ある中国人法学者の死刑廃止論

 次に紹介するのは中国出身の一橋大学教授・王雲海の『日本の刑罰は重いか軽いか』(集英社)の「おわりに」に書かれている文章。

 今の日本では、死刑存置論者と死刑廃止論者が激しい論争を繰り広げている。死刑存置論者による死刑廃止論者への反論によく使われる問いの一つに、「もしあなたの家族や親族が犯罪で殺されても、まだ死刑廃止を主張するのか」がある。筆者が思うに、いくら死刑廃止論者と言っても、よほどの確信的な人間でなければ、身内の誰かが殺されたり、ひどい目に遭ったりしたら、やはり筆者と同じように、「例外的に、またはこの事件だけは犯人を死刑にしてもよい」と思うことがあるはずである。逆に、いくら死刑存置論者であっても、よほどの確信的な人間でないと、死刑囚に哀願されたり、脳みそと血が飛び出るような執行場面を目の当たりにしたら、筆者と同じように心がどこかで動いて、「他の方法はないのか」と思うことがあるはずである。(219p)

 筆者は学生の頃から人民陪審員(一般人の中ではなく法学専攻の学生などから選ばれるセミプロ的な陪審員。このへんの説明も面白い)として、数々の死刑判決の場と死刑執行の場に立ち会い、死刑廃止論者になったとのことですが、この「いくら死刑存置論者であっても、よほどの確信的な人間でないと、死刑囚に哀願されたり、脳みそと血が飛び出るような執行場面を目の当たりにしたら、筆者と同じように心がどこかで動いて、「他の方法はないのか」と思うことがあるはずである。」という部分は、日本ではあまり聞かれない「死刑先進国」中国ならではの意見のような気がします。
 筆者はこのあと、日本の死刑支持率の高さは密室で死刑が行われる行刑密行主義にあるのではないか?と述べていますが、これは確かにそうでしょう。
 

 そして筆者は、死刑を求める感情や感覚を認めながらも「感情・感覚を超えた理性としての法」という理念によって死刑の廃止を求めます。
 このあたりは日本の弁護士なんかも言うことではあるけど、やはり実際に死刑に関わってきたというだけあって説得力がある。ヨーロッパを例にだして日本の死刑を「遅れている!」と批判するやり方とは違って、冷静な距離感のようなものを感じる議論になっています。


 この本は、これ以外にも日本の刑法研究が、「刑法典・特別刑法・条例のなかで定められている罪名・迷惑行為を、最大限にまで適用、解釈し、既成の罪名・迷惑行為のなかではどうしても押さえきれない場合にのみ新たな立法を求める傾向にある」(133p)ため、幅広い行為が犯罪として成立してしまう状況になっているとの指摘や、日本では「執行猶予付き、少額の罰金のような極めて軽いものであるにもかかわらず、逮捕などの刑事手続法上の処分の容易な発動により、被疑者・被告人が実際に受ける法的制裁と社会的制裁はかなり大きなものとなること」(180ー181p)があり、ここに「人権侵害」の可能性を見ている部分など、日本の司法システムを外側から批判的に見た面があり、非常に面白く有益です。
 特に、警察や検察、そして裁判所だけではなく、日本の刑法研究にも問題があるというのは、あまり知られていない重要な視点でしょう。

 
 もう一つのブログのhttp://blogs.dion.ne.jp/morningrain/archives/7086852.htmlで書いたように、問題点もなくはない本ですが、「死刑制度」、「厳罰化」といったことを考える上で重要な視点を提供してくれる本です。

 
 日本の刑罰は重いか軽いか (集英社新書 438B)
王 雲海
4087204383