ボフミル・フラバル『あまりにも騒がしい孤独』

 http://d.hatena.ne.jp/morningrain/20080629/p1で紹介したダニロ・キシュ『砂時計』が素晴らしかった、松籟社<東欧の想像力>シリーズの第2弾が、このボフミル・フラバルの『あまりにも騒がしい孤独』。
 フラバルは20世紀を代表するチェコの作家で訳者が解説で言うには「チェコ本国では、日本でもよく知られているクンデラよりも人気があり、また作品を一読しても明らかなように、クンデラよりも前衛的な作家である」とのこと。
 三十五年間、本をつぶして再生紙の原料にする仕事を続けている主人公のハニチャ。来る日も来る日も運ばれてくる本と格闘しつつ、その山の中から美しい本を救い出すことを秘かな楽しみにしています。

 だって僕は、決して見捨てられた人間ではないけれど、放っておかれるという、贅沢を味わうことができるからだ。僕は、いろいろな思想が住み着いた孤独の中に暮らせるように、独り身でいるだけだ。というのも僕は、ちょっとばかり無限と永遠の偏屈人間だからで、そして無限と永遠ってやつは、たぶん僕みたいな人間が好きなんだ。(17p)

 こんなふうに地下室での孤独な作業の中にも楽しみを見いだしていた主人公ですが、社会の変化はそんな主人公の秘かな楽しみを奪ってしまいます。
 そして、ラストでせり出してくる東欧を襲った悲劇の歴史。
 150ページ足らずの短い小説で、基本的にはユーモア風味のある小説なのですが、最後は『砂時計』と同じく、東欧に残る歴史の爪痕を感じさせます。
 また、社会主義に対する風刺(風刺というほどあからさまではないのですが)もあって、訳者が解説で言っている「メランコリックなグロテスクが中欧文学の理想形であり、メランコリーとグロテスクの交差点は滑稽な真実である」という言葉がズバリ当てはまる感じです。


 『砂時計』ほどの衝撃はありませんが、これもなかなかの小説。
 <東欧の想像力>シリーズの今後が楽しみです。


あまりにも騒がしい孤独 (東欧の想像力 2)
石川 達夫
4879842575