細澤仁『解離性障害の治療技法』読了

 序論が「解離性障害治療私史」となっていて、その最後に「この書物は教科書たることを欲望していない。本書は決してハウツーものではない。」とありますが、まさにその通りで、この本に例えば中井久夫とか神田橋條治の本に見られるような「達人の知恵」のようなものを期待すべきではありません。この本は、著者が解離性障害という非常にやっかいな精神障害と格闘した記録であり、著者の引用するウィニコットの言葉を借りるならば、解離性障害の患者との間の転移と逆転移を著者が「生き残った(surviveした)」記録でもあります。

 
 この本には多くの症例が載っているのですが、その中心となるのが「症例G」と名付けられた、サドマゾヒズム的対象関係を持つ成人女性Gの症例。
 倒錯的な性嗜好、それに基づく入れ代わりの激しい男女関係、自傷行為、ひきこもり、失声などめまぐるしい症状を見せるGとの間に行われた7年以上にわたる治療の記録は、まさに治療者として「生き残った」記録と言うべきものであり、読んでいるだけで迫力を感じさせるものになっています。
 もともと著者は神戸大学の医学部に所属しており、中井久夫安克昌のラインのもとで精神科医としてこの解離性障害と向き合うことになったのですが、そこで主流だった外傷理論による治療に満足できず、また自分の逆転移の感情を持て余し、そこから精神分析を中心とする治療理論に切り替えたという経歴を持っています。著者は外傷理論における外傷想起とそれを治療者が支持するという治療法に満足できず、より深い形で解離性障害に向き合ったわけですが、深く踏み込んだ分、より深く病理に巻き込まれたという印象を受けます。


 この本にも書かれていますが、解離性障害(DID)は、境界性パーソナリティ障害(BPD)と近い病理、そして似たような背景を持つことが多く、解離性障害の治療のやっかいさというものは境界例に通じるものがあるようです。
 斎藤環は、境界例には一種の医者と患者の共同作業でつくられるような部分があり、それでいながらある程度、医者が患者に巻き込まれることも必要な場合があると述べていましたが、この本でとり上げられている臨床ケースはまさにkのような印象を受けます。


 そんな中で、最後の第九章「一般精神科臨床における解離性障害の治療に関する覚書」では、唯一治療における「知恵」のようなものが書かれているのですが、次の部分は大胆でなおかつ重要な指摘でしょう。

 私は外傷性精神障害心理療法において、外傷記憶の想起は必ずしも必要ないとの立場である。一般精神科臨床においても、同じ考えであるが、さらに一歩進めて、一般精神科臨床という枠組みでの治療においては、患者は外傷記憶を治療の場で語らない方がよいと私は考えている。外傷記憶の想起、そして、それを治療者に語ることは二重の意味で再外傷体験である。想起自体がまさに再外傷体験であると共に、治療関係の上に外傷の再演が生成するという意味で二重と表現した。そして、外傷記憶を語ることは退行促進的である。一般精神科臨床の場では、外傷の再演をワークスルーすることはきわめて困難である。また、退行により、自己破壊行動など行動化が頻発することにより治療関係は混乱し、病態もこじれてしまう。したがって、臨床家は患者が外傷記憶を語らないように積極的に働きかけるべきである。(中略)
 それでも患者は治療の場で過去の外傷体験を語るかもしれないし、あるいは、自発的に除反応を起こすかもしれない。そのようなとき、最も危険な治療的介入は受容的、共感的介入である。このような介入を行うと患者はより一層退行する。BPD患者を最も退行させる治療者は受容的、共感的アプローチを取る治療者であるということからもこのことは肯定されるだろう。(190p)

 以上の部分を含めて、これから精神科医になりたいとか心理に関わるような仕事をしたいと考えている人にぜひ薦めたい本ですね。


解離性障害の治療技法
細澤 仁
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