学校への携帯持ち込み問題はアーキテクチャでなんとかするしかないでしょ。

 去年から騒がれている学校への携帯電話の持ち込み問題ですが、今日もそれに関するニュースがありました。

http://news.ameba.jp/domestic/2009/01/30647.html

5割超の女子中高生 学校への携帯持ち込み禁止に反対

 P−NESTリサーチ調べで、女子中高生の5割以上が「学校への携帯持ち込み禁止」に反対していることが分かった。

 携帯向け高機能無料ホームページ作成サイトの運営を行う株式会社ピーネストが運営するリサーチ機関P−NESTは、携帯ユーザーを対象に「『学校への携帯持ち込み原則禁止化』に関する意識調査」を実施し、結果を発表した。有効回答数は2,007人。調査によると、小・中学校の学校への携帯持込を原則禁止とする方針に関して、44%の女子高生が「反対」と回答。女子中学生ではそれを上回る62%が「反対」と回答した。さらに、反対の理由を尋ねたところ、「災害や犯罪等、いざという時に助けを呼べるから」「GPS機能で居場所がわかるので、親も安心するから」といった回答が多く、女子中高生は緊急のために携帯を所持していることがわかった。

 一方、「学校へ携帯を持って行っているか」の質問に対して、女子高生では「許可されているので、持って行ってる」の回答が72%に上り、女子中学生では「禁止されているが、持って行ってる」45%、「許可されているので、持って行ってる」17%と、携帯の所持が許可されている、いないにかかわらず6割以上の女子中学生が携帯を学校に持って行っていることが見てとれる。

 また、近年増加している携帯電話でのいじめに関して、「携帯の学校への持ち込みがいじめにつながっていると思うか?」と質問したところ、女子高生では 81%が「思わない」、女子中学生でも88%が「思わない」と回答し、8割以上の生徒がいじめと携帯のつながりを否定していることが分かった。

 まあ、女子中高生が反対するのは当然だと思うのですが、この反対意見を踏まえた上で携帯の持ち込み問題に対しては素晴らしい方法があります。
 それは、学校に妨害電波を流すことで学校を「圏外」にすることです。
 これなら「災害や犯罪等、いざという時に助けを呼べるから」「GPS機能で居場所がわかるので、親も安心するから」といういずれの反対理由もクリアーできるでしょう。
 もちろん、電波法とかで違法行為になると思うので、その辺は総務省になんとかしてもらう必要がありますが、橋下知事が携帯持ち込み禁止を打ち出した大阪府なんかは府がお金を出して、こういう装置を学校に取り付ければよいのではないでしょうか。


 ただ、こういうことを書くと、「学校では携帯の使い方やマナー、そしてネットのリテラシーを教えるべきで学校を県外にしても問題は解決しない!」という正論が登場しそうですし、「あくまで学校が毅然とした対応を!」なんて声もがありそうですが、生徒全員を身体検査するわけにもいかないし、トイレで使われたらチェックしようがないし、今の中高生にとって命の次に大切と思われる携帯をとり上げたりするのも大変なのです。
 実際こんな事件も起きてますし。
 「広島で住宅全焼 携帯取りに戻り高1男子死亡か」
 http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2008/12/25/20081225ddf041040010000c.html


 こんな携帯の恐るべき影響力を教えてくれるのが、先日紹介した濱野智史アーキテクチャの生態系』でのケータイ小説『恋空』の分析。
 携帯の力はすごいです。

 中絶は人殺しなの?
 それをすることによって
 必ずたくさんの傷みを背負う。
 理由もなしにしてしまう人も中にはいると思う。
 でもね、産みたくても流産しちゃった人・・・
 親に反対されてしまった人。
 彼氏に反対された人・・・
 レイプされて妊娠してしまった人。
 いろんな事情があるの。
 みんなそれぞれ苦しんでいるんだ。
 自分の赤ちゃんが嫌いで殺す人なんていない。


 上の中絶について美嘉が悩むシーンは、『恋空』という作品のなかでも、とりわけ「人間的」で「内面的」といえる箇所になっています。ごく素朴な言い方をすれば、自己の犯した罪について、「内面的」に向かいあい、反省し、苦悩するというこの一連のシーンは、いわゆる典型的な「近代小説」や「文学」のあり方に近いといえるからです。
 しかし、その煩悶はあえなく打ち切られます。ほかならぬケータイの存在によって。

 ♪ピロリンピロリン♪
 考え込んでいた美嘉に届いた一通のメール。
 唯一あの中で妊娠を知っていたアヤからだ。
 <<駅前のカラオケ集合>>
 駅前のカラオケ・・・?
 頭の中を整理し、メールで届いた通り駅前のカラオケへと走った。


 「カラオケ集合」というメール一つで、あっさりと中絶に対する悩みを打ち切り、カラオケへと走ってしまう主人公。まさに上のシーンは、「♪ピロリンピロリン♪」と鳴り響くケータイの存在によって、「内面的」に苦悩するという近代小説モードが強制終了させられてしまう、決定的な瞬間となっています。(271ー272p)

 
 まあ、今の中高生のみんながみんなこんなものではないでしょうが、携帯の力というのはこのくらいすごいものなのだと思います。自分のおかれている状況とか、自分の思考とか、そういったものをすべてぶった切る力が携帯にはあるわけです。
 おそらく、携帯の通話やメールが受けての文脈をまったく無視して送られてくるという所にこの力の理由の一つがあるのでしょうが、それはいずれまた考えるとして、ここまで人を支配する力を持つ携帯に対して、学校や教師が「教育の力」(いわゆる「内面へのはたらきかけ」)でなんとかしようとしても難しいですよね。
 というわけで、学校で携帯を禁止するなら「学校圏外化」といったアーキテクチャに頼るしかないでしょうし、個人的には学校くらい圏外であってもいいような気がします。


アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか
濱野 智史
4757102453