エリザベス・ボウエン『エヴァ・トラウト』読了

 個人的に女性作家の小説はあんまり読む気が起きなくて、特に「女性ならではみずみずしい感性」とかうたっている小説とかって、いくら話題になろうとも5年もすればブックオフの105円コーナーに並ぶのがオチだっていう偏見を持ってます。
 けれども、そんな女性作家の中にたまに「みずみずしい感性」なんかを軽く捨てさっている作家がいます。こうなると、男性作家に見られがちな「思想的な思い入れ」みたいのもないぶん、その観察眼は恐ろしいほどに冷静かつ辛辣で、一種の凄みさえ感じられます。
 こういう作家には、例えばフラナリー・オコナーとか日本なんかだと水村美苗とかがいると思うのですが、このエリザベス・ボウエンもそういった資質を持った作家の一人。
 エリザベス・ボウエンは1899年にアイルランドに生まれたイギリス人、すなわちアングロアイリッシュとして生まれた女性で、ヴァージニア・ウルフグレアム・グリーンなどとも親交を持った、20世紀のイギリスを代表する女性作家。この『エヴァ・トラウト』は著者71歳の時の最後の長編小説になります。
 帯に小池昌代が「ボウエンの作品は辛辣な真珠だ」との言葉を寄せていますが、まさしくその通り。
 この小説の主人公エヴァ・トラウトをめぐる人物は著者の辛辣な描写にさらされています。特に、エヴァの恩師でもあり、エヴァが大人になってからもしばらく面倒を見るイズーなどは男性作家では描け得ないほど辛辣に描かれています。
 

 ただ、この小説の面白さは単に辛辣な観察眼だけではなくて、まるでミステリーのようなその内容にあります。
 あらすじとしては、「ジャガーを乗り回す、無口なヒロイン、エヴァ。母親は彼女を産むとすぐ、駆け落ちして事故で亡くなり、父親は自殺。莫大な遺産を彼女に残した。8年後、ひとりの少年を連れて、イギリスに帰ってきた彼女に起きたこととは-。」というような内容。このあらすじを聞くと、やや現実離れした設定のラブロマンスのような印象を受けるかもしれません。
 しかし、まずこのエヴァという主人公が謎に包まれてます。
 父親とともに海外を飛び回ったために母語をうまく話せないというエヴァは自分の本心を満足に語ることはありませんし、周囲もそんなエヴァの行動振り回されます。
 さらに、そんなエヴァの行動に関してすべてが明かされるわけではなく、数々の謎をはらんだままストーリーは進みます。エヴァの周囲にいる人物はそれぞれエヴァの一面を知るわけですが、エヴァのすべてを知ることができた人物はいません。そして、読者にもエヴァのすべては巧妙に隠されています。
 エヴァがイギリスからアメリカへとわたったあとの8年の空白、エヴァが連れてきたジェレミーという少年の出自、エヴァの語る過去の記憶、誰もがその真実をつかめないままに物語は進み、そして登場人物のほぼすべてが集まり、不吉な雰囲気に満ちた中での突然の幕切れ。このラストは見事です。


 最後に特に本筋とは関係ないですが印象に残ったセリフを一つ。

「死んだ人が言ったことって、あとになって人に聴かれてしまうときがあるわ。でも、狂った人が何を言っても、誰が聴く?」(163p)


エヴァ・トラウト (ボウエン・コレクション)
エリザベス・ボウエン
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