西阪仰『分散する身体』読了

 著者の西阪仰は、もともと橋爪大三郎とか大澤真幸とか宮台真司とか佐藤俊樹なんかもいた言語研究会に参加していた社会学者で、土方透編『ルーマン/来るべき知』なんかにも論文を寄せている人だったのですが、現在はもっぱらエスノメソドロジーという少し特殊な社会学を専門にしている人です。
 このエスノメソドロジーというのは、ふつうの日常会話などを分析することで、その会話がどのようにデザインされているか、その会話の中に現われる権力関係、イレギュラーなケースの理由などを探ろうとする試みで、アメリカのハロルド・ガーフィンケルハーヴィ・サックスなどによって始められたものです。


 そんなエスノメソドロジーの本なのですが、この本はまず何といっても厚い!本文で400ページ近く、しかもそのほとんどが会話などの分析に当てられていると言う徹底ぶり。
 しかも、イレギュラーではなく、比較的ふつうの会話、ふつうのやりとりを数多くとり上げているのが特徴です。そして、会話だけでなく、身振り、なによりも会話の中での身体の使い方というものを重点的に分析しています。
 かなり力の入った本だと言えるでしょう。

 
 ただ、「じゃあ、面白いのか?」と言われると、「うーん」という感じもあります。
 柏端達也の『行為と出来事の存在論』と言う本の中で、「靴紐を結ぶ」という行為をひとつの出来事としてとるか、それとも身体運動と因果関係の積み重ねとしてとるか、という議論があるのですが(第4章)、この『分散する身体』という本を例えるなら、この靴紐を結ぶという人間の動きを身体的行為と因果関係ですべて記述するように、日常会話を分析してみせた本と言えるかもしれません。
 ほとんどの人はそこまで考えていない、あるいは無意識に行っていることを、西阪仰は見出し、説明します。しかも理論を組み立てるために分析をするのではなく、ひたすら分析をします。もちろん、理論的な道具立てというのはあって、分析した例がそれを例証しているという部分はあるのですが、全体的に理論家には禁欲的です。
 ですから、ある意味、当たり前ののことについての説明をえんえんと読ませれている感もあります。
 

 けれども、会話の例によっては会話に対する話者の明確なデザインの意思が分析によって浮き上がってくるものもあります。
 例えば、第4章でとり上げられている、医者が不妊治療を受けている夫婦の旦那さんに対して、精子が少なくて人工授精、しかも顕微授精でなければ妊娠は難しいと告げる会話などでは、医者が数字や身振りを使って、ある意味で伝えにくいことを患者に対して納得させていくプロセスが、分析によって非常にクリアーにされています。
 また、会話の中で話者の身体が、時には相手の身体として、時には想像上の人物の身体として、時にはある物の代用として用いられている分析などにも興味深いものはあります。
 決して、万人向けの本ではないですが、興味と根気のある人はどうぞ。


分散する身体―エスノメソドロジー的相互行為分析の展開
西阪 仰
4326602023