ケヴィン・ブッロクマイヤー『終わりの街の終わり』読了

  ケヴィン・ブッロクマイヤー『終わりの街の終わり』を読了。
 2004年にネビュラ賞にノミネートされた作品を長編化したものということで、ジャンル的にはSFの要素もあるのですが、解説でも触れられているようにケリー・リンクなどに似た設定と感覚があります。
 
 カバーの見返しに書かれた紹介はこんな感じ。

死者たちの暮らす、名も無き街。
ある者は赤い砂漠に呑まれ、
ある者は桃の果肉に絡みとられ、
誰一人として同じ道をたどらずやって来る。
生きている者に記憶されている間だけ
滞在できるというその場所で、
人々は思い出に包まれ、穏やかに暮らしていた。

だが、異変は少しずつ起こっていた。
街全体が縮みはじめたのだ。
その理由について、使者たちは口々に語る。
生者の世界で新型ウイルスが蔓延しはじめたこと、
人類が滅亡に向かっていること、
そして、南極基地でただ一人取り残された
ローラという女性について――

死者たちの語る話からほのみえてくる
終わりゆく世界の姿とは・・・・

 この「生きているももに記憶されている間だけ滞在できる」という死者の世界の設定が抜群に素晴らしい。
 年老いて死んだ者、子どものころに死んだ者、事故で死んだ者。さまざまな死者たちが自分を覚えている人々が生きている限り、静かな街で静かに暮らしている。
 けれでもその街から急速に人々がいなくなる。「まばたき」というウィルスによって人類が絶滅しかけ、死者たちを覚えている人々が次々と亡くなっているからだ。
 街に残された人々をつなぐのはローラ・バードという女性。
 死者たちの街の様子と南極で遭難したローラの物語が交互に語られ、死者たちの記憶とローラの記憶が重なったりしながら物語は進んでいきます。


 人々の記憶を繊細に掘り起こしていく語りはなかなかうまいです。
 ただ、もとの短編を長編化したということで、すこしアイディアの力が薄まってしまったという点はあるかもしれません。分量的には中編くらいのほうがより引き締まったような気もします。
 そういうこともあって、最初の部分で名前を挙げたケリー・リンクに比べると鮮烈さという点では少し劣ります。少々ぶっ飛んだ感じのケリー・リンクなんかに比べると、このケヴィン・ブロックマイヤーはずいぶんと真面目な感じがしますね。
 それでも、この死者と生者が入り交じるような世界観はケリー・リンクなんかと共通したもの。また、ピンチョンとかスティーヴ・エリクソンとかウィリアム・T・ヴォルマンとかみたいな饒舌を排して、情感に訴えるような文章を連ねていく感じも、レアード・ハントなんかに似た感じがあって、アメリカ文学の現在の流れの中にある1冊という印象を受けました。

終わりの街の終わり
金子 ゆき子
4270003286


晩ご飯は餃子とゴールデンキュウイ