村上春樹『東京奇譚集』読了

 旅行に持っていくためにけっこう前に買ったんですが、そのまま放置してました。
 収録作は「偶然の旅人」、「ハナレイ・ベイ」、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」、「日々移動する腎臓のかたちをした石」、「品川猿」の5篇。
 正直、村上春樹の小説(特に短編)には、ちょっと気障ったらしいというか、80年代のバブルを引きずっているような部分があって鼻につくところがあるのですが、この『東京奇譚集』でも、「偶然の旅人」、「ハナレイ・ベイ」、「日々移動する腎臓のかたちをした石」の3編は「なんだかなぁー」と思うところがあります。
 また、村上春樹が魅力的に描いている(?)と思われる女性に、個人的にはいまいち魅力を感じないんですよね。「日々移動する腎臓のかたちをした石」のキリエとか。
 けれども、心理学や精神分析的な題材を村上春樹的な世界で展開させた「どこであれそれが見つかりそうな場所で」と「品川猿」は面白い。


 「どこであれそれが見つかりそうな場所で」は旦那がマンションの非常階段で忽然と姿を消すという話で、結論から言えば、これは『スプートニクの恋人』で用いられた解離性の遁走なのですが、村上春樹はそれを心理学的な説明に還元しないで、あくまで「街のエアポケット」、「この世界に隣り合ったもう一つの世界」という形で描きます。
 現代に置ける「神隠し」のような形で書くのです。
 「品川猿」はもっと不思議な話で、結婚して間もない主人公の女性は自分の名前をふと忘れるという現象にたびたび襲われます。
 精神分析をちょっと知っている人なら、言葉が出てこないということは何らかの無意識的な抑圧が働いており、結婚したあとの姓の変わった名前を忘れるということは結婚生活が上手くいっていないことを意味していそうだし、それには女性の子ども時代にさらに奥深い要因があるのでは?と想像すると思います。
 そして、実はほぼその通りの話なんです。
 基本的な病理の構造は精神分析の基本的なロジックのまんま。けど、そこに行き着く間でのルートは高校時代の自殺した後輩と不思議な猿を経由するというもの。
 荒唐無稽ではあるんですが、なにやら人を納得させるような不思議なエピソードです。
 このあたりはさすがという感じで非常に上手いですね。

東京奇譚集 (新潮文庫)
村上 春樹
4101001561