『宮廷画家ゴヤは見た』

 今日は新宿のミラノ座2で『宮廷画家ゴヤは見た』という映画を見てきました。
 新聞屋が映画の券をくれたんだけど、東急系の映画館で10月一杯しか使えないという微妙な券で、この映画と『ICHI』の2択だったので、ならばこっちかと。

 映画は非常に説明しにくい映画なんだけど、まずこの映画はゴヤの生涯とかゴヤの運命を描いた映画ではありません。
 18世紀末の異端審問が吹き荒れた時代からナポレオンによる占領に至るスペインの波乱の時代とそれに翻弄された男と女を画家ゴヤの目から見た映画といえばいいでしょうか。
 異端審問の復活によりカトリック教会の権威を復活させようとするハビエル・バルデム演じる修道士ロレンゾと、居酒屋でたまたま豚肉を食べなかったことからユダヤ教徒と疑われ異端審問を受けるナタリー・ポートマン演じるイネス。この2人が歴史の激変の中で痛めつけられ、のし上がり、翻弄されていくのがこの映画のストーリー。
 特に『ノーカントリー』の記憶も新しいハビエル・バルデムが、修道士からフランス革命の伝道師へと変わり身を見せるロレンゾを怪演しています。

 
 監督は『アマデウス』のミロス・フォアマン。比較的救いのない話ではあるのですが、時にむごたらしく、時にブラックな笑いをちりばめながら、上手く話を進めていきます。
 そして圧巻なのがラストシーン。
 主要な登場人物がすべて登場するロレンゾに対する祝祭的な死刑執行のシーン。終ったあとに潮が引いていくようにいなくなる人びと。街の坂道を馬車の荷台に載せて運ばれていくロレンゾの遺体。救いがないにも関わらず、何か明るさを感じさせる印象的なシーンです。
 また、最初にこの映画はゴヤの生涯や運命を描いた映画ではないと書きましたが、エンドロールで流れるゴヤの絵を見ると、ゴヤが「我が子を食らうサトゥルヌス」をはじめとする「黒い絵」シリーズなどのある意味でグロテスクな絵を描かざるを得なかった理由がわかる映画とも言えます。


 ちなみに歌舞伎町の新宿プラザがなくなっちゃうんですね。ミラノ座と並ぶ巨大劇場で、人気の映画でも問題なく座れるので好きだったのですが…。