『スカイ・クロラ』

 あっという間だった『崖の上のポニョ』の101分に比べると、この『スカイ・クロラ』の121分はえらく長く感じた。
 『イノセンス』に見られたやたらに説明的な長ゼリフは姿を消したものの、それっぽい画を入れるために映画のテンポが犠牲になっている部分も多くあり、この辺は『HANA-BI』以降の北野武のダメさにも通じるところがある。
 また、キャラの画が非常に平板でぜんぜん生き生きしていない(後述するようにこれはわざとかもしれません)。それに、準主役と言ってもいい草薙の声をやっている菊地凛子が、ど下手。
 戦闘機の空戦シーンはさすがの出来でハリウッド映画でもなかなか真似できない迫力があると思いますが、『攻殻機動隊』のような見たこともない映像というのではないですね。


 ということで、まったく見る価値のない映画かと言うとそうでもない。
 この映画はちょうど昨日とり上げた斎藤環の『文学の断層』に書かれていた「「戦争」を描くセカイ系と、セカイの中で成長をやめた「ニート」たち。かつては否応なしに成長のきっかけだった「戦争」が、いまや成長回避のための場所に成り果てていくこと」という事態をグロテスクなまでに描いてみせた映画なのです。
 2つの大企業によってその意義もよくわからないままにつづけられている「戦争」。その戦争でパイロットとして戦うのが”キルドレ”と呼ばれる子ども(というか思春期あたりの子ども)たち。
 これだけでも、いわゆる「セカイ系」的設定の作品だということがわかると思いますが、さらにはこの”キルドレ”たちは成長もしないし、戦死しない限り死ぬこともありません。まさに彼らは成長せずに戦いをつづける「ニート」たちなのです。(キャラが平板というのも、この「ニート」たちを表すためのものかもしれません)
 そういった意味でこの作品は時代を象徴する作品になっています。



 さらにつづきますが、ネタバレがありです。



 この作品で、大きな謎として登場するのが”ティーチャー”と呼ばれる的の伝説的なパイロット。
 出逢ったものは必ず撃墜されるという無敵のパイロットであり、さらに彼は”キルドレ”と呼ばれる子どもたちではなく、ふつうの大人であるというのです。
 ルーティンワークとしてゲームのように戦闘をこなしていく子どもたちに中にいるただ一人の成長した大人。映画では当然、この”ティーチャー”との接触、戦闘がクライマックスとなり、なんらかの変化への道が示されると観ているほうは期待するのですが、そうはなりません。
 押井守は『うる星奴ら2 ビューティフル・ドリーマー』で文化祭の前日が永遠につづくという成長のない閉鎖空間を描きましたが、この『スカイ・クロラ』の世界はある意味でそれよりも閉じていると言える。
 この『スカイ・クロラ』は、現代における「成長の不可能性」という事態を極端な形で描いてみせた作品です。