宇野常寛『ゼロ年代の想像力』読了

 話題の本です。
 いい面と悪い面が次々に思いつくというところからも話題の本と言っていいでしょう。

  • いい点

1、東浩紀が中心となった00年代前半の批評によってとり上げられなかったオタク系以外の文化、例えばテレビドラマや映画、少女マンガなどをとり上げることで、批評の地平を拡大している。特に宮藤官九郎木皿泉のテレビドラマと言ったものは今まできちんと批評されてこなかったもののような気がするので貴重。特に木皿泉の『野ブタを。プロデュース』に関しては、山下智久のキャラのおかげですぐ見るのをやめたけど、この本を読んで見とけばよかったと思いました。


2、「セカイ系」に潜む都合の良さ(白痴的な美少女を守りそれによって承認されたいという仕組み。著者の言葉遣いでいえばレイプ・ファンタジー)を告発している。


3、「父なき世界」の物語である「セカイ系」の物語において、母の肥大化、「母性のディストピア」が起こっているということを指摘している。この「母性のディストピア」は高橋留美子までさかのぼれるものであり、オタク文化の深いところにあるものである。


4、大塚英志戦後民主主義擁護を「もはや戦後ではない」としてあっさり棄却。

  • 悪い点 

1、分類があまりにも乱暴。90年代の「ひきこもり」的な古い想像力として「エヴァンゲリオン」を代表させているけど、エヴァの前半の展開はそれこそ著者がゼロ年代的なスタイルだとする「決断主義」ではなかった?「逃げちゃダメだ!」って。また、古い方に分類されている舞城王太郎の小説もどう見ても「決断主義」だし、岡崎京子のマンガについても『リバーズ・エッジ』しか見ておらず、『チワワちゃん』を見ていない。著者が決断主義的暴力の世界から抜け出すために持ち出す仲間との小さな共同体とかコミュニケーションとか疑似家族って、『チワワちゃん』で描かれていません?


2、東浩紀に対する批判もやや乱暴。この本で批判されている東浩紀は、あくまでも彼の議論の一部であって、このような形で否定されるのはややかわいそうな気もする。


3、基本的に新しい理論は生み出されていない。決断主義とその暴力性を乗り越えるための、小さな共同体とか小さな物語とか疑似家族とか「終わりとしての死」とかいうものは、今までさんざん言われてきたことであって、目新しさはない。政治哲学的にいえば、コミュタリアンがバッチリ当てはまる気がするし、疑似家族に関しても、例えば宮台真司が『ダヴィンチ』の映画批評でよく主張していた(「欠落したもの同士の受容の輪」というような用語で)。


4、「物語」という概念に混乱がある。例えば、『恋空』のようなケータイ小説を「物語の復活」として捉えているけど、それなら著者が批判的に見るトラウマ・ムーブメントも浜崎あゆみも「物語の復活」ではないの?著者が使う「である/でない」と「する/した」という図式は、そんな単純な図式としては使えないんじゃないかな?「物語」というのは「である/でない」と「する/した」がからまり合って構築されていくものではないの?


5、ひきこもりに「Open the door」と説教しても無駄。全体的に宇野常寛の文章は説教くさい。この説教というスタイルを東浩紀はできるだけ避けるようにしていて、たぶんそれが一種の倫理観になっているような気がするのですが、宇野常寛に説教に対する躊躇いはない。個人的には少し躊躇った方がいいと思います。



 という感じで、欠点も目立つ本なのですが、読めばいろいろと言いたくなる本であるのは確か。そういった意味で非常によい批評だと思います。別に著者の意見に全面的に賛成する必要はないので、興味がある人けど躊躇っている人はぜひ読んだ方がよいかと。


ゼロ年代の想像力
宇野常寛
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