中井久夫『精神科治療の覚書』読了

 どの分野にも専門家に熱心に読まれている本というのがありますが、中井久夫の数多くの著作の中でも精神科医の間で評価が高いのがこの本。先日、ジュンク堂でやっていた「精神科医が薦める心理学の本」みたいなコーナーでも複数の人があげていたのがこの本でした。
 内容は統合失調症(この本では精神分裂病表記)の治療に関わる話が中心ですが、中井久夫が自らの経験と知恵に滝川一広、中里均、向井巧といった精神科医の考えも取り入れてまとめたもので、統合失調症だけにとどまらず精神病院や精神科医のあり方まで幅広く語った本です。


 統合失調症の治療にあたる人にとってはもちろん参考になる本だと思いますが、それ以外にも教員や看護職と行った人びとにも得ることの多い本ではないでしょうか。
 以下、気になった部分をいくつか。

 「聴く」ということは、聞くことと少し違う。病的な体験を聞き出すということに私は積極的ではない。聞き方次第では、医者と共同で妄想をつくりあげ、精密化してゆくことになりかねない。
 「聴く」ということは、その訴えに関しては中立的な、というか「開かれた」態度を維持することである。「開かれた」ということはハムレットがホレイショにいうせりふ「天と地の間には・・・どんなことでもありうる」という態度といってよいだろう。実際、十九世紀のある治療者はこれを「ハムレットの原理」と名付けて、患者に対する時の重要な二原則の一つとしている。
 ただし、このことは、患者のいうことを、安易に「分かる、分かる」ということでは決してない。患者は〜未曾有の体験をしつつある人間として当然だが〜「そう簡単に分かってたまるか」という気持を持っている。(120ー121p)

 過剰な影響にさらされている。とは、とりもなおさず、患者は、粘土のごとく、無抵抗に相手の刻印を受け容れることでもある。多くの患者は、この時期に強烈に治療者の影響を受ける。治療者が人生観や私生活を語って患者の幻想をいたずらに刺激してはならないのはいうまでもないが、そうしなくとも、何かが強烈に刻印される。このことに治療者は大いなる慎みを持たねばならないと私は思う。精神科医の多くは思い当たるふしがあると思うが、再発をくり返したり、長期に不安定な精神状態で治療を受けた歴史を持つ患者を新しく受け持つと、患者と話しているのか、過去に患者を診た精神科医たちのおぼろな影と対話しているのか分からなくなる。これは、一種の、精神科医の憑依現象といってよいかもしれない。たしかに憑依は人格の解体を救う力がある。しかし、憑依しているものとされている人との仲は決してよいものではない。時には、自分の中にとり込まれてしまった精神科医と苦しい暗闘をつづけている人もある。困ったことに患者を診ることで精神の平衡を辛うじて保っているような精神科医が、はなはだ不都合な”憑依”をもっとも起こしやすいように思われる。(160p)

 医師が患者を敵視する時は、しばしば医師が患者に対して陽性の逆転移を起こしてそれに気づかないでいる時である。それは、平たくいえば医者が客観的にものが見えなくなってひいきの引き倒しをやりはじめている徴候である。そういう時は、しばしば家族は医師の知らないところで患者にしっぺ返しをする。こういえば何か大変病理的にきこえそうだが「あんたがあんなことをいうものだから、私は先生に叱られちゃったよ」と書けば、かなりの親が言いそうなことだと感じられるだろう。しかも、医師は、家族に非難がましいことをいう時、ふしぎに、患者との対話の、洩らすべきでない内容を洩らしがちなものである。(186ー187p)

 急進精神病状態を経過した人自身、あまり多くを語らない。およそ人間は忘却能力なくしては生きつづけにくいだろうが、その恵みは多少は働くらしい。けれでも、実は意識の皮一枚下に生々しく残る体験であるらしく、急性精神病状態のことをそれが過ぎ去ってから聞き出そうとすることは、精神科医の間では強く戒められていることである。再発あるいは悪化につながる。つながらなくとも、数週間にわたって患者はひとり苦しむ。これは一般の人にも知っておいていただきたいことである。患者あるいは患者だった人を理解しようとすることはそういうものではないのだ。これを「失恋」「不合格」「破産」と置きかえれば、そういう種類の過去の体験を根掘り葉掘り聞こうとすることへの慎みは当然のことであることが分かっていただけよう。(269ー270p)

 医者が、自分はまったく自分の自由裁量のできる高みから患者に対しておれるように考えるのは錯覚である。これはいうまでもないことで、たしかに、精神科医の能力は、相手に波長を合わせて、話を聞き、筋をたどり、何が問題であり、何が決め手なのかを知ろうとすることにあるだろう。
 しかし、この能力は、ひどく摩耗しやすいようである。とくに、児童の診察には、瞬発的な〜まったなしの〜応答能力のようなものが必要とされるので、ある年齢以上になるとたいへん苦しくなる。自然に親との面談に重点が移ったり、若い治療者の相談にのる方が主になったりする。
 ある曜日は私が帰宅後どうも子供、とくに男の子に対して機械的に応答してしまうように思ったら、児童面接の曜日だった。男子の治療者と男子患者の組み合わせがとくにいけないようだ。このようなことは学校の先生にも起こるかもしれない。偶然かもしれないが、私の知っている指導的児童精神科医で中年に達してなお現場を踏んでいる人には、お子さんが女の子ばかりの人が目につく。(340p)


 このあたりは、教員なんかも知っておくべき知恵だと思うし、また自覚しておくべき事柄も多い。
 中井久夫の本を読むと、毎回いろいろな発見がありますが、この本はその中でも特に発見の多い本。人をケアしたり教えたりする仕事をしている人には非常に得るものが大きい本だと思います。


精神科治療の覚書 (からだの科学選書)
中井 久夫
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