木星叢書)
斎藤 環
4862380069


晩ご飯はほうとう