ジュディス・L・ハーマン『心的外傷と回復』読了

 前々から読まねばと思いつつも、いまいち手が出なかったこの本をブックオフで1050円で見つけたのを機に読んでみました。
 さすがに、この問題の<バイブル>というだけ記述は力強く、レイプ被害者、児童虐待の経験者、そして戦場からの帰還兵らの苦悩を、「心的外傷(トラウマ)」という名前で連帯させ、そおう行った被害に苦しむ人びとに大きな力を与える本になっています。
 冒頭に「本書はその生命を女性解放運動に負うものである。」と宣言がなされているように、背景には明らかにフェミニズム運動があるのですが、上記のように戦場でトラウマを負った帰還兵、そして男性の児童虐待被害者にも目配りをきちんとすることで、フェミニズムを超えた運動の書となっています。


 ただ、「運動の書」と書いたように、この本は明らかにある目的(心的外傷を認知させ、それを精神医学の中心的存在に位置づけること)のために書かれた本であり、ややいきすぎの面がないでもない。
 例えば、著者は境界例人格障害に関して「私が調べたところでは、圧倒的多数(八一パーセント)に重症の児童期外傷の既往を記録した。」(196p)とぱりますが、このあたりはやや疑わしい気もします。
 また、治療者の道徳的立場を語った次の部分なども、治療者の枠をはみ出しているのではないかと感じる人もいると思います。

 治療者は「中立的」「非裁定的」であるだけでは足りない。患者は、このきわめて重大な問題との自分の闘いに参加するかどうかという問いを治療者に突きつける。治療者の役割は既成のありきたりの答えを与えることではない。それはどのみちできない相談であろう。そうではなくて、生存者との道徳的連帯性という立場を鮮明にするべきである。(278ー279p)

 さらに、328p以降の「生存者使命」なんかの話にいたっては、ちょっとついていけない気もします。


 けれども、そういった勇み足的な部分もあるものの、心的外傷そのものや治療などに関する著者の知見は豊富な経験に裏打ちされた繊細なもので、読む価値は大きいです。
 最初と最後だけ読むと、「被害者VS加害者」という図式的な本に感じるかもしれませんが、被害者の側に立ちつつ、被害者と治療者の微妙な心理にも行き届いた目配りがしてあります。
 次に引用する部分なんかはそのいい例でしょう。

 社会は女性に対して引きこもることを許さず、さりとて自分の感情を表現することも許さない。庇護してあげようとする余り、家族も愛人も友人も生存者の自立感覚を再建しようとする欲求を軽視する。外傷的事件の余波期において家族は自分たちがどう行動するかを勝手に決めて、生存者の意志を無視するか押さえ込み、そうすることによって生存者をもう一度無力化する。彼女の怒りに対する許容度が低いか、さもなくば自分たちが復讐してやるからなと言って彼女の怒りを吸い取ってしまう。生存者がしばしば家族に打ち明けるのをためらうのは、理解してくれないのではないかという恐ればかりでなく家族の反応によって自分の反応が塗りつぶされてしまう恐れのためでもある。(96p)

 
 議論もある本だと思いますが、頭から否定したり肯定したりするだけではすまない豊かな内容を持った本です。
 ちなみに僕が読んだのは<増補版>ですが、「外傷の弁証法は続いている」という近年の動向に少し触れた章が付け加わっているだけなので、旧版で買っても問題ないと思います。


心的外傷と回復
Judith Lewis Herman 中井 久夫
4622041138