コーマック・マッカーシー『血と暴力の国』読了

 映画『ノーカントリー』の原作。小説の邦題は「なんだかなぁ…」って感じですが、個人的には小説のほうがいいと思います。映画よりももう一歩踏み込んである感じです。
 
 
 コーマック・マッカーシーは会話に引用符をつけず、短いセンテンスを連ねていく独特の文体を持つ作家で、映画のシナリオを読んでいる気分にもさせられます。
 そして、小説の出だしは映画のまんま。というか、もちろん小説が原作なので映画が小説のまんまに撮ってあるんですよね。ほとんど、映画のシナリオを読んでいるような感じで、登場人物の行動の細かい一つ一つが、映画ではほぼ原作通りに撮られていたということがわかります。


 ところが、映画と小説が違うのは後半。
 まず、大金を手にし殺し屋のシュガーに追われることになったモス、が殺される直前にティーンエイジャーの女の子としばらく一緒に行動している部分が映画にはない。
 小説では、ここでモスが「出直しなんかできないんだ。そういう話だよ。きみのどの一歩も永遠に残る。消してしまうことはできない。どの一歩もだ。」(296p)という、シュガーの独自のルールのような境地にたどりつく場面がありますす。
 そして、映画では殺人者のシュガーが追い続けていたモスの残された妻を殺し、その帰りに自動車の衝突事故を起こす所でほぼ終る感じなのですが、小説ではここから50ページ以上あります。
 そこで語られるのが、保安官ベルの第二次大戦での味方を見捨てて逃亡してしまった過去や、ヴェトナム帰りのモスが亡くなった戦友の家族を訪ね歩いたというエピソード。
 さらにはインディアンに撃たれたマック、第1次大戦で亡くなったハロルドなどのベルの一族の話が語られ、「戦争と血に彩られたアメリカの歴史」といったものが浮かび上がってくる構成になっています。
 そんな中で語られるベルの「人が自分自身の人生を盗んでしまうことがあるものだとは知りませんでしたよ。」(367ー368)という言葉はモスの運命とも重なりますし、シュガーの哲学と響き合うものがあります(シュガーはこのことを知っているから決して妥協しない)。
 

 映画では一番焦点が当たっているのはやはりシュガーであり、一方でトミー・リー・ジョーンズ演じるベルの存在は何となく曖昧なままです。それに対して小説では、ベルを中心にモス、シュガーそれぞれが重みをもって描かれており、映画よりもより深みのある内容になってますね。


血と暴力の国 (扶桑社ミステリー マ 27-1)
コーマック・マッカーシー 黒原 敏行
4594054617


晩ご飯はナスとピーマンと牛肉の炒め物と冷奴