キム・ギドク『絶対の愛』

 今日DVDで見た。DVDで見たものの感想をここに書くことはあんまないんだけど、これはすごい。
 キム・ギドク監督の作品は以前に『サマリア』を見たことがあって、それもものすごい強烈な印象だったけど、この『絶対の愛』も強烈。


 恋人のジウにルックスが飽きられたと勝手に思い込んだヒロインのセヒは整形手術でまったく違う顔に変身。ジウは新たな姿で現れたスェヒと名乗る彼女を別人だと思い込み、恋におちてしまう。そしてスェヒが実はセヒの整形した姿だと知ったジウは…

 
 というストーリー自体が強烈ですし、キム・ギドクならではの強烈な表現も満載です。
 そして何よりも絶対的な愛を確かめようとするヒロインのセヒの怖さ。整形前のお面をつけて現われるセヒは、ある意味『ノーカントリー』のバビエル・バルデムより恐いかも…。
 「愛の根拠」を問うことの不毛さとそれに捕われてしまったものの地獄、そんなものが描かれています。
 もう一つは「顔」の問題。「顔」というと哲学とかではレヴィナスが「他者の<顔>」こそが絶対的に固有なものだと主張していましたが、もしこの映画のように、そして進化する整形の技術が、かつての恋人でさえ見抜けないほどに顔を作り替えてしまうことができたら、そのとき「顔」の固有性はどうなるんでしょう?
 この映画は「顔の固有性」がなくなった世界の悪夢を描いていると言えるのかもしれません。
 このあたりはジジェクの『フェイス/オフ』を使ったレヴィナス批判とか斎藤環の「顔は固有コンテクストである」という議論なんかを読み返してみるべきなんだろうけど、時間もないのでここは個人的な印象論を少し。


 教員をやっているため人の顔を覚えなくちゃいけないことが多いのですが、覚えようと思って覚えられないのが人の顔。一応、クラスごとの写真があってそれ見て覚えることもできるので宇が、この写真というのがくせ者で、ときたま写真とまったく別の顔をしている生徒がいる。
 なので、僕は写真とかを見ないで顔以外の印象(髪型とか服装の感じとか雰囲気とか)なんかを手がかりに覚えていくケースが多いです。ちなみにこれだと中学生より高校生、男子より女子のほうが覚えやすいです。中学生のほうが制服とかをきっちり着ているし、女子のほうが男子よりも髪型のバリエーションがあるから。もちろん髪型なんか変わるもんだし、似た髪型も多いので、「それなら顔のほうが個性的だろ」と思われるかもしれませんが、顔の個性のポイントって非常につかみづらいんです。
 そんな中で最終的に頼りになるのは声。顔の同定は意外に難しいんですが、声ははっきり同定できますね。しかも兄弟でそっくりだったりもするので、一回頭の中に入ると迷わずにすみます。
 まあ、これだと声の変声手術(?)が開発された時が、人間の固有性が書きかえられる時ってことになりますが。


 これは単なるメモですが、この『絶対の愛』はそうした「愛とは何か?」、「顔とは何か?」みたいな問いを誘発する非常に力のある作品です。


絶対の愛
ソン・ヒョナ.ハ・ジョンウ.パク・チヨン キム・ギドク
B000W72OYQ