『チェンジリング』

 クリント・イーストウッド監督ということで見る前から期待はしていたんだけど、これまた期待以上の作品。
 イーストウッドはもう78歳のはずなんだけど、すごいですね。00年代は映画では間違いなく「イーストウッドの時代」だったと言えるのではないでしょうか?
 実話がベースなだけに、ドラマ的な盛り上がりはそれほどないかもしれませんが、とにかく一つ一つのシーンが素晴らしい。特に死刑執行のシーンなんて鳥肌が立つほどにすごかったと思います。


 ストーリーは知られている通り、アンジェリーナ・ジョリー演じるロサンゼルスのシングルマザーの子供が行方不明になり、5か月後に戻ってくるのですが、実はそれが全くの別人。アンジェリーナ・ジョリーは「私の子じゃない!」と警察に訴えるわけですが、腐敗していた当時のロス市警はアンジェリーナ・ジョリーの精神状態がおかしいと言って精神病院に入れてしまうというとんでもない話。
 でも、これが実話なんですよね。その後に明らかにされる大掛かりな犯罪も含めて実話だそうです。(まだ映画を見ていない人は見ないほうがいいかもしれませんがゴードン・ノースコット事件 - Wikipediaに事件の顛末が載っています)
 そして、このとんでもない目に遭う母親をアンジェリーナジョリーが熱演。
 アンジェリーナジョリーは個人的にあまりにも父親のジョン・ヴォイトにそっくりに見えることがあって苦手だったのですが、今作はよかったと思います。映画が進むにつれ、どんどん強く美しくなって行く感じでした。
 1920年代のロスの風景もどうやって撮ったんだ?と思うほどよく撮れてますし、文句のつけようのない映画ですね。


 で、ここからは映画の本題とは少し外れますが、「なんでこの題材をイーストウッドが撮ったのだろう?」ということ(少しネタバレも含みます)。
 ここ最近のイーストウッドの映画を見ていると、イーストウッドが「家族」というものを単純に礼賛するのではなく、少し複雑なスタンスで撮っていることがわかります。
 『ミスティック・リバー』では、最後のパレードのシーンで悪をなしたあとも「家族」は続く、あるいは悪を「家族」の絆が塗り込める、というようなシーンがありましたし(ジジェクは確か「家族の邪悪さを描いている」とどこかでストレートに書いていました)、『ミリオンダラー・ベイビー』にでてくるヒラリー・スワンクの「家族」は醜悪そのものでした(このあたりのことは『硫黄島からの手紙』を見た時にも書きました。クリント・イーストウッドの「家族」観 - 西東京日記 IN はてな参照)
 そんなイーストウッドが描く「母と子の絆」。確かに美しい話なのですが、どこかに「家族の絆」の恐ろしさのようなものがあるように思えるのです。
 ラストでアンジェリーナ・ジョリーは上司の誘いを受けて新しい人生の一歩を踏み出すかに思えますが、それは別の行方不明の子供が見つかったという知らせにかき消されてしまいます。そして、最後に言う「希望を見つけた」というセリフ。
 ここに「家族」の持つ怪物的な力のようなものを感じるんですよね。